基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、一昨年の12月の前半に行った投稿の再掲です。
以下、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、学生の頃(高校生・大学生の頃)、おそらくチャラチャラしていた事もあってw、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかけられていたのですが、母も女子大生の時、一応、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかかっていたそうですw(母方の祖父は穏やかで温和な性格であったのですが、当時、母にそれだけはやめてくれと言っていたそうでw、母は、母方の祖父に従って、断っていたそうです)。」
「私の母は、大学を卒業した後、私の父と結婚をするまでOLをしていました。私の父と母が知り合ったきっかけは、二人共、まだ社会人になってから間もない頃、英検の準備学校で(母は英検1級持ってます。父は英検1級は挫折しましたw)、母が教室に通う初日に、教室に入った時に、既に着席していた(その時初対面の)父の顔を見て、一目惚れした私の母が、咄嗟の判断で、(さり気なくか強引か分かりませんがw)父の隣りの席に座り、教科書を忘れたふりをして、父に見せて貰った事です。」
以下、前に投稿で紹介した動画です。ちなみに、私は、DaiGo(メンタリスト)の話の動画は、以下の動画を含めて、ほぼほぼ、今までに、kjで紹介している物しか見ていません。
見た目が上の相手と付き合う心理学〜美女と野獣カップルが成り立つ条件(2019年の5月17日にアップされた動画です)→
https://youtu.be/lrwRfqLFo7Q
ちなみに、上で、リンクを付けて紹介している動画、「見た目が上の相手と付き合う心理学〜美女と野獣カップルが成り立つ条件」で、DaiGo(メンタリスト)は、イケメン・美女が、そのルックスだけで、異性を惹きつける事が出来るのは、最初の3か月だけで、後は、性格の方が重要になって来ると言った感じの内容の事を言っています。
心理学が明かす【長期的にモテる】性格ランキング(2019年の7月4日にアップされた動画です)→
https://youtu.be/7N2bXMMUig4
上でリンクを付けて紹介した動画、「見た目が上の相手と付き合う心理学〜美女と野獣カップルが成り立つ条件」と「心理学が明かす【長期的にモテる】性格ランキング」に関して、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた2つの投稿)と合わせて、ご覧下さい。
YOASOBI他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3644739/page/16?&sfl=membername&stx=nnemon2
JAL搭乗音楽他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3613912/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
以上、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
動画は、借り物。適当に、検索して出て来た動画の中から。。。中村 晃子(nakamura akiko)の曲の例。中村 晃子(nakamura akiko)-「ローマの灯」(1969年)。
以下、基本的に、2016年に行った、韓国の方に、日本の文化を紹介する投稿から抜粋して来た物です。ちなみに、中村 晃子(nakamura akiko)は、私は、元々知らなくて、kjで、韓国人に、1960年代の日本の文化を紹介する関連の投稿を作成する際に、検索したら出て来た人で、たまたま、その(中村 晃子(nakamura akiko)の)若い頃の顔が、以下で話す、私が過去に交際していた女性の一人に、顔がよく似ていた事から、印象に残って、kjの、その投稿において紹介したものですw
中村 晃子(nakamura akiko)(1948年生まれ)は、1960年代(高校生の時)から1990年代頃にかけて活躍していた、日本の女優です。中村 晃子(nakamura akiko)は、若い頃は、女性、アイドル(idol)歌手としても活躍し、人気があった様ですが、本人は、あくまでも、女優が、本業(主な職業)と考えていた様です。ちなみに、日本では、同じ位、成功している事を前提にすれば、女性、アイドル(idol)歌手よりも、女優の方が、芸能界における地位や、社会的な評価も高いです。
