
(日本帝国時代には)勉強も自由にできました
それが戦後には酷い目にあったんですね

ものすごく乱れていました。
教育がなっていない

たとえばソウル大学には
教授が一人もいないので

例えば田舎で酒を造って
暮らしていたような人が急に

昔日本でちょっとフランス語を習ったりというだけで
フランス語の教授にしたり

ちょっとでも学生が勉強すれば
先生よりもずっとできるようになります

(私は)フランスに留学するまで
日本語の本で勉強してたんですよ

なぜかというと(韓国語の)本が
めちゃくちゃで

それで韓国語では30年間は
誰も勉強ができなかったんです

そういった時代があったことを韓国の方は知っているんですか?

今の若者は全然知りません
だから私が教えています
30年間、まともな教育ができなかった韓国に対し、日本では
朝鮮総連系が日本と韓国の国交回復に対し工作活動を行う。

朴慶植
朴慶植は、在日朝鮮@人の在野歴史研究者。元朝鮮大学校教員。慶尚北道奉化郡鳳城面金峰里で生まれる。
1929年3月に両親とともに来日。1943年9月、日本大学高等師範部地理歴史科(夜間)卒業。1942年9月、国民学校助教となる。1949年3月、東洋大学文学部史学科卒業。1998年、自転車で帰宅途中に交通事故死[2]。満75歳没。
『朝鮮@人強制連行の記録』未来社、1965年
鄭 大均
首都大学東京教授名誉教授 鄭 大均
近年、「憎悪表現」や「憎悪扇動」についての
議論を耳にするが、それを言うなら、
ある集団には共感語として作用するが、
他の集団には「憎悪表現」や「憎悪扇動」として
作用するという言葉にも注目してほしいと思う。
「朝鮮@人強制連行」はちょうどそんな熟語で、
学校教科書にも記載されているから、
価値中立的な歴史用語と考える人がいるかもしれない。
だが、この熟語を広めた
『朝鮮@人強制連行の記録』(未来社、1965年)を
読んでみればよく分かる。
著者の朴慶植は、朝鮮@人の被害者性とともに
日本人の加害者性を誇張するために
この熟語を活用したのであって、
価値中立的な言葉などでは初めからなかった。
要約
日本から分離された、朝鮮半島において、真面な教育は行われていなかった。
その間日本において出版された北朝鮮系の一教員の偏向本が
韓国の歴史教育の礎の一つとなった。
