朝鮮通信使は、徳川家からの招待状によって20年程度に一度しか日本に入れなかった。
日本が、朝鮮を華麗に無視していた良き時代と言えよう。
これは、朝鮮を無視しても日本は何も困らなかった証拠とも言える。
しかも、徳川家とは関係が薄い対馬藩が連絡を取り合っていたので、扱いは格下の更に下。朝鮮通信使は、韓国人が考えているような文化の伝達ということをしていない。
朝鮮通信使は、単なる「朝貢使」というのが、正確な表現だ。
しかし、オランダとの交易は日本政府直轄の扱いだ。
最盛期には、年間700隻も日本に来ていた。
オランダが日本に残したものは、多岐に渡る。建築技術にも優れており、今でも栃木県の東照宮にはオランダ人技術者が作った建築物が残っている。
(朝鮮からの朝貢品も、雨ざらしで共に残されている。オランダのものと比較すると、朝鮮の朝貢品は極めて貧相)
しかも、貿易のために大きな港町までオランダに提供していた。
実のところ、オランダ国旗を掲げて別の国の船さえ入ってきたというのだから、これは面白い。
日本の鎖国とは、名目上に過ぎなかった。国籍の偽装工作は、オランダ好きの各大名(攘夷派からは、蘭癖大名と呼ばれていた)が行わせていたと言われている。
さて、オランダが日本に伝えられた西洋諸国の情報、技術などの一部を下記に掲載しておこう。
オランダ学の興隆
http://www.ndl.go.jp/nichiran/s1/s1_3.html
(1)徳川吉宗と蘭学の萌芽
当初は貿易に限られていた交流も、しだいに知的な方面に進む。オランダ船で輸入されたものには、オランダ語の書籍もあった。これを通じて江戸時代の日本人は、西洋の学術「蘭学」を学ぶことになる。
蘭学の芽生えは8代将軍徳川吉宗の時代である。彼は、殖産興業、国産化奨励の方針から海外の物産に関心を示し、馬匹改良のため享保10年(1725)など数回オランダ船により西洋馬を輸入、ドイツ生まれの馬術師ケイズルを招いて洋式馬術、馬医学を学ばせた。
また、享保5年(1720)禁書令を緩和してキリスト教に関係のない書物の輸入を認め、元文5年(1740)ころから青木昆陽、野呂元丈にオランダ語を学ばせるなど、海外知識の導入にも積極的であった。
長崎に輸入されたペルシャ馬の図

「異国産馬図巻」
こ れより先、万治2年(1659)にドドネウスの『草木誌』、寛文3年(1663)にヨンストンの『動物図説』が商館長から献上されていたが、解読できる者 もおらず、空しく幕府の文庫に眠っていた。吉宗はこれにも関心を示し、翻訳を命じた。野呂元丈がオランダ人に質問し解読を試みた成果は、『阿蘭陀本草和 解』などとして残っている。
この両書が、わが国の学術に広く影響を与えた最初の洋書といえよう。
特に『草木誌』は、西洋植物学書の代表として、日本の本草・博物学にも大きな影響を及ぼした。松平定信や平賀源内もその翻訳を企てている。
(2)『解体新書』の翻訳
こうして蘭書により西洋の学術を取り入れる機運が開けた。まず、最も実用に適する医学から導入が進む。それまでも、長崎の通詞でオランダ商館の医師から医学を学び開業する者はあったが、画期となったのは、体系的な西洋解剖学書の最初の翻訳である『解体新書』の刊行である。
小田野直武による解体図扉絵

「解体新書」
その翻訳事業の中心となった前野良沢は、最初青木昆陽に学び、長崎に赴いて通詞からも蘭語習得に努め、多くの著書、訳書を残した。その弟子大槻玄沢は、杉田 玄白にも学び、江戸に最初の蘭学塾芝蘭堂を開く。玄沢は江戸の蘭学の中心的存在となり、幕府に出仕するとともに、多くの門弟を育成した。
これ以降、薬学、博物学、天文学、暦学、物理学、化学、地理学など各種の学問が蘭書を通じて学習され、著書、訳書が刊行されるものも多くなった。
(3)オランダ学の発展
こうして、長崎のオランダ通詞を通しての語学の学習から、蘭学塾による蘭書の学習に進み、多くの蘭学者が海外知識の導入と普及に功績を残した蘭学はしだいに地方にも普及した。
なお、学問のあり方を反映して、儒学等と同様、オランダ学も家の学として代々継承されることが多かった。杉田家、桂川家、宇田川家などはその代表的な例である。
オランダ語辞書の編纂も行われた。ハルマの蘭仏辞典をもとにした、稲村三伯の『波留麻和解』、ドゥーフの『ヅーフハルマ』、その改訂版『和蘭字彙』などが名高い。文法書の輸入、入門書の編纂も盛んであった。
19世紀になると、ロシア船、英国船がしばしば日本近海に来航し、北辺ではロシア人と日本官憲が衝突する事件も起こった。これによりロシア事情、海外地理、軍事学への関心が高まり、蘭学は実学としての性格が濃くなった。
幕府も高橋景保の首唱により、公的な翻訳機関として文化8年(1811)「蛮(蕃)書和解御用」を設立、馬場佐十郎、大槻玄沢、青地林宗らがここに出仕し、ショメールの日用百科事典による『厚生新編』の翻訳事業等が行われた