以下、基本的に、2013年の6月の下旬に行った投稿から抜粋して来た物です(投稿文は、2013年の6月の下旬の投稿を前提としています)。

村野
藤吾(murano
togo)。写真(借り物写真)は、1954年に撮影された物。1891年生まれ。1984年に亡くなる。大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)を拠点に活動していた、日本の現代建築家。1930年代頃から活躍。世界的に有名な建築家と言う程ではありませんが、日本の有名な建築家であり、日本の、現代建築の建築家の、先駆け(先駆者)の建築家の一人です。90歳を超えても創作意欲は落ちず、(1984年に)亡くなる前日まで仕事をしていました(wikiより。。。)。村野
藤吾(murano togo)は、日本の、現代建築の建築家の、先駆け(先駆者)の建築家の一人ですが、特に、第二次世界大戦後は、村野
藤吾(murano togo)の作品は、全般的に、保守的な傾向にあります。村野 藤吾(murano
togo)は、特に、第二次世界大戦後は、現代建築の中に、大胆に、伝統的な要素・古典的な要素を取り入れる事を、厭わなかった(躊躇しなかった)事から、1950年代から1960年代(日本は、大量生産・大量消費の、高度経済成長期で、新しい物・未来的な物は、全て良いと言う価値観が、支配的であり、古臭い物は、無視される傾向にあった時代)においては、(既に、村野
藤吾(murano
togo)は、日本の現代建築会における大物・日本の有名な建築家として確固たる地位を築いており、全般的に、高い評価を得ていたものの)、批判される事も、ある程度あった建築家です。
村野
藤吾(murano togo)は、早稲田(waseda)大学理工学部建築学科を卒業した後、1918年に、渡辺 節(watanabe
setsu)(下の補足説明参照)の、建築設計事務所に入所し(就職し)、1929年に独立し、自身(自分)の建築設計事務所である、村野(murano)建築事務所を開設するまで、渡辺
節(watanabe setsu)(下の補足説明参照)の下で(渡辺 節(watanabe
setsu)の、建築設計事務所勤務の建築家として)、働きながら、建築設計の実務を学びました。
渡辺 節(watanabe
setsu):以下、渡辺 節(watanabe setsu)に関する説明は、wiki等を参考にしました。渡辺 節(watanabe
setsu)(1884年生まれ、1967年に亡くなる)は、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)を拠点に活動を行っていた、日本の近代建築家です。東京帝国大学(現在の東京大学)建築学科を卒業後、鉄道院(鉄道省。第二次世界大戦前において、日本の国有鉄道(日本国有鉄道)の運営を行っていた、日本の省庁(国家行政機関))に入り、日本の国有鉄道(日本国有鉄道)関連の建物の設計に携わった後、1916年に独立し、大阪に、自身の(自分の)建築設計事務所を開設しました。幅の広い、近代建築の設計を手掛けた、優秀な建築家であり、幅の広い、近代建築の建物の優秀な作品を残しましたが(ただし、建て替え等により、現存する、渡辺
節(watanabe
setsu)の作品は、少なくなっている)、特に、オフィス(office)用ビルの設計を、得意とし(主に行い)、1920年代から1930年代にかけて、関西(kansai)大都市圏(大阪、京都、神戸(kobe)を中心とする大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第2の大都市圏。規模(面積)は、東京圏と、だいたい同じ位。人口は、東京圏の約半分(半分強位))を中心に、多くの、近代建築のオフィス(office)用ビルの設計を行いました。渡辺
節(watanabe
setsu)は、合理的な近代建築の設計を特徴とし(合理性を重視した、近代建築家である事が特徴で)、合理的(当時としては、現代的・最新式)に設計した建物に、過去の様式を折衷する事で(古典的なデザイン(design)の装飾を加える等する事で)、独自の世界を創り出した建築家でした。もっとも、この時代(1920年代から1930年代)において、日本の民間企業が建築家に求めた合理性とは、経済上・機能上の合理性であり、建物のデザイン(design)に関しては、あくまでも保守的でした。渡辺
節(watanabe setsu)の、こうした姿勢に、渡辺 節(watanabe setsu)の下で学んだ、村野 藤吾(murano
togo)は、影響を受けたとされます。渡辺 節(watanabe
setsu)は、第二次世界大戦後は、大阪(osaka)府(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。概ね、大阪都市圏に該当する地域)建築士会の会長等を務めました。
写真以下10枚。渡辺 節(watanabe setsu)の作品例。

