貧しくて汚い朝鮮時代



『最近朝鮮事情』全文(文字の大きさ拡大可能)
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010268&VOL_NUM=00000&KOMA=55&ITYPE=0
この文献には朝鮮人は人間というより動物に近いと記述してありますw
朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べています。
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。
そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。
日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」
朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」 「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著 国際企画(日本図書館連盟選定図書) そして日韓併合 人間としての幸福を受けた韓国人 安全で清潔な日製時代 ソウル
平壌
新義州
清津(上3枚)、咸興(下7枚)
元山
1945年8月末と9月初めに、米海軍が軍事目的でソウルや釜山、仁川、群山(忠清南道舒川郡 長項も含む)、晋州、馬山などを撮影した写真1056枚が20日、本紙に独占公開された。
この写真は、米トリード大のデビッド・ネメス教授が1980年代後半に済州大に寄贈したもので、
現在まで済州大地理教育学科(孫明哲〈ソン・ミョンチョル〉主任教授)が所蔵している。
これらの写真資料はすべて印画紙の状態で、大きさは小型(縦横各23センチ)と大型(縦23センチ、
横48センチ)の2つがある。光復(日本支配からの解放)直後の45年8月28日から29日、そして同年
9月9日から10日に撮影されたもので、ソウル以外はすべて港湾を撮影している。ソウルと港湾部
を撮影したのは、日本の敗戦以降、韓国に関する情報を収集するため、米軍が主要地域を優先的
に撮影したものと見られる。なお、写真には撮影日や地域名などが記されているが、ソウルや仁川
を「KEIJO」や「JINSEN」と日本式の発音で記している。また、3000メートル上空から90度の角度で
鉛直撮影(垂直方向からの撮影)したものがほとんどだが、一部には撮影対象を斜めから撮影した
もの(傾斜写真)もある。
済州大の呉尚学(オ・サンハク)教授(地理学)は「われわれの手で撮影されたものではないが、
大韓民国の主要地域を本格的に航空撮影した最初の写真という点で大きな意味がある」と評価した。
日帝強占期、日本当局も航空写真を撮影したが、ソウル都心などを断片的に数カット撮影しただけ
にとどまっている。
なお、国土地理情報院も地図製作を目的とした航空写真を持っているが、66年にオランダと「航空
写真測量事業協定」を結んだ際に撮影された写真を所蔵しているだけだ。済州大地理教育学科側は、
このほかにも日本の九州や本州、沖縄、台湾、フィリピンなど、米軍が44年から45年にかけて航空
撮影した13箱分の写真をネメス教授から寄贈され、保管していると明らかにした。
http://www.chosunonline.com/article/20070628000055
▲東大門(興仁之門)と周辺の清渓川の様子
写真の上が南側だ。今年11月に撤去される予定の東大門運動場のかつての姿を見ていると、
「ここは城東原頭(城の東側の野原という意味で、この地域のかつての呼び名)…」で始まるラジ
オ中継がどこからか聞こえてくるような気分になる。
▲ソウル汝矣島と周辺の風景
広々とした平原のような島に飛行場の施設だけが見える。「上を見なよ、安昌男(アン・チャンナム)
の飛行機、下を見なよ、厳福童(オム・ボクトン)の自転車…」という流行歌の発祥地となったこの飛
行場は、1916年に開設され、韓国人初の飛行士・安昌男は22年12月、ここで母国訪問記念飛行を
行った。