中田英が「サッカーの歴史において影響力のあった15人の選手」に
東スポWeb 12月22日(土)17時0分配信
【ニュースのフリマ=渡辺学】
スポーツサイト「Bleachers Report」の12日付で、Karl Matchett氏による「サッカーの歴史において影響力のあった15人
の選手」というコラムが出ていた。順位付けはしていないようだが、その中盤で元日本代表、イタリアを中心にイングランドでもプレーしたMF中田英寿氏
(35)の名前が出てきたから軽く驚いた。
もっとも、一時期のカリスマぶりを考えれば当然とも言える選出で、コラムでは中田氏がペルージャからローマ、さらにパルマとステップアップした時期をと
らえて「2000年代初期の最もアイコニック(偶像的)な選手の1人。欧州サッカーをアジアにもたらし、日本選手の移籍を促した。アジアの視聴者に対し、
大陸(欧州)サッカーへの目を開かせた」と論評している。そのパーソナリティーも含めて中田氏のようにさまざま存在感、影響力を発揮した例は、世界的に見
ても少なかったかもしれない。
その他の14人はというと――。
【ヨハン・クライフ(65)】言わずとしれた世界のスーパースター。1970年代オランダの「トータル・フットボール」を体現し、引退後は監督としてバルセロナなど名門で栄光を重ねた。
【カルシャ・ブワルヤ(49)】1993年4月、搭乗した代表選手全員を失う飛行機墜落事故に見舞われたザンビアで、長きにわたり代表選手としてチームを再建し、後に監督、協会会長も務めた英雄。オランダのアイントホーフェンでもプレーした。
【ジャンマルク・ボスマン(48)】選手としてほとんど無名なベルギー人が、移籍の自由を求めた裁判で「ボスマン判決」(1995年、欧州司法裁判所)を引き出したことで、ヘタな一流選手よりもサッカー史にその名を残すことになった。
【ディエゴ・マラドーナ(52)】こちらも紹介するまでもないスーパースター。
【ジョージ・ウェア(46)】1990年代にACミランで活躍、95年にはいずれもアフリカ初のバロンドールとFIFA最優秀選手に輝いたリベリアの英雄。早くから大統領候補に挙げられ、2005年には選挙に出馬してその座に迫ったが落選した。
【デービッド・ベッカム(37)】説明不要。コラムでは「Marketability」(市場性)というコメントがつけられている。近代コマーシャリズムの象徴のような選手という意味か。
【ペレ(72)】こちらも説明するまでもない存在。「キング」の冠の元祖。
【ヴィヴ・アンダーソン(56)】ノッティンガムフォレストのほか、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッドでもプレーしたイングランドDF。人種差別の目にもさらされながら、黒人選手として初めてイングランド代表に選ばれた。
【ディディエ・ドログバ(34)】現役コートジボワール代表FW。コラム論評いわく「スポーツのアイコン(偶像)かつレジェンド」。チャリティー活動も行い、母国の平和プロセスにおいて価値ある役割を果たしているという。
【ジャチント・ファッケッティ(故人)】インテルで長きにわたり活躍したイタリア代表DF。カフーやロベルトカルロスら攻撃参加するDFのはしりとなっ
た選手で、コラムの論評では「アタッキング・フルバック」の原型とされている。W杯に3大会出場し、1970年に準優勝。欧州選手権では68年に優勝し
た。
【ジャンフランコ・ゾラ(46)】イタリア代表でナポリ、パルマに在籍し、1990年代後半から2000年代前半にチェルシーでもプレーした。コラムい
わく「MFが力任せにクリアするだけの役割だったようにプレミアリーグが洗練されていなかった時代に、外国人選手の影響を及ぼした」。
【シャビ(32)】ご存知スペイン代表、バルセロナの中心選手。170センチと小柄ながら、サイズに恵まれなくても世界トップレベルのプレーができることを示した。
【フランツ・ベッケンバウアー(67)】ペレの「キング」と同じく、「皇帝」といえばこの人しかいない。
【レフ・ヤシン(故人)】旧ソ連代表GK。W杯4大会に参加し最高4位、五輪と欧州選手権で優勝、バロンドールにも選ばれている。生涯で150のPKを
セーブしたとされ、コラムの論評は「ゴール枠を守るのみならず、ペナルティエリア、DFゾーンも支配。近代サッカーでスイーパー・キーパーの役割を確立し
た」。
あくまで実力順の15人ではなく、いかに象徴的もしくは歴史的な存在だったかという観点からの選出だと思う。まさしく中田氏はアイコンであった。