チュリ「周牢(チュレ、チュリ)주리틀기 Leg-screw torture」の刑というのは、拷問してから殺す(死刑にする)刑。
死刑囚の脚の間に棒をはさみ、死刑執行人がその端に体重をかけて死刑囚の脚の骨を砕く。悲鳴をあげる死刑囚に、追い打ちをかけるように腕と肋骨を折る。そして最後に絹紐で首を絞めて殺す、それを大勢の庶民に見物させる。



悲劇の朝鮮 Grebst, W. A:son(著)
I Korea: Minnen och studier från "morgonstillhetens land / William A:son Grebst
棒の使い道は、チュリの刑罰を与えることにあった。囚人の足の内側に棒をはさんで、執行人たちは、自分の体重をすべて棒の片側にかけた。囚人が続けざまに吐き出す叫び声は、聞いていてもじつに凄惨なものだった。足の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声も囚人の凄絶な悲鳴も止まった。全身縛られた状態であるにかかわらず、上体を起こした死刑囚は、ほとんど座った姿勢になった。
顔には、死人のそれのようにまったく血の気がなく、唇は、固く閉じられてひとつの細い真っ青な線になっている。両の目は白目をむいており、額からは冷たい汗が雨のようにしたたり落ちた。首が力なく垂れた。体がだらりと地面にのびた。死刑執行人が棒をはずし、乱暴な手つきで実際に完全に手足が折れたかどうか調べている間も、囚人は、何も感じない死んだ羊のごとくじっと倒れたままだった。
死刑が執り行なわれる間、まわりでは朝鮮人の見物人の群衆が目を見張りながら見ていた。彼らは、首を長く伸ばしながら、一瞬たりとも見逃すまいと息を詰めたまま悲劇の現場を見守っていた。
気絶した囚人は、ややあって意識をとりもどした。カなく首を左右にゆすりながら呻き声を出し、その場に身を横たえている。執行人らは、囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから、最後に絹紐を使って首を絞めて殺し、その死体をどこへやら引きずっていった。
私には疑問がひとつ湧いてきた。この国にキリスト教が布教されてもうだいぶ経ったし、西洋の文化大国がこの国の行政の各部門を助けてからも一日二日でないのに、なぜ今だのこのような野卑きまわりない拷問が続いているのか。
理由がなんであれ、こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうという点だ。異教徒の改宗に汲々とするあまり、そのまま見過ごしてはならない実状には盲目となってしまう私たちキリスト教徒の態度は、私たちに残された大きな課題のひとつである。
その後、韓国の残酷な拷問は日帝時代に全て禁止された


カナダ人著述家マッケンジーの著書「朝鮮の悲劇」でも、朝鮮の監獄や拷問について「監獄での拷問は自由に行われ、周期的な監獄清掃に際しては、一時に数十名の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された」と書かれている。李朝時代、制度に違犯した者は、五家作統法(5戸を単位とする連帯責任と相互監視の制度)、連座法などの前近代的な律令に基づいて、捕らえられ、極めて残虐な刑罰によって人権が侵害されていた。特に、監獄で行われた処刑の残酷さについては、マッケンジー等によって、手足の骨を折ってから死にいたらしめるなど筆舌に尽くし難い目撃談が残されている。Charles Dallet 1874年に書いた「朝鮮事情」の「第五章 法廷」には、朝鮮の法廷は罪のない人にも、罪を認めるまで拷問を加えて、罪をでっちあげることもあったと書かれている。朝鮮総督府は、李朝時代から残っていたこのような前近代的刑罰を徹底的に排除しようとした。