以下、富士(fuji)キャビン(cabin)に関しては、wikiを参考にしました。
富士(fuji)自動車は、日本に、かつて存在していた、小規模、自動車会社の一つです。
富士(fuji)自動車は、1914年に、東京で、輸入自動車の木製車体の制作も手掛ける、木工の工場として創業しました(元々、会社名に、自動車と言う名前は付いていませんでした。第二次世界大戦中は、日本軍用の木製品の製造にも関わり、第二次世界大戦直後の混乱期からは、木製の西洋家具の製造も行う様になりました)。
富士(fuji)自動車は、1947年に、日産(nissan)自動車(1911年創業。1910年代に乗用車の生産を開始。日本の、三大自動車会社(トヨタ(toyota)、日産(nissan)、本田(honda))の一つ)の系列の工場となり、1948年に、かつての、日産(nissan)自動車の社長が、社長に就任すると、横須賀(yokosuka)(下の補足説明を参照)に、自動車工場を構え、会社名を、それまでの木工所から、富士(fuji)自動車と名前を改め、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme Commander of the Allied Powers)(第二次世界大戦の、日本の敗戦に伴い、日本において占領政策を実施した連合国軍(実質的にアメリカ軍)の機関。1952年、日本の、完全な、主権の回復により、活動を停止)から依頼を受けて、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme Commander of the Allied Powers)の、軍事用の自動車の、修理・解体・再生事業を請け負う会社となりました。
横須賀(yokosuka):東京の、南部近郊の海沿いに位置する中都市(中規模程度の人口の都市)。横須賀(yokosuka)は、伝統的に(古くから)、日本最大の、軍港都市であると共に、日本を代表する、軍港都市となっています。横須賀(yokosuka)は、近代以降、日本の海軍(第二次世界大戦後は、海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に該当する))が、東京圏における拠点を置いている都市であり、伝統的に、日本の海軍(第二次世界大戦後は、海上自衛隊)の、主要な拠点となっている都市の一つであると共に、最も、重要な拠点となっている都市です。また、横須賀(yokosuka)は、第二次世界大戦後は、アメリカの海軍も、基地を置き(駐屯をし)、横須賀(yokosuka)の、アメリカ海軍の基地は、アメリカ海軍の、海外における、最大の基地となっていると共に、東アジア地域における、アメリカ海軍の、最も、重要な基地となっています。
1950年に、朝鮮戦争(Korean War)が勃発すると、戦場から、破損した、アメリカ軍を中心とした国連軍の、軍事用の、自動車が、大量に、富士(fuji)自動車の、横須賀(yokosuka)の工場に持ち込まれ、富士(fuji)自動車は、会社の規模を拡大しました。当時(1950年代初め頃)、富士(fuji)自動車の、横須賀(yokosuka)の工場は、東洋一の(アジア一の)、自動車工場と呼ばれていました。
富士(fuji)自動車は、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme Commander of the Allied Powers)と朝鮮戦争(Korean War)の国連軍の、軍事用の、自動車の、修理・解体・再生事業の次期の事業として、1952年に、クライスラー(Chrysler)と技術提携を行い、1952年から1953年にかけて、日本国内において、日本国内市場向けの、排気量3500ccの、Plymouthの製造を行いましたが、当時、当面の間、日本の経済的資源を、日本の第二次世界大戦後の復興に集中して割り当てたく、日本国内の大型の乗用車産業の育成は、時期尚早と考えていた(当時、日本の政府は、当面の間、日本国内市場における、大型の乗用車は、輸入の自動車に頼る方が、日本国内の大型の乗用車産業を育成するよりも、経済効率が良いと考えていた)、日本政府の妨害にあい、富士(fuji)自動車の、日本における、Plymouthの製造は、中止に追い込まれました。
富士(fuji)自動車は、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme Commander of the Allied Powers)が、1952年に活動を停止した後は、日本国内の、アメリカ軍の基地(日本駐屯の、アメリカ軍)の、軍事用の自動車の、修理・解体・再生事業を、引き続き、請け負い、富士(fuji)自動車が、1948年から1958年までに、再生した、アメリカ軍の、軍事用の自動車は、延べ、22万9,100台に及びました。