動画は、借り物。中村 晃子(nakamura akiko)の曲の例。中村 晃子(nakamura akiko)-「虹色の湖」(1967年)。
ちなみに、若い頃の、中村
晃子(nakamura akiko)は、(中村 晃子(nakamura
akiko)が、デビュー(debut)したのは、私が、生まれる、遥かに(ずっと)、前の事で、私は、若い頃の、中村 晃子(nakamura
akiko)は、知らない世代ですが)、私が、過去に付き合った女性の一人に、顔が似てますw その女性(色白の女性でした)と、中村
晃子(nakamura akiko)は、身長は、だいたい同じ位で、体形は、若い頃の、中村 晃子(nakamura
akiko)の方が、芸能人らしく、痩せていて、顔も小さいですが(ちなみに、私の、今の彼女は、顔が、小さいです)、胸は、(若い頃の、中村
晃子(nakamura akiko)よりも)、その女性の方が、大きかったですw
その女性(私が、付き合っていた当時、その女性は、20代の半ばでした)は、小規模会社の経営者の娘で、当時、親の経営する会社の、事務を手伝っていました。その女性は、付き合う前は、こんなに性格の良い女性は、世界中、探してもいないと思う程、性格が良い印象であったのですが(その女性とは、付き合う前から、仕事の関係で、定期的に(二週間に1回位の割合で)、顔を合わせる(会う)、仕事上の、知り合いで、付き合う前から、ある程度、二人で、食事をしたり、居酒屋やバー(bar)で、お酒(アルコール
(alcoholic)飲料))を飲む事をしていましたし、付き合う前に、何回か、休みの日、一日かけたデート(date)もしました)、その女性は、(優しくて、面倒見の良い面もある事はあったのですが)、本来的には、悪い意味で、とても、クセ(個性)が強い性格で、その様な面を、付き合ってから、徐々に、出す様になって来て、結局、その女性との交際は、長続きしませんでした。
その女性は、どの様に、悪い意味で、クセ(個性)が強かったのかと言うと、その女性に関しては、両親に、甘やかされれて育ったのが、悪い方面で出てしまったと言った感じで、とにかく、とても、我儘であったと言う事です。その女性は、少しでも、自分の思い通りに行かないと、すぐに不機嫌になり、拗ねてしまい、その事が、あまりに重なって、私にとって、大きなストレスとなり、その事が原因で、その女性との交際は、長続きしませんでした。前述の通り、その女性は、優しくて、面倒見の良い面もあったのですが、それは、彼女が、私に優しくしたり、私の面倒を見たりしたくなった時に、私に、とても優しくしたり、私の面倒を良く見てくれたりして(それは、それで、有り難かったし、それが、その女性の、性格の良い面でもあるのですが)、どちらかと言えば、自分本位の、優しさ・面倒見の良さと言った感じでした(とにかく、その女性は、男性でも、何でも、一度、自分の物にしてしまったら、何でも、自分の思い通りにしないと気が済まない性格の様でしたw)。その一方において、その女性は、(自分が好きになった男性を手に入れるまではw)、私が、その女性と、付き合う前に、「こんなに性格の良い女性は、世界中、探してもいない」と騙されたくらいに、外面(外部の人と接する時の態度)が異様なまでに、良いのですw
私は、丁度、その女性と、出会って、交際していた時、人生の中で、唯一、結婚相手として、良い女性と巡り合えたのならば、結婚しても良いと考えていた時期でした(そうした事もあって、私は、その女性と交際する前に、その女性の、異様なまでに良い、外面(外部の人と接する時の態度)に惹かれたのですw)。
その女性と交際している間、その女性も、その女性の両親も、私と、その女性が、結婚する事(結婚を前提に交際する事)に、かなり、乗り気で、私は私で、若い頃から、男性の共同経営者(元々、大学時代の友人)と、二人で、小さな個人事業(その男性と二人だけで、営んでいる会社です)を営んでいるのですが(ちなみに、男性の共同経営者(元々、大学時代の友人)とは、もう友人と言う関係ではなく、プライベートで(個人的に)、一緒に、遊ぶ事はないですし、休憩時間に、一緒に外食もしません(ただし、仕事が絡んだ外食は除く。。。)。その男性とは、仕事で、しょっちゅう(いつも)顔を合わせているので、プライベートで(仕事以外で)、一緒にいる気は、一切しない(仕事以外で、一緒に過ごす気分には、全くならない)と言った感じです)、その女性の父親は、私が、その女性と結婚したら、将来的には、自分の営む会社の経営も、私に任せるつもりでいた様です。しかし、前述の通り、私は、その女性と交際している間に、その女性の、悪い意味で、とても、クセ(個性)が強い性格に耐えられなくなり、結局、その女性との交際は、長続きしませんでした。
