過去にも「政治と経済」でもめたんですねぇ
日本政府が韓日漁業協定を破棄した理由
日本政府は1月23日、1965年に締結された「韓日漁業協定」を一方的に終了すると通告しました。もともとこの協定は、双方が国内法で禁止していた相手国の隣接海域に於ける操業を合法化するために結ばれたものです。協定は、沿岸から12カイリを漁業専管水域とし、その外側に共同管理水域を設けています。そして、共同管理水域での操業取締権を漁船の所属国に付与する「旗国主義」を採用していました。
ところが70年代後半から世界的にはEEZ(200カイリの排他的経済水域)の適用が支配的となり、相互の距離が400カイリに満たない両国には、協定を補完する何らかの措置が必要となったわけです。
1980年に結ばれた「自立規制合意」は一種の“紳士協定”で、相手国のEEZ内で操業する漁船は、その漁獲量を自律的に規制するという合意でした。当時の日本は太平洋側に対してのみEEZを適用していました。東海(日本海)側に対してはその適用を留保し、韓国や中国との不必要な紛争を回避する外交手腕を見せていたのです。
しかし、数年前から「経済力に見合った国力の誇示」を強調し始めた日本政府は、最近になって一方的で強引な海洋政策を展開するようになり、東海側にもEEZを画定して韓国に漁業協定の改正を呼びかけました。そして97年に入ると、領海基準線に関しても排他的な「直線基線」を発表し、韓国漁船を頻繁にだ捕し始めたのです。
96年4月から始まった新漁業協定に関する交渉は、独島(竹島)に関する領有権をめぐる対立もあって難航を極めました。交渉における最大の争点は、自国漁民に排他的な操業権が認められる管轄水域の幅と、両国が共同で操業する暫定水域の日本側限界線の設定に関してでした。
韓国政府が管轄水域を沿岸から34カイリ、暫定水域を東経137度以西と提示したのに対し、日本政府はそれぞれ35カイリと東経135度以西を主張しました。韓国が共同操業水域をより広く設定したのに対し、日本は排他的な管轄水域の拡大を要求したと言えます。
行き詰まった交渉は昨年12月、高村外務次官の2度に渡る訪韓によって打開され、双方は①独島(竹島)の周辺水域は一種の公海として処理を棚上げする、②管轄水域を35カイリ、限界線を東経136度以西とする、といった内容で暫定的な合意を見ました。
ところが3週間後に訪韓した小渕外相は合意を覆し、東経135度は譲れない線だと主張したのです。結局、交渉は再び座礁に乗り上げ、日本政府は1月23日、交渉を打ち切り一方的な終了通告(事実上の破棄宣言)を行ったのでした。
協定は終了通告後も一年間は有効ですが、協定が失効すれば日本はEEZを持ち出して韓国漁船を排除、あるいは拿捕することができるようになります。日本政府が外交的な摩擦を承知の上で一方的な破棄を行ったのは、この海域での漁獲量の多い韓国側の譲歩を目的とした交渉戦術だ、との見方もされています。
「無協定状態になれば不利なのは韓国側だ。1年以内に交渉を妥結しようと譲歩してくるだろう」(1月24日付『東亜日報』に報道された自民党議員のコメント)との判断です。
しかし、そのような交渉戦術の側面よりも、日本政府には強引な一方通告を選択するしかない内部事情がありました。それは、橋本内閣の支持率低下と7月の参議院選挙です。
漁業協定の破棄を主導したのは、漁民と水産業界の利益を代弁する“水産族議員”など、自民党内の右派勢力です。“水産族議員”の中心人物は、島村宜伸・農林水産相と佐藤孝行・党国際漁業問題特別委員長の両氏と言われています。島村氏は過去の侵略歴史を美化する発言で物議を醸した人物であり、佐藤氏は先日、かつての収賄事件を理由に閣僚の座を追われた政治家です。
島村氏は、外務省が「東経136度以西」の暫定案で合意するなら辞任する、と強硬な姿勢を見せ、小渕外相にも「同伴辞任」するよう圧力をかけました。農水産相と外相が辞任すれば内閣の改編は不可避ですが、相次ぐ失政で支持率が急落している橋本総理は、自身の総理再選すら危うい状況でした。政府には、島村氏らの実力行使に抵抗して外務交渉を続ける余力がなかったのです。
また、選挙区の60%が海に面している日本の特殊事情で、漁民の票は無視できません。漁民は人口の2%に過ぎませんが強い結束力を持っており、協定の破棄を要求する漁業団体は、自民党にとって侮れぬ圧力団体なのです。
結局、日本の複雑な政界事情が両国間の交渉を圧倒し、協定の一方的な終了通告という強引な手段を講じさせました。
外務省は1月23日、韓国の駐日特派員たちに「韓国の金融危機に乗じる意図はない」と強調しましたが、政権交代期の空白状態を突いた“火事場泥棒”的な処置であったとの指弾を免れないでしょう。