以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまいました(大学の授業から航空力学の科目を取り除かれもしました)。これにより、(1930年代後半以降、第二次世界大戦までは、世界有数の飛行機の技術を有する国であった)日本の飛行機の技術の、発展は、しばらくの間、空白となって(途絶えて)しまいました。しかしながら、行き場を失った、日本の飛行機の開発者・技師(engineer)達の多くは、自動車産業へと移り(自動車の開発者・技師(engineer)へと転職し)、(もちろん、飛行機の技術と、自動車の技術は、似ている部分もあるが、異なる部分も多いので、それにより、日本の自動車技術が、直ちに、世界水準に達した訳ではなく、日本の自動車技術が、世界水準に達するには、時間がかかりましたが)、第二次世界大戦後の、日本の自動車技術及び自動車産業の発展の基礎を築くのに、少なからぬ貢献をしました。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
第二次世界大戦までの、日本の飛行機に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本の飛行機の歴史他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890065?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、岡村(okamura)に関しては、wikiを参考にしました。
岡村(okamura)は、1945年創業の、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町。東京圏の南部を占める県の神奈川(kanagawa)県の中心都市で、東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、第二の人口を有する都市)に本社を置く、日本の、大規模、家具、産業用の機器等の会社です。岡村(okamura)は、元々、第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本が、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまった事により、業務を失った、かつての日本の飛行機の製造会社の社員達により、1945年に創業された会社です。岡村(okamura)は、創業当初は、金属加工技術を活かした、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme
Commander of the Allied
Powers)(第二次世界大戦の、日本の敗戦に伴い、日本において占領政策を実施した連合国軍の機関。GHQとも呼ばれる。1952年、日本の、完全な、主権の回復により、活動を停止)向けのスチール(鉄製・金属製の)家具の納入で業績を高めました。
岡村(okamura)は、コクヨ(kokuyo)(日本の、大規模、文房具、オフィス(office)用の家具、事務機器等の会社。1905年創業。本社は、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市))、イトーキ(itoki)(日本の、大規模、事務用品、オフィス(office)用の家具等の会社。1890年創業。元々、大阪で創業し、本社も、大阪にあったが、現在の本社は、東京)と共に、日本の、三大、オフィス(office)用の家具の会社の一つであると共に、日本最大の、オフィス(office)用の家具の会社であり、世界で、4番目の規模の(世界で、4番目の売上高の)、オフィス(office)用の家具の会社となっています。
岡村(okamura)は、小田急(odakyu)ロマンスカー(romance car)(下の補足説明を参照)の、VSE50000車両(2005年にデビュー(debut))と、MSE60000(2008年にデビュー(debut))の、座席も製造しています。
小田急(odakyu)ロマンスカー(romance
car):小田急(odakyu)ロマンスカー(romance
car)は、1957年から、70年近い歴史を有する、日本の、特急列車(express)で、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)(下の補足説明を参照)の、特急列車(express)です。
小田急(odakyu)電鉄(dentetsu):1920年代後期に路線を開業。主に、東京都心部と、東京の、南西部郊外・近郊を結ぶ、通勤電車・観光電車路線を運営している、私営鉄道会社。運営している、電車路線の、総距離は、120.7km。東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社(ちなみに、これには、JR東日本(元、日本国有鉄道)は、含まれていません)の一つ。
ロマンスカー(romance
car)は、東京の都心部と、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する。日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)・江ノ島(enoshima)(湘南(syonan)(東京areaに暮らす人々にとって、