写真は、借り物(写真の作者。663highland)。1922年に、大阪商船(Osaka Shosen.。現在の商船三井(Shosen Mitsui))の神戸(kobe)支店のビルとして建てられた建物です。現存しています。
写真以下8枚(写真は、借り物。写真の著作者。Hiromitsu
Morimoto。 -
http://www.hetgallery.com/)。旧、ダイ(dai)ビル本館。1925年に、大阪の都心部に建てられた、オフィス(office)用ビルです。2009年に建て替えの為、解体されました。この、1925年に建てられた、旧、ダイ(dai)ビル本館の設計には、当時、渡辺
節(watanabe setsu)の建築設計事務所に勤務していた、村野 藤吾(murano togo)が、大きく関わりました。






写真以下2枚は、1937年に増築された部分です(設計は、同じく、渡辺
節(watanabe setsu)の建築設計事務所)。1937年に増築された部分に関しては、(既に、村野 藤吾(murano
togo)は、渡辺 節(watanabe setsu)の建築設計事務所を辞め、独立していた為)、村野 藤吾(murano
togo)は、関与していません(おそらく。。。)。



写真は、借り物(写真の作者。Jo)。近鉄(kintetsu)百貨店(デパート)(大阪に本店を置き、関西(kansai)大都市圏を拠点とした、デパートのチェーン(chain)。1920年創業)の、京都(kyoto)店の建物。1936年に完成。近鉄(kintetsu)百貨店(デパート)の、京都(kyoto)店は、長引く、日本の経済停滞や、近くに、集客力のある、新しいデパートが開業した事等による、業績不振の為、2007年に閉店。この建物は、同年(2007年)、建て替えの為、解体されました。

