妓生(きしょう、기생、キーセン)とは、朝鮮国に於いて、諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露するために準備された女性。妓生の起源は、新羅や高麗に遡るとされ、新羅時代においては天官女がそれに相当するといわれている。高麗時代には官妓・官婢の中で容姿の優れた者を選別し、歌舞を習わせ女楽としたとあり、これが妓生のルーツとされている。国家により認定され、厳重なしきたりがあった。
大韓民国の成立後に朝鮮戦争が勃発し、戦火で焼き尽くされた国土の復興には莫大な費用が必要になった。朴正煕大統領は、日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約で獲得した資金を元に復興を進め、在韓米軍を新たな復興への資金源として見出した。当時、駐留米軍に対する風俗店は、朝鮮語でヤクザと呼ばれる非合法の犯罪組織が関与しており、莫大な金額が地下に流出していた。これを一斉に摘発し、新たな国営の娼館制度を代わりに据え、外貨獲得を行った。これが便宜的に国営妓生と呼ばれる制度であり、更なる外貨獲得を目指して、一時はベトナム戦争時など海外にも派遣された。日本が復興し、海外旅行が再開されると、日本からの観光客に対しても、国営妓生が使われた。1990年代まで、キーセン旅行と呼ばれるほど韓国旅行が風俗旅行と同等の意味を持っていたのはこのためである。
漢江の奇跡を経て、1980年代に韓国経済が軌道に乗り始めると、国営妓生の志望者は減少した。不足を埋める形で成長した民間の妓生では、フィリピンやインドネシアなどの東南アジアから女性を誘致するようになった。ソ連崩壊後は、ロシア人女性も誘致の対象となった。
だが、やがて外国人娼婦に対する違法行為が頻発し、一部で社会問題化する。そして2004年に、韓国の議会は、全ての売春施設を閉鎖し、売春行為を違法とする法改正を行った。これによって、妓生は大韓民国では事実上廃止された。
ソウルのキーセン・ハウスでは「清雲閣」「大苑閣」「三清閣」の「3閣」が有名だった。伝統的なキーセン・ハウスで唯一残っていた「梧珍庵」(오진암)[1]も、2010年に閉店した[2]。
国営妓生
日本の慰安婦に対する反対をする一方で、韓国内の女性の人身売買は放置状態だった大韓民国。