鄭 春河 著 大東亜戦争は決して日本が一方的に仕掛けた侵略戦争ではなかった事は火を見るより明らかである。戦争を起こした者が戦犯ならば、日本に戦犯がある筈がない。東京裁判は実定国際法上違法な裁判であり、戦勝国の虎威を借りて復讐を行い、更に日本に侵略の汚名を着せた上、戦犯と称する者をデッチ上げて国の指導者を極刑に処したのである。
当時裁判の最高責任者マッカーサー元帥が、昭和25年10月15日ウエーキ島におけるトルーマンとの会談で「東京裁判は誤りであった。」また翌年5月3日アメリカ上院外交軍事委員会の公聴会で「日本が開戦を決断したのはその殆んどが安全保障(自衛)の為であった。」と報告している。これが確固たる証拠である。
又アメリカ人学者ジョーンランボーンウエスト博士も昭和44年渡日して東京で講演の時に曰く
「日本が真珠湾攻撃を行ったのは、アメリカの仕掛けた罠にはめられたからだ」。と述べ、極東裁判の不当性を衝き、米製憲法を強制したことを糾弾した。
もともと大和民族は赤穂浪士の如く義気に富んでいて、世代が代っても長年の苦渋を忘れず怨念を晴らす民族だった。パール判事の言う如く 「今こそ日本国民は欧米や中国の日本誹謗の戦時宣伝を払拭して、あやまられた歴史を書き変えねばならない。」
日本の皆々様、如何思召遊ばす?この屈辱を・・・・。
「侵略」「戦犯」の汚名払拭の唯一の道は「極東国際軍事裁判の再審判」であることを進言する。(連合国国際法廷に再審方を上訴するよう)
平成3年11月以来、市ヶ谷台一号館前の保存を求める会が、東京裁判の法廷であった市ヶ谷台一号館を壊さずにそのまま残して歴史記念館にする運動が展開された。私もその運動に参加したのだが、歴史記念館にするというよりも「極東国際軍事裁判再審法廷」として残すべき旨を、「市ヶ谷台一号館前の保存を求める会」会長宇野精一殿に建議した。
昔より「枉魂不散」と言われているように、戦犯として処刑されたところ・・・一号館及び大講堂が七柱の枉魂の古里となって、何時までもそこに留まっていて絶対に離れない。一号館を改築したり壊したりしたらたいへんな事になる。又枉魂は必ず報復する。ここで再審したら必ず成功することを信じて疑わない。
マッカーサー元帥がトルーマンに語ったことと、米上院で報告したことが確固たる証拠である。
「侵略」「戦犯」の汚名を払拭しない限り、
日本の戦後は終わらない。
鄭春河さん略歴
1920年(大正9年)、台湾・台南州北門郡佳里町生まれ。
1939年(昭和14年)、早稲田大学中学部(校外生)卒業後、台南神社にて神職教育を受け、北門郡雇員(公務員)と北門神社奉仕を兼務。
1943年(同17年)、特別志願により陸軍第一補充兵に編入。翌年、台湾第四部隊に入営後、豪北派遣。チモール島にて終戦。
1946年(同21年)6月、復員して台湾に帰郷。戦後、日本人容疑で検挙されるも、無罪判決により政治大学課程を履修。
製油会社等の部長を歴任後、社長・顧問を歴任。
1997年(平成9年)、台南・延平郡王祀(鄭成功廟)にて催された複台記念日祭典に神道式祭典を斎主として厳修。
1988年(同10年)、台中・宝覚禅寺の「霊安故郷」碑前にて催された「台湾同胞戦争裁判犠牲者合祀祭」の神道式祭典を斎主として厳修。
2005年(同17年)12月22日、台南にて逝去。