
ハーバート・クラーク・フーヴァー(Herbert Clark Hoover, 1874年8月10日 - 1964年10月20日)は、
アメリカ合衆国の第31代大統領。左利き。
wiki ハーバート・クラーク・フーヴァー
第二次世界大戦後
戦後、第33代大統領ハリー・S・トルーマンは、占領国の食料状況を視察させるため、フーヴァーを日本やドイツに派遣した。
1946年5月に占領下の日本を視察したフーヴァーは、東京で連合国軍総司令部のマッカーサーと会談した。
その際フーヴァーはマッカーサーに対し、第32代大統領ルーズベルトを指して、太平洋戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘した。
開戦前の1941年7月に行われた在米日本資産の凍結などの経済制裁については、「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語った。
日本の食糧事情に関しては「食糧の輸入がなければ、日本国民に必要な食糧の数量は、ドイツの強制収容所並みからそれ以下になるだろう」とし、食糧援助をマッカーサーなどに進言した(その結果援助された物資は、ガリオア資金で買い付けられたので「ガリオア物資」と呼ばれている)。
また対日政策についても連合国軍総司令部に助言している。
*ガリオア資金(占領地域救済政府資金)
第二次世界大戦が終わると、アメリカ軍占領地の疾病や飢餓による社会不安を防止し、占領行政の円滑を図るためアメリカ政府がオーストリア等の占領地、そして旧敵国の占領地である日本と西側ドイツに対して陸軍省の軍事予算から支出した援助資金である。例外として朝鮮にも割り当てている。
この資金は、1947年度からは正式に陸軍省予算から計上され、1951年度まで続いた。一般的に、食糧・肥料・石油・医薬品など生活必要物資の緊急輸入という形で行われ、これらが国内で転売換金されることで資金としての性格を持った。
なお、1946年7月よりSCAPINによる陸軍救済計画として実施された支出については、後にプレ・ガリオア資金と呼称され、返済等についてガリオア資金と同等の扱いをうけた。
西ドイツでは、1948年7月のアメリカとの協定で見返り資金として利用することを義務付けられた。見返り資金とは、独立の勘定として計上され、利用にはアメリカ政府の承認が必要とされる資金のことである。特にガリオア資金の場合、別勘定とすることは資金を被援助国の債務として保全する意味も持った。一方日本では、当初は貿易資金特別会計に繰り入れられ、貿易の補助金として日本政府の裁量で運用されていたが、1949年からはドッジ・ラインの枠組みの中で西ドイツと同様に見返り資金としての計上を義務付けられた。
対日援助額は、1946年度から1951年度までの累計で16億ドル弱であり、占領地域経済復興資金 (EROA, Economic Rehabilitation in Occupied Area) と合わせて18億ドルである。
西ドイツは、1953年に33.178%の返済率のもとで資金返済に関してアメリカと協定を調印した。日本は、アメリカとの断続的な交渉の上で、1962年に西ドイツの返済率にならって約5億ドルの返済協定を調印した。
日本に対する援助額と概要
対日援助額は、1946年度から1951年度までの累計で16億ドル弱。
日本向けには「家畜の飼料」用であった「脱脂粉乳」「雑穀類」を食料として送った。
*エロア資金 (占領地域経済復興資金)
援助総額は、ガリオア資金と合わせて18億ドル以上援助開始時には無償とされたが、1948年01月、アメリカは突如として日本に対し返済を要求。
日本は反発し、1954年以来、日米間で交渉が行われ、7年後の1961年06月、返済額4億9000万ドル、返済期間15年、年利2.5%の条件で妥協案が成立。翌1962年01月09日、外相小坂善太郎と駐日大使エドウィン・O・ライシャワーとの間で返済協定が調印された。債務は、1973年に前倒しで完済。
戦後、増産を続けていたアメリカの余剰農産物のはけ口として日本は標的になった。家畜の飼料の飼料用の小麦や脱脂粉乳を「善意」による無償の食料供給という形で、学校給食などに供給した(ララ、ユニセフ、ガリオア資金など)。
しかし、1950年代になると、アメリカは余剰農産物を将来にわたって売り込めるように策謀し、 1951年サンフランシスコ講和条約締結により日本は形のうえで独立国となると同時にガリオア資金援助を打ち切り、1954年にアメリカは余剰農産物処理法(農業貿易促進援助法)を成立させた。
パンと脱脂粉乳を使った学校給食を食べた子供たちが大人になったとき、パンを食べることが当たり前にする習慣性を狙ったものである。
パンを食べれば、副食は牛乳製品・卵製品・肉製品となり、それらの畜産物を飼育するための飼料であるトウモロコシや大豆(これもアメリカ余剰農産物)なども同時に輸入せざるを得なくなる図式である。
戦後、「栄養改善運動」の一環として、アメリカの資金から捻出された、「キッチンカー」が全国を走り回った。
「キッチンカー」は野外で、小麦粉、乳製品、油、肉、ソーセージ、卵などを素材とした料理講習会を行い、一般市民には日本政府の事業を装い、その実、アメリカはキッチンカーで教える料理に小麦と大豆(大豆油)を使う条件を付けた。
西洋の栄養学をもてはやした栄養学者や医学者は、日本の伝統的な食事を低く評価し、「パン食の文化を持つ人々は進歩的、積極的なのに対して、米食の人々は諦観的、消極的」とか、米を食べるとバカになるという「米食低脳論」まで横行した。
パン作り講習会などが全国で行われ、マスゴミがこの音頭取りを行った。この資金もアメリカの資金から拠出したものである。
戦後の「栄養改善運動」とパンと牛乳の学校給食、日本人の間違った日本食に対する評価によって、日本人の食事は伝統的な、ご飯、味噌汁、漬物、野菜の煮物中心の食事から、一気に、パン、牛乳、卵、肉、油といったアメリカ余剰農産物消費の洋風の食事に傾いてしまった。その結果、アレルギーや成人病(生活習慣病)を引き起し、国民の健康を害し、あるいは死に至らしめ、生命線である食料までもアメリカに握られている、食料面でも属国の状態にある。
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