
ベイルート・アメリカ大学を卒業後、コロンビア大学にて人類学にて博士号を取得。
ソ連軍侵攻以前はカーブル大学で教えていたが、侵攻後アメリカへ移住。ジョンズ・ホプキンス大学などで教鞭を執った後、1991年から世界銀行につとめており、暫定行政機構が発足するのに伴って帰国した[3]。
2014年4月のアフガニスタン大統領選挙には第一副大統領候補アブドゥルラシード・ドーストムとともに出馬し[1]、決選投票の末に得票率56.44%で当選。2014年9月29日に第2代大統領に就任した。なお、大統領選の決選投票で敗れたアブドラ・アブドラ元外相も首相格の行政長官に就任した[4]。
アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官も停戦とターリバーンを含んだ暫定政権樹立のためガニーに大統領辞任を要求したと一部で報じられたが大統領府はこれを否定し、抗戦の姿勢を示した[11]。しかし8月15日にターリバーンはアフガニスタン全土を支配下に置いたと宣言し[12]、政権側もアブドゥル・サタール・ミルザクワル内務相代行が平和裏に権力の移行を進めると表明[13]。同日15日のロイター通信の報道によると、ガニーは既にカーブルを離れ国外に脱出したことを内務省高官が発表し、後にアブドラ国家和解高等評議会議長もこれを確認。ガニー政権は事実上崩壊した[14][15][16]。ただし逃亡先については判明しておらず、タジキスタンともウズベキスタンともされ[17]、タジキスタンは入国を否定している[18]。16日には中東オマーンに滞在しているとの情報が流れたほか、ガニーがヘリコプターで逃亡する際に多額の現金を持ち出したとの情報がロシアの報道機関より流されており、これにはガニー政権の混乱を強調したいロシアの意図があるとも指摘された[19]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アシュラフ・ガニー

- 1875年3月26日 - 京畿道開城市近郊の黄海道平山郡馬山面大慶里(現・黄海南道峰泉郡)にて生誕。
- 桃洞書堂で漢学を学ぶ。
- 1896年 - アメリカ人のキリスト教宣教師アペンセラーが設立した培材学堂で学び始める。
- 1896年 - 徐載弼(ソ・ジェピル)の「独立協会」の結成に中心メンバーとして加わる。
- 1897年 - 培材学堂在学中に高宗退位要求の檄文散布に加わり投獄される。投獄中にプロテスタントの監理教会派に入信。
- 1904年 - 特赦による出獄後、アメリカ合衆国に渡る。
- 1907年 - ジョージ・ワシントン大学で学士号取得。
- 1908年 - ハーバード大学卒で修士号取得。
- 1910年 - プリンストン大学で政治学博士号取得。博士論文は「アメリカの影響を受けた永世中立論」。この年、帰国する。
- 1911年 - アメリカに亡命。
-中略-
- 1945年 10月 - 日本の降伏と朝_鮮解放に伴い、在朝_鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁直接統治下の朝_鮮半島に帰還。
- 1946年 2月 - 大韓独立促進国民会を結成。総裁に就任。
- 1948年4月3日 - 済州島四・三事件反乱鎮圧。
- 1948年8月15日 - 朝_鮮半島南部単独で大韓民国政府樹立を宣言。初代大統領に就任。
- 1948年 10月 - 連合国軍占領下の日本を非公式訪問(ダグラス・マッカーサーGHQ司令官などとの会談のため)。
- 1948年10月27日 - 麗水・順天事件反乱鎮圧。
- 1948年12月1日 - 国家保安法を制定。
- 1949年6月5日 - 国民保導連盟を組織させる。
- 1949年12月24日 - 聞慶虐殺事件。
- 1950年6月25日 - 朝_鮮戦争勃発。
- 1950年 6月 - 国民保導連盟の加盟者や収監中の政治犯など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺(保導連盟事件)。
- 1951年 1月 - 前線で戦闘中の将兵の物資を転売し着服(国民防衛軍事件)。
- 1952年1月18日 - 海洋主権宣言。「平和線」、いわゆる李承晩ライン(国際法違反)を設定する。
- 1952年5月26日 - 戒厳令を施行し、反対派議員を監禁・憲法改正を強行(釜山政治波動)。
- 1953年7月27日 - 朝鮮戦争休戦。
- 1956年5月15日 - 大統領に3選。副大統領には野党の張勉が当選。
- 1958年 - 進歩党党首の曺奉岩をスパイ容疑で逮捕。1959年7月に処刑。
- 1959年 - 新潟日赤センター爆破未遂事件。
- 1960年 - 3月15日 大統領選挙。不正選挙が問題となり野党や国民の批判が公然化。
- 1960年4月19日 - 不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突。死者186人。4月26日に下野を表明し、5月29日にハワイへ亡命(四月革命)。
- 1965年7月19日 - 亡命先のハワイにて90歳で客死。
https://ja.wikipedia.org/wiki/李承晩
どちらもアメリカによって樹立された傀儡政権であり
どちらも内政が腐敗しきっていたということでは共通しているが
アフガニスタンに較べてチョソの傀儡政権は
自国民を平然と無慈悲に虐殺できたという点に於いて
ミンジョクとしての突出した異常性が見受けられるようである♪(嘲笑)




あひゃひゃひゃ!