日清戦争120年:韓国人に忘れられた韓国内の古戦場
日清戦争120年・現場を行く(3・完)成歓・豊島・景福宮
日清戦争初の地上戦があった成歓、日本が占領した景福宮、農民軍1万人がしんだ公州・牛禁峙
「虐さつ現場に『嘆きの壁』設置し今後の悲劇を防げ」
カーナビの検索窓に「忠清南道天安市成歓邑、成月・水郷道路」と入力した。車が向かった先は、成歓の月峰山。清と日本は、この一帯で最初の地上戦を繰り広 げた。円光大学のパク・メンス教授が今月20日に案内してくれた。パク教授は、日本の防衛省の文書などを通じ、日清戦争における戦闘の現場を考証・調査し てきた。ここは海抜83メートルの山。現在は浄水場がある。山に登ると、成歓の邑内が一望できた。「軍事学では、こういう場所を『瞰制(かんせい)高地』 と呼びます。低い山ですが、敵の活動を観察するには良い場所です」
■日清戦争に関する案内板・展示館はなし
成歓の戦いは、1894年7月 29日に行われた。当時の朝鮮政府は、同年春に起こった東学農民軍の蜂起を鎮圧するため、清に派兵を要請した。清は、6月8日から数度にわたり、牙山湾経 由で約3000の兵力を送り込んだ。主力部隊は平壌に陣を張った。日本軍約7000人は、仁川に上陸した。日本は、清のソウル進軍を防ぐため、約3000 の兵力を成歓に投入した。午前3時、平沢との境界に当たる安城川付近で戦闘が始まった。日本軍は、清軍の主陣地が置かれた月峰山をわずか5時間で奪った。 清の敗残兵約2000人は江原道に迂回(うかい)し、平壌で合流した。清軍は平壌の戦いなどで次々と敗北し、その後、清軍が朝鮮の地を踏むことはなかっ た。
日清戦争は、清と日本が朝鮮を取ろうとして朝鮮の地で繰り広げた戦争だった。にもかかわらず、当の韓国の古戦場には、 このことを伝える表示がない。パク教授の案内で、戦いが起こった月峰山や安城川、清軍の補助陣地があった牛新里(旧牛歇里)一帯を回ってみたが、当時のこ とを伝える説明文や表示板は見当たらなかった。ある住民は「清と日本がここで戦ったという話は聞いたことがない」と語った。
日清戦争初の海戦の舞台となった牙山湾沖の豊島は、日帰りできない孤島だった。仁川を出発する旅客船が大阜島を経由して1日1回、乗客や荷物を運ぶ。大阜海運の関係者は「一度豊島に行ったら1泊しないと戻れない」と語った。
韓国には、日清戦争関連の常設展示館もない。全羅北道井邑の東学農民革命記念館に付随的に展示してあるだけだ。パク教授は「韓国の日清戦争の現場は、完全 に忘れられた場所。韓国の運命を左右した戦争なのに、よその国のことだと考え、国内問題にば かり没頭して国際情勢に対する認識が足りないからだ」と語っ た。
成歓・井邑・景福宮=李漢洙(イ・ハンス)記者 , 共同企画:東北アジア歴史財団
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韓国人が期待してる日中戦争が起こると同じ場所が荒れるだろう