
マルタ共和国カルカラの英国海軍墓地(現英連邦墓地)にある、修復直後の日本海軍第二特務艦隊戦没者の墓。碑文には「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」とある。
慰霊碑は、第二次世界大戦時のドイツ軍に よるマルタ包囲作戦で爆撃を受け、上4分の1が欠けてしまった。長らくその状態で荒れていたが、1974年日本政府は新しく慰霊碑を作り直して復元し、海 上自衛隊練習艦隊が慰霊祭を行なった。2002年に再度戦没者名プレートなどの修復が行なわれている。その後も海上自衛隊が練習艦隊を欧州に派遣した時は 慰霊祭が開催されており、最近では2005年に行なわれている。
英仏露からは主戦場であるヨーロッパの戦線への帝国陸軍の派遣要請があった。ヨーロッパの戦場から遠く離れた日本軍にとっての課題である兵站・経費 についてはヨーロッパの連合国が負担するという条件であったが、日本陸軍はあくまで「本土防衛が任務である」とし、これを拒絶した。また、イギリスより要 請があった日本海軍の地中海への出兵も当初は断った。
しかし、大日本帝国海軍は、連合国からの再三の要請を受け、イギリスやフランスなどが持つ世界各地の植民地からヨーロッパへ向かう輸送船団の護衛を受け持った。1917年には、Uボートを中心とした無制限潜水艦作戦により輸送船の撃沈が続いていたインド洋と地中海で、連合国側商船787隻、計350回の護衛と救助活動を行い、司令官以下27人はイギリス国王ジョージ5世から勲章を受けた。
特に、1917年後半から開始したアレクサンドリアからマルセイユへ艦船により兵員を輸送する「大輸送作戦」の護衛任務を成功させ、連合国側の西部戦線での劣勢を覆すことに大きく貢献した。