その女性は、美人でしたし、実家も裕福でしたが、今思っても、その時、その女性の、悪い意味で、とても、クセ(個性)が強い性格を我慢して、早まって、その女性と、結婚なんかしなくて良かったと思いますw。
ちなみに、その女性と別れた後は、私も、その女性も、その女性の両親も、気まずいので、その会社(その女性の父親が経営する会社)の担当は、申し訳ないが、全て、私の、男性の共同経営者に任せましたw(担当して貰う事にしましたw)。
以上の様な経緯があり、その女性と別れた後、私は、再び、結婚は、当分の間、しなくても良いと言う考えに、逆戻りしましたw
もちろん、日本の女性は、優しい女性・性格の良い女性が、たくさんいますが、その女性は、私が、付き合って来た、又は、仲良くして来た女性の中で、例外的に、悪い意味で、とても、クセ(個性)が強い性格でしたw(私が、人生の中で、唯一、結婚相手として、良い女性と巡り合えたのならば、結婚しても良いと考えていた時期に出会った女性が、その女性であったと言うのも、何とも、皮肉な話ですw)。
以下、中村 晃子(nakamura akiko)の話に戻ります。
中村
晃子(nakamura akiko)は、若い頃は、自動車が好きで、若い頃は、Volkswagen Karmann
Ghia、prince自動車の自動車等に乗っていた様です(中村 晃子(nakamura
akiko)は、母親が、オペラ(opera)歌手として活躍していた女性で、元々、実家も、ある程度、裕福であった様です。おそらく。。。)。Prince自動車は、1940年代後期から、1966年まで存在していた、日本の、規模の大きな自動車会社で(ただし、大規模自動車会社としては、規模は、小さい)、高級自動車会社です。
あくまでも、私の推測であり、間違っていたら、申し訳ありませんが、自動車好きであった(自動車が好きであった)、若い頃の、中村
晃子(nakamura
akiko)が、乗っていた、prince自動車の自動車は、2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)ではないでしょうか。。。
中村
晃子(nakamura akiko)は、私生活においては、日本の、テレビ局(television
station)の、producerと同棲していた(一緒に暮らしていた)事等があった様ですが、結局、結婚はせず、弟の家族と共に、千葉(chiba)県(東京の東部郊外)の、豪邸(大きな邸宅)に、暮らしている様です。
以上、基本的に、2016年に行った、韓国の方に、日本の文化を紹介する投稿から抜粋して来た物でした。
以下、前述した、prince自動車及び、prince自動車の自動車、2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)について紹介します。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)から抜粋して来た物です。
日本の飛行機の歴史他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890064?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、基本的に、2017年の3月の下旬に行った投稿から抜粋して来た物です(投稿文は、2017年の3月の下旬の投稿を前提としています)。
この投稿は、前に、行った投稿の中から、日本の飛行機に関連する物を抜粋した物です。
第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまいました(大学の授業から航空力学の科目を取り除かれもしました)。これにより、(1930年代後半以降、第二次世界大戦までは、世界有数の飛行機の技術を有する国であった)日本の飛行機の技術の、発展は、しばらくの間、空白となって(途絶えて)しまいました。しかしながら、行き場を失った、日本の飛行機の開発者・技師(engineer)達の多くは、自動車産業へと移り(自動車の開発者・技師(engineer)へと転職し)、(もちろん、飛行機の技術と、自動車の技術は、似ている部分もあるが、異なる部分も多いので、それにより、日本の自動車技術が、直ちに、世界水準に達した訳ではなく、日本の自動車技術が、世界水準に達するには、時間がかかりましたが)、第二次世界大戦後の、日本の自動車技術及び自動車産業の発展の基礎を築くのに、少なからぬ貢献をしました。
中島(nakajima)飛行機は、1917年から1945年まで存在した、日本の、大規模、飛行機会社で、第二次世界大戦が終わるまで、三菱(mitsubishi)重工業(下の補足説明参照)と共に、日本の、2大、飛行機会社であり、三菱(mitsubishi)重工業と共に、日本最大級、且つ、世界的に見ても、規模の大きな、飛行機会社でした。中島(nakajima)飛行機は、第二次世界大戦において、三菱(mitsubishi)重工業と共に、日本軍に、最も、多くの軍用機を提供しました。
