主張
『朝鮮新報』は「茶においては1千年前の新羅の時代の礼法がほとんどそのまま日本に取り入れられた」と主張している。
また、茶道の祖の千利休の祖父が千阿弥と名乗ったことからその名をとって千姓と名乗っていたことから千利休を朝鮮人と主張していた。
事実
茶を飲む習慣は遣唐使により中国から伝えられたものという説が有力であり、茶を飲む行為を哲学や教養や総合芸術にまで高めた茶道という文化は室町時代に体系化した日本起源のものであり、韓国の「茶禮(タレ)」とは全く関係がない。
日本における茶を飲む(喫茶)の習慣は渡来した当時はそれほど普及せず、一度は廃れてしまったが鎌倉時代になって禅宗が広まったのをきっかけとして復活した。茶の栽培もその時期に普及し、茶を飲むと言う習慣は一気に広まった。室町時代に入ると為政者層の間では単に茶を飲むだけではなく茶の産地を当てる闘茶が流行ったり、唐物(中国由来)の茶器を珍重する風潮が生まれた。しかしそれと時を同じくして博打や華美を否定し、茶を通じての精神的交流の重要性を説く村田珠光(1422年または1423年~1502年)のような人物も登場する。村田珠光はわび茶の創始者だと考えられており、彼の主張する茶会の作法はその後安土桃山時代に完成されている。
現代も続く日本の茶道は当初から完成されていたものではなく時代を通じて変化し、洗練され今に至ったものなのだが、「新羅の礼法がそのまま取り入れた」と言う主張はそのプロセスを完全に無視している。また、その「新羅の礼法」が如何なるもので本当に実在したものかどうかも明らかではない。
千利休の祖父の千阿弥の阿弥号の出自はそもそも朝鮮半島とは無関係である。