
↑何たる自爆 題記を読むと((´∀`))ケラケラ
『新羅(しらぎ)がWA(日本)の属国』であったことを示す南北朝時代の南朝の梁(りょう、502年―557年)の「職貢図」(しょくこうず)の題記が
韓国人学者ユン・ヨング博士によって2011年8月に発見された.
「新羅はWAの属国」論議予告
――引用始
(ソウル=聯合ニュース キム・テシク記者 2011-08-23 13:00)
韓国古代史研究の第1級資料の中の一つと見なされる梁職貢図から永遠に消えたと見なされた新羅と高句麗に対する簡略な説明の題記が最近発見された.
特に今回発見された新羅に対する題記には新羅がWAの属国という一節があっていわゆる任那日本府説とかみ合わさって論議がおきる展望だ.
韓国古代社専攻の仁川都市開発公社は去る20日西江大茶山館で行われた新羅史学会第107回学術発表会を通じて中国で最近発見報告された梁職貢図題起を分析、紹介した.
ユン博士は今回公開された梁職貢図題記を南京博物館旧蔵本の梁職貢図版本と比較した結果、「新羅と高句麗を含んだ7ヶ国の題起は完全に新しく出現した資料で、合わせて百済とWA国をはじめとして既に知らされた9ヶ国の題起も内容で差が小さくない」と話した.(中略)
ユン博士はこの内容中でも新羅がWA国に属したりもしたという言及が新しく現れた大きな課題であり、これをどのように受け入れるかよって歴史学界で論議が広がることがありうると付け加えた.
梁職貢図の題記(8行目から新羅の記述)
新羅の題記(原文)
斯羅國本東夷辰韓之小國也魏時曰新羅宋時日斯羅
其實一也或属韓或属WA國王不能自通使聘暜通二年
其王姓募名秦始使随百濟奉表獻方物其國有城號曰
健年其俗與髙麗相類無文字刻木為範言語待百濟而
後通焉
新羅の題記(概訳)
斯羅國(新羅國)はもともと(漢の時代は)東夷の辰韓の小国であり、
(三国時代の)魏の時代は新羅といわれ、(南北朝時代の)宋の時代は斯羅といわれ、
その実は同一の国である.
或は韓に属し、或はWAに属し、そのため国王は自ら(魏や宋に)使者を派遣することが能わず、
(梁時代の)普通二年(521年)に、
その時の斯羅王「姓は募・名は秦」(法興王)が百済に随伴して始めて使者を遣わし貢物を捧げるようになった.
その国には健年という城があり、その習俗は高麗(高句麗)と類似し、文字はなく木を刻んで範としていた.
言葉は百済の通訳により(梁と)通じていた.
朝鮮半島における日本の支配・勢力の象徴でもある任那日本府(369年-562年)の存在を否定し、
広開土王碑(414年建立)の碑文解釈でも「WA、辛卯年(391年)以来海を渡って百済口口新羅を破り、臣民とした」とする一般解釈(日本側の解釈)を否定して「WAが辛卯年(391年)に来たので、(高句麗が)海を渡り百残を破り、新羅を救い、臣民とした」とする韓国側の解釈を主張してきた韓国の歴史家にとっては、今回の梁職貢図(520年代頃)の題記にある「斯羅(新羅)はWA(日本)の属国であったりもした」ことをどのように受け入れるかが大きな課題であり、歴史学会で論議が広がるであろうと、新羅題記の発見者であるユン博士は指摘している.
新羅はWAの属国と書かれていますがどうしましょう?(* ´艸`)クスクス
好太王碑に書かれてある「新羅を破り、臣民とした」とも一致しますね