最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地。神奈川
(kanagawa)県の南部に位置する)等を結ぶ、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の、特急列車(express)です。
ロマンスカー(romance car)の車両に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
70年近い歴史を有する特急列車他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3881372?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真は、借り物。写真の作者:妖精書士。岡村(okamura)の現在の本社が入る、高層ビル。1972年完成。高さ約102m。横浜の都心にある。
ミカサ(mikasa)は、岡村(okamura)が、1957年から1960年にかけて、製造・販売していた、自動車のブランド(brand)です。
ミカサ(mikasa)の自動車(1957年に販売開始)は、日本で、最初の、オートマチック(automatic
transmission (AT) )自動車です(岡村(okamura)製の、トルクコンバータ(torque
converter)を搭載しています)。ミカサ(mikasa)の自動車は、全て、岡村(okamura)製の、トルクコンバータ(torque
converter)を搭載した、オートマチック(automatic transmission(AT) )自動車です。
ミカサ(mikasa)ツーリング(touring)は、ミカサ(mikasa)の自動車の一つで、1957年に、第4回、東京モーターショー(Tokyo
Motor Show)(下の補足説明を参照)で発表され、1958年から1960年にかけて、製造・販売されていた、小型の、自動車です。
東京モーターショー(Tokyo
Motor Show):1954年から東京圏で開催されている、モーターショー(motor show)。現在は、Japan Mobility
Showと言う名前となっている。伝統的に、Detroit Auto Show(North American International Auto
Show)、International Motor Show Germany、Geneva International Motor
Show、Paris Motor Show、東京モーターショー(Tokyo Motor Show)(Japan Mobility
Show)で、世界の5大モーターショー(motor show)と呼ばれている。それよりも前は、Detroit Auto Show(North
American International Auto Show)、International Motor Show
Germany、東京モーターショー(Tokyo Motor Show)(Japan Mobility
Show)で、世界の3大モーターショー(motor show)と呼ばれていた。
写真以下2枚(写真は、借り物)。ミカサ(mikasa)ツーリング(touring)。
本田(honda)は、日本の、三大自動車会社(トヨタ(toyota)、日産(nissan)、本田(honda))の一つです。日産(nissan)自動車(1911年創業。1910年代に乗用車の生産を開始)は、トヨタ(toyota)(日本最大、且つ、世界最大の自動車会社。1936年に乗用車の生産を開始)等と共に、日本の自動車会社の中では、比較的、乗用車の生産の歴史の長い会社であり、1980年代までは、トヨタ(toyota)と共に、日本の、2大、自動車会社でした。本田(honda)(1946年創業。ちなみに、第二次世界大戦後、間もなくの創業ですが、創業時において、飛行機産業とは、全く、関係のない会社です)は、自動車の分野に進出したのは、1963年の事で(ただし、それ以前から、オートバイ(motorcycle)会社の技術力としては、しっかりとした物があった)、日本の大規模自動車会社の中では、最も、後発の自動車会社ですが、冒険的・革新的な発想の、自動車を作り、若者層の心を捉える事により、日本の三大自動車会社の一つにまで、成長しました。本田(honda)は、2001年に、日産(nissan)自動車を抜かし、日本で、2番目の規模の、自動車会社となりました。
ちなみに、本田(honda)は、日本の4大、オートバイ(motorcycle)会社(本田(honda)、ヤマハ(yamaha)(本田(honda)に次ぐ、世界で2番目に大きなオートバイ(motorcycle)会社)、スズキ(suzuki)、川崎(kawasaki))の一つであると共に、日本最大、且つ、世界最大の、オートバイ(motorcycle)会社でもあります(本田(honda)は、1959年以来、世界最大の、オートバイ(motorcycle)会社。本田(honda)とヤマハ(yamaha)を合わせた、世界シェアは、約25%で、世界で売れている、オートバイ(motorcycle)の内、約4台に1台が、本田(honda)又はヤマハ(yamaha)のオートバイ(motorcycle)です)。ちなみに、日本は、イタリア、ドイツ等と共に、オートバイ(motorcycle)に関して、世界最先端の技術を有する国の一つです。ちなみに、日本は、おそらく、先進国・地域の中で、人口に対して、(実用目的ではなく)趣味で、オートバイ(motorcycle)に乗る人々の割合が、高い、国・地域の一つです。
