develop license:Edo era 1618year
竹島への渡海免許、
五月十六日
永井信濃守
井上主計守
土居大炊頭
酒井雅楽頭
松平新太郎殿
※鳥取県の大谷家に伝わる「竹嶋渡海由来記 抜書控」、
将軍家の葵の紋を打ち出した船印をたて、 いわば同島の独占的経営を幕府公認で行っていた。
大谷甚吉・村川市兵衛らは交代で毎年同島に赴いて、
鮑・アシカ等の漁猟、木竹の伐 採などを行い、鮑を幕府に献上していた。
松島は竹島への寄港地、漁労地として利用されていた。
※幕府の「渡航禁制令」(1696年)
1696年に幕府が竹島(欝陵島)渡航を禁止した際の通達。
文書にはLiancourt rocks(当時は松島)が含まれていない。
※先年 松平新太郎 因州伯州領知ノ節 相窺之伯州米子ノ町人村川市兵衛 大屋甚吉 竹島ヘ渡海至干今雖致漁候 向後竹島ヘ渡海ノ儀制禁可申付旨被仰出ノ由 可被存其趣候 恐々謹言
正月二十八日
土屋相模守
戸田山城守
安部豊後守
大久保加賀守
※1836年 - 会津屋八右衛門による竹嶋事件。
八右衛門等の松嶋(現竹島)へ渡海する名目で竹嶋(現鬱陵島)へ渡海することにした、という供述から、
幕府が当時の竹嶋(現鬱陵島)への渡海は禁止したものの、当時の松嶋(現竹島)への渡海は禁じていなかった。
※竹嶋は日出之地(日本)であると極めがたいので、渡海計画はやめるように、とのことであった。
予想に反した返事なので、残念でならず、橋本三兵衛方にこの書状を持参して、再度岡田様にお許しをいただけるよう頼んでおいた。
しばらくして、橋本三兵衛に様子を尋ねにいったところ、江戸表よりの伝言は、竹嶋はやめて松嶋へ渡海を試してみてはどうだろうか…
※濱田藩の御用船係を務めていた廻船問屋会津屋八右衛門(1798~1836)は、
慢性的な藩の財政難を見かね、鎖国の掟を破り、竹嶋と呼ばれた現在の鬱陵島へ渡航し、漁業伐木だけでなく、異国船との交易も進めた(一説には中国・東南アジアまで行ったとされる)。
6年余りを経たのち、
薩摩藩の密貿易を内偵中であった幕府隠密、間宮林蔵に内情が知られ、天保7年(1836)、八右衛門と橋本三兵衛は処刑された。
※1836年 - 会津屋八右衛門による竹嶋事件。
八右衛門等の松嶋(現竹島)へ渡海する名目で竹嶋(現鬱陵島)へ渡海することにした、という供述から、
幕府が当時の竹嶋(現鬱陵島)への渡海は禁止したものの、当時の松嶋(現竹島)への渡海は禁じていなかったことが分かる。
※一連の取調べの内容を記述した文書が多く残されており、その中で八右衛門と橋本三兵衛が、
松嶋(現竹島)に渡海する名目で竹嶋(現鬱陵島)に行くことにした経緯をそれぞれ証言している。
つまり、当時の日本人は竹嶋(現鬱陵島)に関してはともかく、松嶋(現竹島)は日本の領内であると認識していた事を示している。