三菱(mitsubishi)重工業:1884年創業。日本最大級の重工業会社の一つであり、日本を代表する重工業会社の一つ。
第二次世界大戦以前の、日本の飛行機に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本の飛行機の歴史他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890065?&sfl=membername&stx=nnemon2
中島(nakajima)飛行機を前身とする、日本の、大規模、自動車会社、prince自動車(後で紹介します)と、スバル(subaru)は、何れも、技術志向の(技術を重視した)、自動車会社ですが、高級自動車会社を目指した(高級自動車会社であった)、prince自動車は、滅び、1966年に、日産(nissan)自動車(日本の、三大、自動車会社の一つ)に吸収され、大衆自動車会社を目指した(大衆自動車会社である)、スバル(subaru)は、現在まで、存続しています。
prince自動車(1947年から1966年に存在した自動車会社)は、中島(nakajima)飛行機と立川(tachikawa)飛行機(1924年に設立された、日本の飛行機会社。上でリンクを付けた投稿、「日本の飛行機の歴史他1」を参照)を、前身とする自動車会社です。
prince自動車は、1947年から、1966年に、日産(nissan)自動車に吸収されるまで存在した、日本の、大規模自動車会社(ただし、大規模自動車会社としては、規模は、小さい)で、高級自動車会社です。
写真以下5枚。2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)。1962年に、デビュー(debut)した、prince自動車の、中型の、高級自動車です。2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)に搭載されていた、2.0
L(1988cc)の、直列6気筒の、PRINCE自動車製の、エンジン(engine)は、おそらく、当時、2.0L以下の自動車のエンジン(engine)としては、世界でも、最高水準の性能でした(おそらく、当時、このPRINCE自動車製の、直列6気筒、2.0L
(1988cc)エンジン(engine)に匹敵する水準の、2.0L以下の自動車のエンジン(engine)を設計・製造する技術力を有する自動車会社は、世界でも、BMW位でした)。2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)は、デザイン(design)も、中々、良い(デザイン(design)も、優れている)自動車だと思います。可能性は、低かったと思いますが、2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)は、prince自動車が、滅びずに、順調に発展して行ったら、BMWの様な、高級自動車会社になっていたのではないかと感じさせる様な自動車です。
以下3枚の写真は、借り物。



写真以下2枚。PRINCE&SKYLINE MUSEUM(長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)にある、自動車博物館)の展示より。。。
prince自動車が、存在した時代は、第二次世界大戦直後の混乱は、一段落したけど、まだ、経済復興の途中で、日本は、まだ貧しく、第二次世界大戦以前や第二次世界大戦直後の貧しさの名残があった時代です。その一方において、誰もが、日本が急速に経済成長をしている事を実感出来て、いつかは、日本が欧米の富裕な先進国に追いつき追い抜くだろうと言う希望と、いつかは、日本を欧米の富裕な先進国に追いつき、追い抜かせて見せると言う気迫に満ち溢れていた時代と言った感じでしょうか。。。日本は、第一次世界大戦(1914年から1918年)が終る頃には、名実共に、工業国且つ世界の大国(列強)の一つとなりましたが(日本は、第一次世界大戦後は、戦勝国且つ資本主義工業国且つ大国として、イギリス、フランス、イタリアと共に、国際連盟(League
of