富士(fuji)自動車は、1953年に、第二次世界大戦以前において、日本の、飛行機のエンジン(engine)等を開発・生産していて、第二次世界大戦後は、没落し、日本の、小型のオートバイ(motorcycle)のエンジン(engine)等を開発・生産していたが、経営危機に陥っていた、日本の、小規模な会社を吸収合併した事により、自前の、エンジン(engine)の技術を手に入れました。
これにより、富士(fuji)自動車は、最初の、且つ、唯一の、市販された、富士(fuji)自動車が独自に開発した、自動車である、富士(fuji)キャビン(cabin)を、製造・販売しました。
富士(fuji)キャビン(cabin)(1955年発表。1956年から1957年にかけて製造・販売。日本国内でのみ販売されました)は、富士(fuji)自動車の、木工技術の蓄積を生かして、当時、まだ、最新の素材であった、繊維強化プラスチック(FRP)樹脂を車体に採用する等した、斬新な設計の、2人乗りの、超小型の(とても小型の)自動車でした。
富士(fuji)キャビン(cabin)の最大の特色は、車体にFRPを用いたのみならず、世界で初めてモノコック構造全体をFRPのみで構築する先駆的手法を採用した事にありました(この手法を用いた日本以外での最初の例は、1957年にデビュー(debut)した、イギリスの初代Lotus Elite)。
富士(fuji)キャビン(cabin)は、当時、斬新な設計・斬新な面を持つ、超小型の(とても小型の)自動車ではありましたが、(当時、自動車としては、とても安い値段で販売されましたが、スクーター(scooter)よりも、遥かに(ずっと)高い値段であったのにもかかわらず)、操縦性や乗り心地が悪い上に換気が悪く、夏は、酷く暑くなり、冬になってもヒーター(heater)がないという実態は、全くの屋根付きスクーター(scooter)に過ぎず、さらに、ワイパー(windscreen wiper)は、運転者が左手で操作する原始的な手動式で、屋根はあっても雨天時の運転に難渋させられる事は必至であった事等から、商業的に失敗し、売れ行きは悪く(少数しか売れずに)、1957年に生産・販売が中止されました。
写真以下3枚(写真は、借り物)。富士(fuji)キャビン(cabin)。富士(fuji)キャビン(cabin)は、一つ眼の(ライト(headlamp)が一つの)、個性的な、デザイン(design)の自動車です。富士(fuji)キャビン(cabin)は、問題が多かった自動車の様ですが、おそらく、当時の、日本の子供達に、斬新で、未来的・宇宙船的な、夢を与えた、デザイン(design)の自動車であったのではないでしょうか。

写真は、借り物。富士(fuji)キャビン(cabin)。発売前の広告(1955年8月)。広告には、「雨の日でも風の日でも安全で快適な」とありますが、前述の通り、現実で、そうであったのか(「雨の日でも風の日でも安全で快適」であったのか)は疑問が残ります。

写真の作者:Mytho88。

写真の作者:Jason Sullivan。アメリカの、Georgia州にある、世界最大の、古い、超小型自動車(microcar)のコレクション(collection)を有する、私営の、古い、超小型自動車(microcar)専門の博物館より。
富士(fuji)自動車は、1955年に、アメリカ軍の軍事用の自動車の修理の依頼の激減に伴う、横須賀(yokosuka)の工場の、人員整理を発表し、これを不満とする工場の労働者との間に労働争議が発生、国会でも問題に取り上げられる事態となり、1960年まで社内は混乱しました。富士(fuji)自動車の、横須賀(yokosuka)の工場は、争議の末、1960年に閉鎖され、富士(fuji)自動車の、横須賀(yokosuka)の工場は、日産(nissan)自動車が買収し、1961年から、日産(nissan)自動車の工場の一つとして操業を開始しました。
富士(fuji)キャビン(cabin)が、商業的に失敗し、アメリカ軍の軍事用の自動車の修理事業を失い、労働争議で疲弊した、富士(fuji)自動車の自動車部門でしたが、1961年の、第8回、東京モーターショー(Tokyo Motor Show)(1954年から東京圏で開催されている、モーターショー(motor show)。現在は、Japan Mobility Showと言う名前となっている。伝統的に、Detroit Auto Show(North American International Auto Show)、International Motor Show Germany、Geneva International Motor Show、Paris Motor Show、東京モーターショー(Tokyo Motor Show)(Japan Mobility Show)で、世界の5大モーターショー(motor show)と呼ばれている。それよりも前は、Detroit Auto Show(North American International Auto Show)、International Motor Show Germany、東京モーターショー(Tokyo Motor Show)(Japan Mobility Show)で、世界の3大モーターショー(motor show)と呼ばれていた)で、柳 宗理(yanagi sori)(1915年生まれ。