韓国人には稀なO1b2a1aを調べていたら興味深い話があった。
申叔舟(実質上のハングルの作者の一人)
朝鮮・世宗の時代、『訓民正音』の創製に貢献し、博学で日本や琉球の地理・歴史・官職・社会制度にも詳しく『海東諸國紀』を著した申叔舟(1417-1475)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である(注1)。これは、宜寧申氏の子孫・トニー・シン(Tony Shin)ら複数名(注7)から得られたデータに基づくものである(注2)(注3)。O1b2a1a(O-CTS10145, CTS11723)系統は、朝鮮半島では少なく、日本列島に多くみられる系統であるが、申叔舟の本貫である高靈申氏に限っては顕著にみられる(注4)。
日本の仮名文字(カタカナ/ひらがな)より600年遅れて、パスパ文字、契丹文字を基にして作られた朝鮮の「諺文(韓字/ハングル)」は、 現在の韓国では公式には「諺文(ハングル)を定義した『訓民正音』は世宗王 一人の著作物である」とされている。しかし、実際には同書の「後序」で鄭麟趾が名前を挙げている集賢殿の学士たちの作成であるとの見方が強く、申叔舟もその一人に含まれている。『訓民正音』と対になっている『東国正韻』の序文は申叔舟が書いており、これらの作業の中心的人物であったことが窺える。 申叔舟が、1471年に著した『海東諸國紀』の日本の国俗の説明文には「男女となく皆その国字を習う。国字は『かたかな』と号す」と書かれている点からカタカナの字形がハングルに与えた影響が注目される。 彼は世祖のときに始まり成宗の代で完成した『経国大典』の編纂にもかかわっている。 また申叔舟は、その死にのぞんで成宗に「願わくば日本との和を失うなかれ」との名言を遺した。
申叔舟の先祖は、族譜によれば、もと新羅(注5)の公族(貴族)の後裔で、高麗王朝の時に地方に下り安逸戸長を務めていたといわれる。高麗王・第23代高宗(在位:1213-1259)の時、申成用(注6)が、文科に及第して正四品・檢校軍器監に任ぜられた。 高靈申氏の始祖・申成用の墓は慶尚北道高靈郡雙林面山州洞萬代山酉坐にある。これにより、子孫は「高靈(現 慶尚北道南西部)」を本貫として世居し優れた人材を多く輩出した。申叔舟もその一人である。申氏の本貫のある「高靈」はかつて、日本の領土のあった任那の「加羅」地域にあたる。
なるほど、現代韓国人でも稀にO1b2a1aを有するのは、WA人の子孫が存在するからのようだ。