岡村(okamura)は、主要な取引先である、日本の銀行(本田(honda)の主要な、取引先の銀行でもある)から、本田(honda)が、既に、オートバイ(motorcycle)事業を軌道に乗せており、直に(近い内に)、自動車にも参入するであろう事から、岡村(okamura)に、(岡村(okamura)の従来の得意分野であり、既に、岡村(okamura)が、大きな市場を獲得している)オフィス(office)用の家具へ専念した方が良いと勧めた事もあり、岡村(okamura)は、1960年に、自動車から撤退し、ミカサ(mikasa)の、ブランド(brand)は、消滅しました。
ちなみに、岡村(okamura)製の、トルクコンバータ(torque
converter)を採用した、他社の(岡村(okamura)以外の)自動車に、後述する、MAZDA
R360クーペ(coupe)(1960年に販売開始)と、コニー(Cony)・グッピー (Guppy)(1961年に販売開始)があります。
以下、「」内。私の前の投稿文より。
「以下、メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200と同様の、超小型の(とても小型の)自動車の例です。この種の、超小型の(とても小型の)自動車は、ヨーロッパにおいて、第二次世界大戦の戦禍の影響から困窮が続く中、航空機(飛行機)や兵器などの軍需企業の民需転換策や、新興企業の自動車業界参入が図られていたドイツやイタリア、フランスを中心に周辺国でも生産されました(wikiを参考にしました)。ちなみに、同時代において、ヨーロッパと同様の状況にあった日本でも、後述する、富士(fuji)キャビン(cabin)等が生産されました。ちなみに、第二次世界大戦において、戦場とならなかったアメリカは、同時代において、超大国として、黄金時代の繁栄を謳歌していました(ちなみに、1950年代は、アメリカの白人、白人の中でも、特に、中流階級以上の、WASPにとって、アメリカの歴史上において、最も、繁栄し、物質的・科学技術的に、圧倒的に豊かな超大国としてのアメリカの豊かさを実感出来ていた時代であったのではないでしょうか。1960年代以降は、アメリカが、本格的に、ベトナム戦争(Vietnam
War)に介入する事になります)。」
メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200、及び、メッサーシュミット(Messerschmitt)KR200と同様の、超小型の(とても小型の)自動車の例に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
Messerschmitt KR200他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4022999?&sfl=membername&stx=nnemon2
Messerschmitt KR200他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4022999?&sfl=membername&stx=nnemon2
後述する、MAZDA R360クーペ(coupe)と、コニー(Cony)・グッピー (Guppy)は、すぐ上でリンクを付けた投稿で紹介している、超小型の(とても小型の)自動車と、同時代の、超小型の(とても小型の)自動車です。
MAZDA(日本の、大規模、自動車会社の一つ。ただし、大規模会社としては、規模が小さい)は、1920年創業の、広島(hiroshima)(日本の西部に位置する大都市。大都市としては人口は、少ない)の、自動車会社です。MAZDAは、元々、コルク(cork)を製造する会社として、1920年に創業し、1931年に、三輪のトラック(truck)を、製造・販売開始し、1950年に、本格的なトラック(truck)(4輪のトラック(truck))を製造・販売開始し、1960年に、乗用車(自家用自動車)の、製造・販売を開始しました。
MAZDAに関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
広島1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3891724/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
広島1(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3891724/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、MAZDA R360クーペ(coupe)に関しては、wikiを参考にしました。
MAZDA R360クーペ(coupe)は、1960年に販売が開始された、MAZDAの、超小型の(とても小型の)自動車で、MAZDAが、製造・販売した、最初の、乗用車です。
MAZDA
R360クーペ(coupe)は、オートマチック(automatic transmission (AT) )車が設定され、MAZDA
R360クーペ(coupe)のオートマチック(automatic transmission (AT)
