以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまいました(大学の授業から航空力学の科目を取り除かれもしました)。これにより、(1930年代後半以降、第二次世界大戦までは、世界有数の飛行機の技術を有する国であった)日本の飛行機の技術の、発展は、しばらくの間、空白となって(途絶えて)しまいました。しかしながら、行き場を失った、日本の飛行機の開発者・技師(engineer)達の多くは、自動車産業へと移り(自動車の開発者・技師(engineer)へと転職し)、(もちろん、飛行機の技術と、自動車の技術は、似ている部分もあるが、異なる部分も多いので、それにより、日本の自動車技術が、直ちに、世界水準に達した訳ではなく、日本の自動車技術が、世界水準に達するには、時間がかかりましたが)、第二次世界大戦後の、日本の自動車技術及び自動車産業の発展の基礎を築くのに、少なからぬ貢献をしました。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
第二次世界大戦までの、日本の飛行機に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本の飛行機の歴史他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890065?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、「」内。私の前の投稿文より。
「以下、メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200と同様の、超小型の(とても小型の)自動車の例です。この種の、超小型の(とても小型の)自動車は、ヨーロッパにおいて、第二次世界大戦の戦禍の影響から困窮が続く中、航空機(飛行機)や兵器などの軍需企業の民需転換策や、新興企業の自動車業界参入が図られていたドイツやイタリア、フランスを中心に周辺国でも生産されました(wikiを参考にしました)。ちなみに、同時代において、ヨーロッパと同様の状況にあった日本でも、後述する、富士(fuji)キャビン(cabin)等が生産されました。ちなみに、第二次世界大戦において、戦場とならなかったアメリカは、同時代において、超大国として、黄金時代の繁栄を謳歌していました(ちなみに、1950年代は、アメリカの白人、白人の中でも、特に、中流階級以上の、WASPにとって、アメリカの歴史上において、最も、繁栄し、物質的・科学技術的に、圧倒的に豊かな超大国としてのアメリカの豊かさを実感出来ていた時代であったのではないでしょうか。1960年代以降は、アメリカが、本格的に、ベトナム戦争(Vietnam War)に介入する事になります)。」
メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200、及び、メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200と同様の、超小型の(とても小型の)自動車の例に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
Messerschmitt KR200他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4022999?&sfl=membername&stx=nnemon2
Messerschmitt KR200他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4022999?&sfl=membername&stx=nnemon2
後述する、コニー(Cony)・グッピー (Guppy)は、すぐ上でリンクを付けた投稿で紹介している、超小型の(とても小型の)自動車と、同時代の、超小型の(とても小型の)自動車です。
愛知(aichi)県は、日本の中部地方に位置する県です。
愛知(aichi)県で、最大の都市、且つ、愛知(aichi)県の中心都市は、名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本第三の都市圏人口を有する都市)です。
名古屋(nagoya)(愛知(aichi)県の西部に位置する)は、日本の中部地方で、唯一の大都市、且つ、日本の中部地方の中心都市でもあります。
名古屋(nagoya)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
名古屋(nagoya)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3903436/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、愛知(aichi)時計電機等に関しては、wikiを参考にしました。
愛知(aichi)時計電機(元々、愛知(aichi)時計製造と言う会社名であった)は、1893年に時計会社として創業した会社で(19世紀後期に、名古屋(nagoya)都市圏で、多く創業された、時計会社の一つ)、名古屋(nagoya)に本社を置く、日本の、ガス・水道関連機器等、精密機器の会社です(現在は、時計事業から撤退し、その歯車技術を応用した精密計測機器類等の会社となっています)。
写真は、借り物(写真の作者:アラツク)。名古屋(nagoya)にある、現在の、愛知(aichi)時計電機の本社ビル。2013年に完成。
愛知(aichi)時計電機は、1920年に、飛行機の製造を開始し、愛知(aichi)時計電機の飛行機部門は、第二次世界大戦中の1943年に、愛知(aichi)航空機として、愛知(aichi)時計電機から、分離・独立しました。
写真以下3枚(写真は、借り物)。愛知(aichi)時計電機の飛行機部門(1943年からは、愛知(aichi)航空機)の、第二次世界大戦中の、日本軍の飛行機(軍用機)の例。

