【萬物相】「頼れる人のいない」韓国人
冬至のころ、正月が近づいていることを真っ先に知らせてくれるのが部屋に干してあった「サンジャ」という韓国の伝統菓子だった。
母はもち米の粉を練って「せいろ」で蒸した。もっちりとした生地を麺棒で薄く伸ばしてから四角く切る。そうして数日間部屋で干して硬くなったら油で揚げる。
水あめを塗って「米はぜ」(ポン菓子のように膨らませた米)をからめ、豆などの粉をまぶせばサンジャのできあがりだ。
ほかに「サルガンジョン」もつい手が伸びる菓子だった。
水に浸した米を干してから揚げ、水あめをからめて型に入れ、麺棒で延ばしてひし形に切った「おこし」のような正月の伝統菓子だ。
水に溶いた米粉を塗って「キムブガク」(のりの揚げ菓子)を揚げ、「シッケ」(甘酒)や「水正果」(干し柿やシナモンが入った甘い飲み物)を作り、餅を蒸すせいろを火にかける…。
大みそかには真ちゅうの器を取り出して庭に広げた。くすんでしまった真ちゅうの器を瓦の粉を付けたわらで磨くのだ。
磨かれた真ちゅうが放つ黄金色は「正月を迎える支度が終わった」という合図だった。
こうした10日間以上にわたる正月の準備は、母親一人ではとうてい片付けられないものだ。だから近所に住む女のいとこたちが手伝ってくれた。餅つきは力持ちの「いとこの夫」の担当だ。
父親が故郷を離れて都会に住むようになると、故郷の本家の長男・長女を呼び寄せた。一緒に働いて頼り合いながら暮らした。
正月になると3家族20人以上が集まってにぎやかに過ごした。詩人の白石(ペク・ソク)が書いた詩の通り、祭りのようなにぎやかさだった。
海辺の小さな町で育った5人兄弟は道庁がある大きな街の学校に進学し、次々と父親の親類の家で世話になった。
遠い遠い親類だったが、快く食事を作ってくれ、間借りさせてくれた。親類=家族というのが当然の時代だった。
あのころに比べると生活ははるかに良くなったが、故郷の実家はすきま風が吹いているようだ。正月に帰省するたびに家族の数が減っていく。
茶礼(先祖供養)の場にいなければならないはずの家族や親類の影が懐かしい。
今ではいとこやおい・めいと一緒に暮らし、世話をするという家はまれだ。誰もが「自分の暮らしは自分で何とかするのが当然」と考えるようになった。
子どもは1人だけという家庭が増え、「いとこ」というものを知らずに育つ人も多い。生活に疲れたとき、誰かに助けてもらうどころか頼りにすることも少なくなった。
経済協力開発機構(OECD)が加盟35カ国の「生活の質」について調査したところ、韓国は27位だった。一昨年は26位、昨年も24位と下位に甘んじている。
項目別の評価では「社会的なつながり」が32位と最下位圏だった。
「困っているときに周囲に助けてくれる親類・友人がいない」という回答は23%で、前年より3ポイント増えている。
砂のようにバラバラで結束することがなく、家族以外には頼れる人もいない韓国人の生活を考えると、それでも控えめな数字のようだ。
血のつながりはなくても、お互い家族のように助け合いながら暮らしていた村や集落の助け合い精神も今は昔だ。
周囲の人を思いやることを知らず、自分だけ生きていければいいという世知辛い世の中。いい物を食べていい物を着て何になるのか。