)車は、ミカサ(mikasa)の自動車(1957年に販売開始。日本で最初の、トルクコンバータ(torque
converter)を搭載した、オートマチック(automatic transmission (AT)
)自動車)等と共に、日本で、最も初期の頃の、トルクコンバータ(torque converter)を搭載した、オートマチック(automatic
transmission(AT) )自動車の一つとなっています。
MAZDA R360クーペ(coupe)は、Subaru360(1958年に販売が開始)よりも、安く、値段が設定されました。
Subaru360に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
Subaru360→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4026580?&sfl=membername&stx=nnemon2
Subaru360(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4026580?&sfl=membername&stx=nnemon2
MAZDA
R360クーペ(coupe)は、ドアは2つで、名目上は4人乗りですが、後部座席は、非常に狭く、子供向けでした(このクラス(class)の自動車であれば、1人か2人での乗車が多く、本格的な4人乗りに拘らず、軽量化を優先するために、割り切ったものです)。これに限らず、MAZDA
R360クーペ(coupe)は、軽量化対策が徹底され、アルミニウム合金、マグネシウム合金、プラスチック等の軽量な素材が多く用いられています。
MAZDA R360クーペ(coupe)のデザイン(design)は、Subaru360と共に、超小型の(とても小型の)自動車として、完成度の高い物でした。
MAZDA
R360クーペ(coupe)は、価格の安さから、発売当初は、非常に高い人気を得ましたが、完全な4人乗りである、(前述した)Subaru360の対抗馬(ライバル)としては、不利でした。MAZDA
R360クーペ(coupe)は、発売されてから数年後には、存在が薄くなりましたが、オートマチック(automatic transmission
(AT))車以外は、1966年まで、製造・販売され、その後も、オートマチック(automatic transmission(AT)
)車のみ、身体障害者のドライバー(運転者)向けに、1969年まで、製造・販売されました。
写真以下2枚(写真は、借り物)。MAZDA R360クーペ(coupe)。

写真の作者:Taisyo
写真の作者:Tennen-Gas
愛知(aichi)県は、日本の中部地方に位置する県です。
愛知(aichi)県で、最大の都市、且つ、愛知(aichi)県の中心都市は、名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本第三の都市圏人口を有する都市)です。
名古屋(nagoya)(愛知(aichi)県の西部に位置する)は、日本の中部地方で、唯一の大都市、且つ、日本の中部地方の中心都市でもあります。
名古屋(nagoya)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
名古屋(nagoya)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3903436/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、愛知(aichi)時計電機等に関しては、wikiを参考にしました。
愛知(aichi)時計電機(元々、愛知(aichi)時計製造と言う会社名であった)は、1893年に時計会社として創業した会社で(19世紀後期に、名古屋(nagoya)都市圏で、多く創業された、時計会社の一つ)、名古屋(nagoya)に本社を置く、日本の、ガス・水道関連機器等、精密機器の会社です(現在は、時計事業から撤退し、その歯車技術を応用した精密計測機器類等の会社となっています)。
写真は、借り物(写真の作者:アラツク)。名古屋(nagoya)にある、現在の、愛知(aichi)時計電機の本社ビル。2013年に完成。
愛知(aichi)時計電機は、1920年に、飛行機の製造を開始し、愛知(aichi)時計電機の飛行機部門は、第二次世界大戦中の1943年に、愛知(aichi)航空機として、愛知(aichi)時計電機から、分離・独立しました。
写真以下3枚(写真は、借り物)。愛知(aichi)時計電機の飛行機部門(1943年からは、愛知(aichi)航空機)の、第二次世界大戦中の、日本軍の飛行機(軍用機)の例。

愛知(aichi)、99式、艦上爆撃機。1938年に登場した、第二次世界大戦の初期の頃に活躍した、日本の海軍の、急降下爆撃機です。

愛知(aichi)、零(0)式、水上偵察機。1939年に登場した、日本の海軍の、海上偵察機です。

晴嵐(seiran)。伊400型潜水艦(下の補足説明を参照)による、戦略爆撃の目的で開発された、日本の海軍の、1943年に登場した、小型軽量の、急降下爆撃が可能な、潜水艦搭載用の、水上攻撃・爆撃機です。