2011年に亡くなる。1950年代初め頃から活躍していた、日本の、有名な、工業・産業デザイナー(industrial designer)のデザイン(design)事務所がデザイン(design)した、卵形の個性的なデザイン(design)を持ち、二気筒356cc、2サイクル水平対向エンジン(flat engine)を搭載した、軽自動車の、ミニバン(minivan)、ガスデン(gasuden)ミニバン(minivan)を発表しましたが、当時の、富士(fuji)自動車には、これを生産・販売する余力はありませんでした。
適当に、検索して出て来たsiteから、富士(fuji)自動車の、卵形の、可愛いデザイン(design)の、軽自動車の、ミニバン(minivan)、ガスデン(gasuden)ミニバン(minivan)(画像をクリックで画像を拡大)(当時、富士(fuji)自動車には、これを量産・販売する余力はなく、市販されずに終わった)→
https://yamada.sailog.jp/weblog/2015/05/post-57d3.html
富士(fuji)自動車の、元々の事業である、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端部に位置する区)の、木工工場では、1994年まで、西洋家具の製造を行っていました。
富士(fuji)自動車は、1962年に、小松(komatsu)製作所(下の補足説明を参照)と業務提携をし、建設機械・建設用の自動車の部分や、農林機器等の製造に、活路を見いだしました。富士(fuji)自動車は、1973年に、社名を変更、2002年には、小松(komatsu)製作所の完全子会社となり、小松(komatsu)製作所の一部門として、産業建設機器、農林機器、航空機部品等を作っていましたが、農林機器部門は、2007年に、ハスクバーナ(Husqvarna)(スウェーデン(Sweden)の、大規模、農林機器等の会社)に、買収されました。
小松(komatsu)製作所:小松(komatsu)製作所(1917年創業)は、日本の大規模、建設機械・建設用の自動車の会社の一つであると共に、日本最大の、建設機械・建設用の自動車の会社となっています。また、アメリカのCaterpillar社に次ぐ、世界2位の規模の、建設機械・建設用の自動車の会社となっています。小松(komatsu)製作所は、世界最先端の、建設機械・建設用の自動車の技術を有する会社の一つです。小松(komatsu)製作所は、石川(ishikawa)県(日本の中部地方の、北西部に位置する県)の、小松(komatsu)市(人口10万人程の、中都市(中規模程度の人口を有する都市))に拠点を置く会社です。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、小松(komatsu)製作所に関する参考の投稿。
小松(komatsu)930E→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4019128?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、参考の投稿・関連投稿。
水の江 瀧子(古い女優)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4015137/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本自動車歴史100年・自動車文化4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3891989/page/30?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の飛行機の歴史他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890065?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の飛行機の歴史他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890064?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の飛行機の歴史他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890063?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の飛行機の歴史他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890062?&sfl=membername&stx=nnemon2