<韓国が科学分野で良い成績を得られない原因についてさまざまな分析が行われてきたが、根本的な原因は教育ではないか。1980年代にソウルで中学、高校に通った経験を振り返ると「仕方ない」と思えてしまう>
また日本からノーベル賞受賞者が誕生した。リチウムイオン電池の開発に貢献した旭化成名誉フェローの吉野彰氏ら3人がノーベル化学賞を受賞。吉野氏は、昨年受賞した京都大学特別教授の本庶佑氏に続いて27人目の日本人受賞者となった。近年、ノーベル賞の花形ともいわれる科学分野での日本人の受賞が相次ぎ、もはや「年中行事」になってしまったようにすら思われる。日本でも初受賞の時は国中が熱狂していただろうに、今や「今年は彼か」という少し落ち着いたお祝いモードではないかと思う。
しかし、毎年同じ時期に日本人受賞のニュースを見ている韓国の気持ちは複雑だ。どの国よりも日本をライバル、敵、競争者として強い対抗意識を燃やしてきた韓国だ。BTS(防弾少年団)に代表される韓国文化の流行、そしてスポーツの日韓戦での勝利などで覚えた「勝利の快感」は、ノーベル賞の季節になればあまりにも無力に消えてしまうからだ。その脱力感、嫉妬の気持ちは韓国マスコミ自ら「ノーベル賞(欲しい)病」(中央日報2019年10月4日)、「ノーベル賞コンプレックス」(韓国経済18年10月10日)と呼ぶほどだ。
韓国が科学分野で良い成績を得られない原因について、これまでいろいろな分析が行われてきた。韓国内でその原因としてよく挙げられるのは(1)基礎科学への無関心(2)民・官の支援不足と研究環境の不備(3)過程より結果だけを重視する雰囲気――などがある。どれもうなずける耳の痛い話だ。しかし、私の経験から考えるに根本的な原因は「教育」にあるように思う。
私は1980年代、ソウルで中学、高校に通った。今振り返ってみると、学生時代に受けた教育はノーベル賞とはあまりに縁遠い気がしてならない。あのような教育を受けたら仕方ないと思うからだ。まず、理科の授業。私は中学1年から高校を卒業するまで、一度も理科学機材に触れたことがない。教科書にはアルコールランプ、試験管、顕微鏡などいろいろな機材が登場したが、全て紙面の上での「イメージトレーニング」にとどまっていた。使い方も含めた化学実験の方法などは「体験」ではなく全て「文字」としてだけ頭の中に蓄積されたのだ。
私は、日本で同世代の日本人に会うたびに中高校時代の話を聞いてみた。すると地域、学校による多少の差はあっても、ほとんどの人は多かれ少なかれ実験、作文の機会はあったという。正直うらやましかった。普通の日本人はそこに大きな意味があると思わないかもしれないが、そこに韓国と日本の大きな差があると思う。学生時代に好奇心、興味、モチベーションを感じる経験の有無は計り知れないほど大きいからだ。
80年代の韓国では残念ながら大学入試という「目標」だけが優先され、全て机の前に座り、教科書と問題集だけに全てのエネルギーを費やした。とはいえ、私と同じような教育を受けたのは私と同じ世代か、もう一つ下の世代ぐらいまでだろう(今、いわゆる働き盛りといわれる世代だ)。
80年代のソウルの学校は1クラス60人という過密な環境だったが、今は30人前後。そして教育内容も改善され音楽、芸術、体育も充実し、学生の個性を育てる教育を行っていると聞く。彼らが大人になったときには、創造的な発想を持ち、個性的な研究を成し遂げることができるかもしれないと、淡い期待を抱いている。
[執筆者]
崔 碩栄(チェ・ソギョン)
違うな、生まれつき馬鹿なんだよwww