伊400型潜水艦:説明は、wikiを参考にしました。日本の海軍が、第二次世界大戦末期(1944年から1945年)において製造した(日本海軍直営の、造船所・工場製)、それまでの、世界の歴史上、最大の潜水艦、且つ、第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で、世界、最大の潜水艦。水上攻撃飛行機を3機搭載し、潜水空母とも呼ばれている。基準3,530トン。常備5,223トン。水中6,560トン。理論的には、地球を一周半する事が可能と言う、長大な航続距離を持ち、日本から、地球上の、何処にでも出かけて、任意に攻撃を行い、そのまま、日本に帰る事が可能であった潜水艦。大柄な船体を持ちますが、水中性能は良好で、急速潜航に要する時間は、1分でした。伊400型潜水艦は、伊15型潜水艦(日本海軍の潜水艦)による、アメリカ本土攻撃が成功していた1942年に、18隻の建造が計画されましたが、戦局の悪化と共に、計画は、5隻に縮小され、最終的に3隻が完成しました(伊号第400潜水艦(1944年)、伊号第401潜水艦(1945年)、伊号第402潜水艦(1945年))。伊400型潜水艦が、完成した頃は、日本海軍は、アメリカ軍により、日本周辺の制海権、制空権共に失い、壊滅的な状態となっており、伊400型潜水艦は、既に、活躍出来る機会を失っていました。伊400型潜水艦は、前述の通り、三隻が完成しましたが、いずれも、具体的な戦果を上げる前に、日本が、アメリカを中心とする連合国に対して無条件降伏し、第二次世界大戦が終結しました。アメリカ軍は、戦後間もなく、伊400型潜水艦を接収し、技術調査をした後、冷戦による、当時のソビエト(Soviet)連邦への技術情報の漏洩を恐れ、海没処分にしました(破壊し、海に沈めて処分しました)。
伊400型潜水艦に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
大和ミュージアム・宇宙戦艦ヤマト他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3903429/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2
大和ミュージアム・宇宙戦艦ヤマト他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3903429/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2

おまけ。彗星(suisei)。この飛行機は、愛知(aichi)時計電機の飛行機部門(1943年からは、愛知(aichi)航空機)の、飛行機ではなく、日本の海軍(日本の海軍の、飛行機(軍用機)の、設計・開発部門)が、直接、開発・設計した、飛行機ですが、生産は、日本の海軍から、愛知(aichi)時計電機の飛行機部門(1943年からは、愛知(aichi)航空機)に委託された飛行機です。1940年に登場した、日本の海軍の、急降下爆撃機で、前述した、愛知(aichi)、99式、艦上爆撃機の後継の、急降下爆撃機です。当時の最新技術を多数盛り込んだ設計の、速さ、航続距離の優れた、急降下爆撃機で、アメリカ海軍の軍艦(軍事用の船)に、脅威を与えました。
前述の通り、愛知(aichi)時計電機の飛行機部門は、第二次世界大戦中の1943年に、愛知(aichi)航空機として、愛知(aichi)時計電機から、分離・独立しました。
愛知(aichi)機械工業は、愛知(aichi)航空機を前身とする、名古屋(nagoya)に本社を置く、日本の自動車部品・産業用部品を中心とした会社です。
前述の通り、第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまった事により、愛知(aichi)航空機も、飛行機の、開発・生産が出来なくなってしまった為、1946年に、社名(会社の名前)を、愛知(aichi)起業株式会社に変えました。その後、愛知(aichi)起業株式会社(旧(かつての)愛知(aichi)航空機)は、1952年に、社名(会社の名前)を、愛知(aichi)機械工業に変えて、現在に至っています。
愛知(aichi)機械工業は、1962年に、日産(nissan)自動車と技術提携を結び、1965年に、日産(nissan)自動車と、本格的な、業務提携に入り、1966年には、日産(nissan)自動車は、愛知(aichi)機械工業の株式の15%を保有する、愛知(aichi)機械工業の筆頭株主(最大の株主)となりました。現在は、愛知(aichi)機械工業は、日産(nissan)自動車が、株式の100%を保有する、日産(nissan)自動車の、完全子会社となっています(愛知(aichi)機械工業は、2012年に、日産(nissan)自動車の、完全子会社となりました)。
写真は、借り物(写真の作者:円周率3パーセント)。名古屋(nagoya)にある、愛知(aichi)機械工業の、現在の、本社ビル。1997年に完成。
コニー(Cony)・グッピー (Guppy)は、愛知(aichi)機械工業が、1961年から1963年にかけて、製造・販売していた、超小型の(とても小型の)自動車です。
コニー(Cony)・グッピー
(Guppy)は、岡村(okamura)製の、トルクコンバータ(torque
converter)を採用し、クラッチペダル(clutch pedal)のない運転のし易い車となっていました。

写真は、借り物。コニー(Cony)・グッピー (Guppy)。