nations)の発足時の常任理事国となりました)、その一方で、日本と、(日本よりも遥かに前から、強力に工業化やインフラ(infrastructure)整備を推し進めていた)イギリス、ドイツ、アメリカ等との差は、ずっと大きく、また、日本は、途中、第二次世界大戦において、各産業が壊滅的な損害を被った事等もあって、(日本は)、1960年代初め頃まで(特に1950年代頃まで)は、南欧諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル(Portugal)、ギリシア(Greece))等と共に、資本主義工業国(若しくは、資本主義的な工業国。第二次世界大戦後は、西側先進工業国)の中では、最も貧しく、農業国的で、後進的なグループ(group)に属していました。
スバル(subaru)と同じ、中島(nakajima)飛行機を前身とする、自動車会社でも、大衆的な自動車会社を目指した(大衆的な自動車会社であった)、スバル(subaru)と異なり、高級自動車会社を目指した(高級自動車会社であった)、prince自動車は、経営が上手く行かなくなり、1966年に、日産(nissan)自動車(日本の、三大、自動車会社の一つ)に吸収され、消滅しました。
prince自動車が、滅んだ、主な理由として、会社の規模から考えて、収益性(利益)を、度外視した(無視した)、研究開発費の高さ(prince自動車の、当時の、研究開発費は、(prince自動車よりも、はるかに(ずっと)大きな自動車会社であった)、当時の、日産(nissan)自動車よりも高かった様です。現在の感覚で言えば、Mazdaやスバル(subaru)の、研究開発費が、トヨタ(toyota)とまでは行かないが、日産(nissan)や本田(honda)を、上回ると言った、イメージかな。。。)と、高級自動車会社を支える程、まだ、日本の国内市場(日本の消費者)が豊かではなかったと言う事が挙げられます。日本の国内市場だけでは、不十分であるのならば、海外で(世界で)、売れば良いかとも思いますが、当時は、まだ、自動車を含む、日本の工業製品の、ブランド(brand)力は、全般的に、あまり高くはなく、日本の自動車会社が、いきなり、世界に、高級自動車を販売しても、たくさん売るのは、無理であったと思います。例えば、現在において、スペインや、ポルトガル(Portugal)、ギリシャから、Mercedes-BenzやBMWと同程度の技術力を有する(逆に言えば、全般的に、Mercedes-BenzやBMWを超える技術力ではない)自動車会社が登場したとしても、いきなり、世界で、たくさんの、高級自動車を売るのは無理であると思います。仮に、prince自動車が、(全ての国々を合わせれば)、当時の日本とは、比べ物にならない位の、富裕層がいた、当時の、ヨーロッパに存在した自動車会社であったのならば、prince自動車は、滅びる事はなく、Mercedes-BenzやBMWとまでは行かないが、Alfa
RomeoやSaab自動車(Saab自動車は、近年、破産しましたが。。。)程度の、自動車会社・自動車brandとして、存続していたかもしれません。
prince自動車は、経営が上手く行かなくなり、1966年に、日産(nissan)自動車に吸収され、消滅しましたが、prince自動車の技術者及び技術は、日産(nissan)自動車の経営方針の制約を受けながらも、日産(nissan)自動車に承継されました。日産(nissan)自動車(1911年創業。1910年代に乗用車の生産を開始)は、トヨタ(toyota)(1936年に乗用車の生産を開始)等と共に、日本の自動車会社の中では、比較的、乗用車の生産の歴史の長い会社であり、1980年代までは、トヨタ(toyota)と共に、日本の、2大、自動車会社でした。
以上、「日本の飛行機の歴史他2」と言う投稿から抜粋して来た物でした。
prince自動車について、より詳しくは、上でもリンクを付けましたが、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本の飛行機の歴史他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890064?&sfl=membername&stx=nnemon2
また、prince自動車と同じく、中島(nakajima)飛行機を前身とする、日本の、大規模、自動車会社(ただし、大規模自動車会社としては、規模は、小さい)、スバル(subaru)に関しては、すぐ上でリンクを付けた投稿と、以下の2つの投稿(すぐ下でリンクを付けた2つの投稿)を参照して下さい。
日本の飛行機の歴史他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890063?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の飛行機の歴史他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890062?&sfl=membername&stx=nnemon2