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ヒュンダイ・ギャロッパー 三菱パジェロだよ 戦犯だよ
フォードより技術供与を受け、「コルチナ」のノックダウンを開始。その後、ヒュンダイは、小型車の開発をめぐってフォードとの技術供与関係に軋轢が生じたため、独自モデルの開発に踏み切ることとした。提携相手探しは難航したが、最後に訪問した三菱自動車がヒュンダイの要望を聞き入れたため、小型車生産のための車体やエンジン、ギアなどの生産技術供与契約を締結し、技術確保の手段を獲得する。1973年には、自社での自動車開発のためBLより招き入れたジョージ・ターンブル主導の下、複数の著名なイギリス人エンジニアも加わり、三菱自動車からの生産技術供与技術供与も相まって、1975年に韓国初の国産車「ポニー」を発売した(デザインはジウジアロー、エンジン・プラットフォームは初代ランサーのものを流用)[13]。このポニーから海外での販売も開始し、1984年からカナダで一時期ベストセラーとなった。一方、アメリカでは厳しい排出規制をクリアできず販売されなかった。ポニーの発売以降も、三菱自動車との提携を継続し、三菱自動車が韓国自動車産業の基盤技術を提供したと評されるほどの技術供与を受けた。数多くの三菱車ベースの車種や、三菱車のプラットフォームを流用し続け今の自動車会社としての地位を確保。
※ウィキペデアより