中国の公害問題と中国人一人一人の責任
凜『Record China』が掲載していた「水質汚染の現場から=衛生観念と倫理観の欠如がもたらすもの―湖北省」が興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
「湖北省宣昌市のある田舎では、村人たちが生活ゴミを川や溝に投げ捨てており、衝撃的な光景を作り出している」という記事です。
何でも「ゴミはプラスティック容器や、瓶、布切れ、動物の死骸などで、あらゆるものが捨てられている」そうで、確かに写真を見るとかなりひどい状態です。
そして、「ここに溜まったゴミは、毎年夏になると洪水によって長江に流され」、「自然が掃除してくれるとでも思っているのか、村人たちは水質汚染にお構いなし」で、こうした「衛生観念と倫理観の欠如」が水質汚染の原因としている記事です。
2 一人一人の責任
以前北京の大気汚染問題について触れたとき、政府の責任があるにもかかわらず、車の排気ガスなどの問題とし、中国人一人一人の問題とし、中国政府は責任逃れをしているということを書いたことがあります。
ただ、その後大気汚染の悪化を防ぐために旧正月での爆竹の使用を控えるようにという話があったにもかかわらず、自分くらいはという発想から結構派手に使っている人がいるという話を聞いて、いろいろ思っていたところです。
そうしたところに今回の記事をみて、中国の公害問題はもちろん政府の責任もありますが、政府だけでなく、中国人一人一人の責任にも言及しないわけにはいかないかと考える様になったというわけです。
3 倫理観の欠如
最近では大分良くなってきたというものの、中国では道ばたで平気でゴミを捨てる人が多く、こういうのを見ていると、自分もという気持ちになるから不思議なものです。
以前ニューヨークで、「割れ窓理論」という、建物の窓が壊れているのを放置すると、それが軽犯罪などを誘発し、更なる環境悪化を招くという理論がもてはやされたことがありますが、有る意味それに近いものがあると考えます。
何度か触れたことがありますが、これは中国人の「内と外」の発想の違いで、中国人は自分と「関係の強い」(コネのある)「内」は大事にしますが、関係のない「外」には殆ど関心を払いません。
おそらく、こうした生活環境(社会)を自分とは関係のない「外」と認識しているので、ゴミを捨てようが何をしようが勝手と思っているのではないかと考えます。
そして一旦汚くなってしまうと、とても手がつけられない状態になってしまっているので、益々無関心を強めるという悪循環に陥っているのでないでしょうか。
4 日本との比較
おそらく日本の場合は、「世間の目」というか隣近所の目があってそんなことはできないわけですが(日本人の一生)、中国では結果そういうものがないことになります。
そのため、何をしても「自由」で、本当に他人の目を気にしなくて良い気楽さが中国にあるわけですが、あまりに「自由」すぎた結果がこうした公害問題となっているわけです。
日本では、いろいろ他人(世間)の目を気にしなくてはならない反面、きちんとした管理が行われているわけで、ま、物事には何事でも長所があれば短所があるという話かもしれません(ただ中国の短所の方が多すぎる気はしますが)。
http://blogos.com/article/56530/
中国人の「内と外」の発想 ≒ 朝鮮ちんぽ人の「ウリとナム」みたいなものか。
実際、特亜つながりの朝鮮ちんぽ人の習性に酷似している。
【萬物相】重要な遺跡をごみの山にした韓国人
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/02/10/2013021000008.html
倫理観の無さは現象として発現しているだけで根っこのところは衛生観念の欠落だろう。
ゴメン、俺ちょっとこういうとこ無理だわ。