1952年1月18日、韓国大統領李承晩は国際法に違反していわゆる
「李承晩ライン」を一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込んだ。
韓国側の措置は、公海上における違法な線引きであった。
日韓漁業協定が成立する1965年までの13年間 日本人は抑留され、韓国に人質として利用された。
拿¥捕された日本の漁民を解放する条件として韓国が出してきた要求は、
収監されている凶悪犯を多数含む、大量の在日韓国人犯罪者を無条件に釈放することと、
在日韓国人全体に在留特別許可を与えることであった。
韓国による日本人抑留者は3,929人、拿¥捕された船舶数は328隻、
死傷者は44人を数えた。