『朝鮮雑記~日本人が見た1894年の李氏朝鮮~』
野鄙
朝鮮 人は、一般的に自屈的(自分は駄目だと思い、他人に頼る)で、乞 食根性がある。私たち外国人に対しても、自国への恥というものを持たない人間である。
私が内地を旅行して、客舎に泊まったときには、近隣の韓人たちが珍しげに集まってきて、狭い室内は、たちまち人でいっぱいになる。
そこで、言いたいことを聞いてみたところ、彼らが言うのは、「眼鏡の価値は、いくらですか」「薬を持っていますか」「煙草を一本ください」「その手帖をいただけませんか」など、まるで乞 食が言うような言葉なのだ。
ある両班(ヤンバン)の家に招かれたときのことである。席上に数人の客がいたが、彼らが話す言葉に耳を傾けたところ、「私が持っていた鉛筆をどうにかして手に入れられないか」ということのようだった。
私は主人に聞いた。『あなた方(朝鮮 人)は、必ず何かを欲しがるのです。私は不思議に思ってきました。人に物を強請るのはあなた方の国の習慣なのでしょうか。あえて、お聞きいたします」。
両班たちは、いたく恥じているかのようで、すぐに返答した。「これは、おそらく戯言(冗談)でしょう。実際に、物を欲しがっているわけではありません」。
男色(男の同性愛)
朝鮮全土、いたるところ、男色が流行しない場所はない。京城(ソウル)にいたっては、良家の子供たちといっても、美しい服をつけて市街を横行し、公然と、その尻を売るが恥じる様子もない。
韓語では、これを「ビョーク、チャンサ」と称する。つまり、男色商という意味である。特に、股肉を指して、「ビョーク、サル」と呼ぶのは、あまりにもひどすぎるというべきだろう。「サル」とは、すなわち肉の意味である。


▲現代の韓国軍の謎の訓練風景…。
市街の不潔
不潔は、朝鮮のパテント(専売特許)だろう。京城(ソウル)はもちろん、朝鮮全土)いたる所、(洗練された)違いらしい市街を見ることはできない。牛馬の大便は市中に溢れ、その不潔なことは、たとえようもない。
市場の中央には、共同便所の設備はあるが、それもただ、藁で屋根を葺き、蓆で四方を囲んだ、たいへん粗末なものである。しかも、その大便の中で、犬や豚を養っているから、もし、誰かが入ろうものなら、犬豚がじっと傍らに持して、排泄を終えた人が出てくるのを待っている。これは、ほとんど嘔吐を催すようなものであろう。
また、食物の不潔なのも、この国の特色といえよう。腐った魚菜を用いるのはもちろんのこと、その調理の現場を見てしまったら、どれほどの人であっても、箸をつけるのに逡巡せざるをえない。
料理人が、味つけをするのには、匙や箸を用いずに、必ず手で行う。箸なども、洗ったことはないだろうし、小便を拭いとったその手で、じかに漬物瓶をかき回すなど、わが国の人がとても想像できないような次元なのである。
さらに、中流以下となれば、室内の不潔は、筆舌に尽くしがたいものがある。
家屋の壁は荒壁で、触れただけで衣服は汚れ、屋根裏に泥を塗っただけの天井は低く、欠伸をしただけで、首が屋根を突き破ってしまいそうだ。
広い部屋でも、わが国の六畳敷きくらいで、狭い部屋なら、一畳にも及ばない。
便所の戸は、すべて、わが国の茶室にある潜り戸のようである。
座っている客が、痰を吐きたいと思えば、座っている蓆をめくって、その下に吐く。鼻水が滴るときは、それを手でこすって、じかに壁に塗り付ける。これで、いっこうに不潔とも思わないのは、彼ら韓人の性質だ。寝る時は、身を覆う布団もなければ、木の枕という、ただの丸木の端きれに頭を載せるだけ。うとうととして、雨露を凌ぐだけのものである。
とくに、いずれの客間にも、浴場の設備のないことが、最も旅行者を苦しませる。
夏は、虫と蚊がたいへん多く、身体は疲れているのに、ほとんど夢を見ること出来ない)。蠅にいたっては、春夏秋冬、室内を飛びまわって、払い尽くす術もない。そうであ
雑俎(雑記)
●日本語で韓人たちから知れ渡っているものがある。すなわち、オカミサア「(おかみさんの訛)、ヤブレ(破れ)、ツンポ(男性器の訛)。
ざっと抜粋しての紹介でしたが、読み終えた感想は、もう何と言っていいやら…。
―――彼を知り己を知れば百戦殆うからず 【孫子】
イザベラ・バードの「朝鮮紀行」より、読みやすい文体と構成なので、敵を知るために、一読をお薦めします。