写真は、借り物(写真の作者、Mti)。神戸(kobe)郊外にある、ゴルフ場(golf course)で、日本を代表する名門ゴルフ場(golf course)の一つである、広野(hirono)ゴルフ倶楽部(1932年オープン(open))の、現在の、クラブハウス(利用者の為の施設の建物)。1958年完成。渡辺 節(watanabe setsu)の、晩年(70代)の作品です。ちなみに、1957年に、火事により?、焼失するまで使用されていた、1932年に完成した、広野(hirono)ゴルフ倶楽部の先代(初代)のクラブハウス(利用者の為の施設の建物)も、渡辺 節(watanabe setsu)の設計です。1958年に再建された、現在の、広野(hirono)ゴルフ倶楽部の、クラブハウス(利用者の為の施設の建物)は、詳しい事は分かりませんが、広野(hirono)ゴルフ倶楽部の、クラブハウス(利用者の為の施設の建物)の先代の建物の写真を見る限り、少なくとも、外観は、広野(hirono)ゴルフ倶楽部の、クラブハウス(利用者の為の施設の建物)の先代の建物(1932年完成)を、忠実に再現した物の様です。
以下、しばらく、参考に、前の投稿で、横浜の、日本郵船(Nippon
Yusen)歴史博物館で、前に行われていた、日本の客船の、インテリア(内装)の歴史に関する展覧会(exhibition)に関する投稿の中から、村野
藤吾(murano
togo)に関連する、投稿文を抜き出して来ました。この展覧会(exhibition)は、主として、第二次世界大戦前の、日本の客船の、インテリア(内装)における、日本の建築家の活躍に焦点を当てた展覧会(exhibition)でした。以下、この展覧会(exhibition)の説明は、主として、この展覧会(exhibition)のパンフレット(booklet)の文を、要約又は抜粋・引用した物です。
幸いにも、多数の図面資料が現存している事から、村野 藤吾(murano togo。日本の建築家。1891年生まれ。1984年に亡くなる)は、日本の建築家の中で、第二次世界大戦以前において、客船のインテリア(内装)の設計を手がけていた事を、最も知られている建築家であると言えるでしょう。1918年に、早稲田(waseda)大学理工学部建築学科を卒業した、村野 藤吾(murano togo)は、大阪の、渡辺 節(watanabe setsu)の建築設計事務所に入所します。そして、1929年に独立し、自身の(自分の)建築設計事務所である、村野(murano)建築事務所を、大阪に開設しました。村野 藤吾(murano togo)は、箱根(hakone。東京近郊を代表する観光地・保養地の一つ)の、箱根(hakone)princeホテル(箱根(hakone)にある、リゾート(resort)ホテルの一つ)等、ホテルの設計も、たくさん手がけており、客船のインテリア(内装)の、華やかな空間を、その陸上建築にも見る事が出来る、希少な建築家です。村野 藤吾(murano togo)が、客船のインテリア(内装)の設計を請け負った、きっかけについては、はっきりとした事は、分かっていません。おそらくは、日本の、客船の建造数が増え、その規模も大きくなった事で、中村 順平(nakamura jyunpei。日本の建築家。日本の建築家の中で、第二次世界大戦以前において、日本の大型客船のインテリア(内装)の設計を、最も多く手がけた)以外の建築家が必要になってきた事が、その理由の一つとして考えられます。また、大阪商船(Osaka Shosen.。現在の商船三井(Shosen Mitsui)。日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つ)の客船のインテリア(内装)設計を最初に手がけている事から、村野 藤吾(murano togo)と、大阪商船(Osaka Shosen)との繋がりにも注目する必要があります。おそらくは、関西(kansai。大阪・京都・神戸(kobe)を中心とする大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第2の人口を有する大都市圏(特に、当時は、東京圏と並ぶ、日本の2大都市圏))において、最も信頼のおける建築家の一人として、当時の、大阪商船(Osaka Shosen)の工務部門の技師、和辻 春樹(watsuji haruki)(日本の船舶工学者)が、村野 藤吾(murano togo)を起用したのだろうと推測されます。村野 藤吾(murano togo)が設計した、客船のインテリア(内装)は、豪華絢爛たる、調和のとれた、上品な、「現代日本様式」でした。新しい素材を多用した、アール・デコ(Art Deco)を基本に、現代的でありながらも、客船ならではの華やかさを存分に放つインテリア(内装)は、中村 順平(nakamura jyunpei)と並んで、豪華客船時代の、「現代日本様式」を代表するデザイン(design)であると言えるでしょう。村野 藤吾(murano togo)にとって、客船のインテリア(内装)の設計が、とりわけ、非日常性の演出と言う意味において、その後の、ホテルの設計に、少なからぬ影響を与えた事は、間違いありません。

写真上。橿原丸(kashiharamaru)(1939年に建造開始され、1942年完成予定であった、
27,700トン(GT)の、幻の、日本の豪華客船。時局の悪化により、完成する事なく、日本軍に買い上げられ、空母、隼鷹(jyunyou)へと改造された)の1等(first
class)喫煙室(smoking room)(村野 藤吾(murano
togo)設計)のカラースキーム(1940年制作)。黒地のソファ(sofa)に赤色の座面と言う、斬新さが見られるデザイン(design)。大阪商船(Osaka
Shosen)の客船のインテリア(内装)設計を多く手がけた村野 藤吾(murano
togo)は、橿原丸(kashiharamaru)で、初めて、日本郵船(Nippon
Yusen)株式会社(日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つ)の豪華客船の設計を手がけた。

あるぜんちな丸(Argentina maru。日本の、大阪商船(Osaka Shosen)の客船。1939年完成。12,755トン(GT)))の、1等(first class)食堂(dining room・レストラン)。村野 藤吾(murano togo)設計。壁は、総桐柾張り、窓には欄間彫刻が施され、柱には、大理石が張られた。手前の照明シェードには、蒔絵(makie)が、施され、「現代日本様式」を代表する意匠(design・装飾)である。
写真以下4枚。村野 藤吾(murano togo)の作品例です。