愛知(aichi)、99式、艦上爆撃機。1938年に登場した、第二次世界大戦の初期の頃に活躍した、日本の海軍の、急降下爆撃機です。

愛知(aichi)、零(0)式、水上偵察機。1939年に登場した、日本の海軍の、海上偵察機です。

晴嵐(seiran)。伊400型潜水艦(下の補足説明を参照)による、戦略爆撃の目的で開発された、日本の海軍の、1943年に登場した、小型軽量の、急降下爆撃が可能な、潜水艦搭載用の、水上攻撃・爆撃機です。
伊400型潜水艦:説明は、wikiを参考にしました。日本の海軍が、第二次世界大戦末期(1944年から1945年)において製造した(日本海軍直営の、造船所・工場製)、それまでの、世界の歴史上、最大の潜水艦、且つ、第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で、世界、最大の潜水艦。水上攻撃飛行機を3機搭載し、潜水空母とも呼ばれている。基準3,530トン。常備5,223トン。水中6,560トン。理論的には、地球を一周半する事が可能と言う、長大な航続距離を持ち、日本から、地球上の、何処にでも出かけて、任意に攻撃を行い、そのまま、日本に帰る事が可能であった潜水艦。大柄な船体を持ちますが、水中性能は良好で、急速潜航に要する時間は、1分でした。伊400型潜水艦は、伊15型潜水艦(日本海軍の潜水艦)による、アメリカ本土攻撃が成功していた1942年に、18隻の建造が計画されましたが、戦局の悪化と共に、計画は、5隻に縮小され、最終的に3隻が完成しました(伊号第400潜水艦(1944年)、伊号第401潜水艦(1945年)、伊号第402潜水艦(1945年))。伊400型潜水艦が、完成した頃は、日本海軍は、アメリカ軍により、日本周辺の制海権、制空権共に失い、壊滅的な状態となっており、伊400型潜水艦は、既に、活躍出来る機会を失っていました。伊400型潜水艦は、前述の通り、三隻が完成しましたが、いずれも、具体的な戦果を上げる前に、日本が、アメリカを中心とする連合国に対して無条件降伏し、第二次世界大戦が終結しました。アメリカ軍は、戦後間もなく、伊400型潜水艦を接収し、技術調査をした後、冷戦による、当時のソビエト(Soviet)連邦への技術情報の漏洩を恐れ、海没処分にしました(破壊し、海に沈めて処分しました)。
伊400型潜水艦に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
大和ミュージアム・宇宙戦艦ヤマト他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3903429/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2
大和ミュージアム・宇宙戦艦ヤマト他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3903429/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2

おまけ。彗星(suisei)。この飛行機は、愛知(aichi)時計電機の飛行機部門(1943年からは、愛知(aichi)航空機)の、飛行機ではなく、日本の海軍(日本の海軍の、飛行機(軍用機)の、設計・開発部門)が、直接、開発・設計した、飛行機ですが、生産は、日本の海軍から、愛知(aichi)時計電機の飛行機部門(1943年からは、愛知(aichi)航空機)に委託された飛行機です。1940年に登場した、日本の海軍の、急降下爆撃機で、前述した、愛知(aichi)、99式、艦上爆撃機の後継の、急降下爆撃機です。当時の最新技術を多数盛り込んだ設計の、速さ、航続距離の優れた、急降下爆撃機で、アメリカ海軍の軍艦(軍事用の船)に、脅威を与えました。
前述の通り、愛知(aichi)時計電機の飛行機部門は、第二次世界大戦中の1943年に、愛知(aichi)航空機として、愛知(aichi)時計電機から、分離・独立しました。
愛知(aichi)機械工業は、愛知(aichi)航空機を前身とする、名古屋(nagoya)に本社を置く、日本の自動車部品・産業用部品を中心とした会社です。
前述の通り、第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまった事により、愛知(aichi)航空機も、飛行機の、開発・生産が出来なくなってしまった為、1946年に、社名(会社の名前)を、愛知(aichi)起業株式会社に変えました。その後、愛知(aichi)起業株式会社(旧(かつての)愛知(aichi)航空機)は、1952年に、社名(会社の名前)を、愛知(aichi)機械工業に変えて、現在に至っています。
日産(nissan)自動車は、日本の、三大自動車会社(トヨタ(toyota)、日産 (nissan)、本田(honda))の一つです。日産(nissan)自動車(1911年創業。1910年代に乗用車の生産を開始)は、トヨタ(toyota)(日本最大、且つ、世界最大の自動車会社。1936年に乗用車の生産を開始)等と共に、日本の自動車会社の中では、比較的、乗用車の生産の歴史の長い会社であり、1980年代までは、トヨタ(toyota)と共に、日本の、2大、自動車会社でした。
愛知(aichi)機械工業は、1962年に、日産(nissan)自動車と技術提携を結び、1965年に、日産(nissan)自動車と、本格的な、業務提携に入り、1966年には、日産(nissan)自動車は、愛知(aichi)機械工業の株式の15%を保有する、愛知(aichi)機械工業の筆頭株主(最大の株主)となりました。現在は、愛知(aichi)機械工業は、日産(nissan)自動車が、株式の100%を保有する、日産(nissan)自動車の、完全子会社となっています(愛知(aichi)機械工業は、2012年に、日産(nissan)自動車の、完全子会社となりました)。
写真は、借り物(写真の作者:円周率3パーセント)。名古屋(nagoya)にある、愛知(aichi)機械工業の、現在の、本社ビル。1997年に完成。
コニー(Cony)・グッピー (Guppy)は、愛知(aichi)機械工業が、1961年から1963年にかけて、製造・販売していた、超小型の(とても小型の)自動車です。
コニー(Cony)・グッピー (Guppy)は、岡村(okamura)(1945年創業の、日本の、大規模、家具、産業用の機器等の会社。かつて、自動車も、製造・販売していた)製の、トルクコンバータ(torque converter)を採用し、クラッチペダル(clutch pedal)のない運転のし易い車となっていました。
岡村(okamura)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
ミカサ(自動車)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4026583?&sfl=membername&stx=nnemon2
ミカサ(自動車)(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4026583?&sfl=membername&stx=nnemon2

写真は、借り物。コニー(Cony)・グッピー (Guppy)。