写真は、借り物(おそらく、1930年代の写真)。そごう(sogo)デパート(1830年に、大阪で創業した、日本のデパートのチェーン(chain))の、大阪店の、先代の建物。1935年完成。1930年代に建てられた当時においては、かなり、現代的な建物であったと思われます。2003年に建て替えの為、解体される。なお、2005年に建てられた、そごう(sogo)デパート大阪店の、新しい建物は、2009年に、そごう(sogo)デパート大阪店が閉店した事に伴い、改装を加えられた後、同年(2009年)から、隣接する、大丸(daimaru)デパート(1717年に京都(kyoto)で創業。1726年、大阪に進出。本店は、大阪の御堂筋(midousuji)沿いに有る心斎橋(shinsaibashi)店。関西(kansai)大都市圏に基盤を置く)の、心斎橋(shinsaibashi)店(大丸(daimaru)デパートの本店。かつて、そごう(sogo)デパート大阪店の、ライバル(競争相手)であった)の建物の一部として、使われています。

写真は、借り物(写真の作者。ja:User:Wiki708)。宇部(ube)市、渡辺(watanabe)翁(ou)記念会館。1937年に完成した、宇部(ube)市(日本の西部の、山口(yamaguchi)県にある、人口約17万人の、中都市(中規模程度の人口を有する都市))が、運営する、公営(市営)の、音楽ホール(concert hall)です。1930年代に建てられた当時においては、かなり、現代的な建物であったと思われます。

写真は、借り物(写真の作者。Miyuki Meinaka)。志摩(shima)観光ホテルの建物の一つ。1969年完成。志摩(shima)観光ホテルは、紀伊(kii)半島(西日本を代表する保養地・観光地の一つ)にある、1951年に開業した、高級リゾート(resort)ホテルです。志摩(shima)観光ホテルの、1951年の開業時の建物(志摩(shima)観光ホテルの敷地内に、現存している様です)も、村野 藤吾(murano togo)が設計を手掛けました。

写真は、借り物(写真の作者、Wiiii)。新高輪(新takanawa)princeホテル(grand
Prince Hotel New Takanawa)の建物。1982年完成。村野 藤吾(murano
togo)の、最晩年(90歳代)の作品の一つです。新高輪(新takanawa)princeホテル(grand Prince Hotel New
Takanawa)は、東京都心にある、princeホテル系列のホテルの一つで、中上級(upper-middle)classのホテルと言った感じです。
以上、基本的に、2013年の6月の下旬に行った投稿から抜粋して来た物で(投稿文は、2013年の6月の下旬の投稿を前提としています)でした。
村野 藤吾(murano togo)が、建物の設計を手掛けた(2008年に建てられた建物を除く)、志摩(shima)観光ホテルに関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
志摩観光ホテル他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3985014?&sfl=membername&stx=nnemon2
志摩観光ホテル他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/3985014?&sfl=membername&stx=nnemon2
村野
藤吾(murano togo)が、建物の設計を手掛けた、箱根(hakone)princeホテル(the prince
hakone)(箱根(hakone)(日光(nikko)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)にあるリゾート(resort)ホテル)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
初春の箱根スイーツコレクション他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3983780?&sfl=membername&stx=nnemon2
初春の箱根スイーツコレクション他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3983780?&sfl=membername&stx=nnemon2
箱根princeホテル1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3983778?&sfl=membername&stx=nnemon2
箱根princeホテル2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3983774?&sfl=membername&stx=nnemon2
箱根princeホテル3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3983773?&sfl=membername&stx=nnemon2
箱根princeホテル1(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3983778?&sfl=membername&stx=nnemon2
箱根princeホテル2(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3983774?&sfl=membername&stx=nnemon2
箱根princeホテル3(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3983773?&sfl=membername&stx=nnemon2
大和ミュージアム・宇宙戦艦ヤマト他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3903429/page/15?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の近代の船の歴史後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3877760?&sfl=membername&stx=nnemon2
氷川丸(歴史のある文化財の客船)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758955/page/23?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758717/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758716/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758715/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758713/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本様式(建築・インテリア史)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3874778?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本様式(建築・インテリア史)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3874777?&sfl=membername&stx=nnemon2