最近はご無沙汰していますが、株式関係の掲示板にいました。
株式関係の掲示板は、投資話だけでなく、時事の投稿もあり、雰囲気的にはここと変わらない。
まあ、株の銘柄数だけスレがあるから、宇宙的規模の巨大掲示板世界だ。
歴史については、新たに取り組んだものはないので、書き残したかもしれないことがメインの内容である。
〇 ふと思ったこと
任那については、議論の結論がでていない。
この任那は、「御目」と発音が同じである。
では、半島で「目」という国はあるのか?
ある。
目支国である。
目支国は、辰王がいた国である。
任那=目支国として話を進める。
目支国の場所は不明であるが、崇神天皇の時代に任那人に渡した天皇の土産物を新羅に奪われたとの記述があることから、新羅の近くにあったのだろう。
そうすると、日本神話では、第2回天孫降臨のアメノヒボコが任那から来たとなるだろう。
時代をさかのぼると倭国大乱がある。
漢霊帝の時代に倭国で大乱があったとのことだが、第7代孝霊天皇が漢霊帝から命名されたとすると、その時代にヒボコ族との戦いがあったのだろう。
場所は出雲をメインとし、日御崎神社に伝承が残っている。
その後、第9代開化天皇の時代になるとヒボコ族を受け入れたと思われる。明治時代に文明開化があったが同じようなものだろう。
そして第10代の崇神天皇であるが、地元の神(三輪山の神)を崇拝した。
なぜ、地元の神を崇拝する必要があったかと考えると崇神天皇は、外来のヒボコ族なのではないだろうか。
そう考えると江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」はベースの流れは合っていたことになる。
ただ、征服という言葉が誤解されて批判の海に沈んでしまった。
その後、景行天皇の時代にヒボコ族が大挙して九州に移住して、応神天皇の時代に九州から大阪に移住した。
そのころ、邪馬台国勢力は、徐々に拠点を大和から名古屋に移していった。
そして、歴史というのは勝者が書き残すものである。
古代最後において最大の戦いであった壬申の乱において、旧邪馬台国勢力が渡来系(ヒボコ族、百済系)に勝利して、勝者の歴史として日本書紀を編纂し、ヒボコ族の日本移住は、神話でチョロっと記述するだけになったのが、日本の歴史の謎を生んだのだろう。
崇神後にでてくる任那の記述は半島の残存勢力の伽耶を任那と呼んだのだろう。
粛慎が靺鞨に代わっても日本では粛慎と呼び続けたのと同じだ。
〇 狗奴国
狗奴国については、前にNHKで前方後方墳が狗奴国の墓であり、東海地方が拠点であったとの番組があった。
しかし、前方後方墳が狗奴国と関連がある可能性は半々ぐらいではないか。
狗奴国は北陸地方であったとの説がある。(桂川)
北陸に小松という市があるが、この小松がもともとは高麗津であったとの説もある。
高麗はいうまでもなく、高句麗のことである。
小松は昔は入江であり、高句麗の交易船が多数交易していたらしい。
狗奴国は東日本の縄文勢力にある程度浸透していたが、やはりヒンターランドとしての高句麗の存在が大きい。
これに対して、卑弥呼は、魏の御旗を取り寄せた。この魏の御旗に高句麗人は衝撃を受けたのだろう。
崇神天皇の時代に、四道将軍の遠征に屈している。
新羅の于老翁が「倭王を塩奴にしてやる」といって倭と争ったが、この倭王は狗奴国王のことだろう。
新羅は北陸と高句麗との中継地点にあり、狗奴国とは接触の機会も多かったことだろう。
なお、桂川によると狗奴国は日本書紀では、「kuga」と記述されているとのことである。
北陸地方の「陸」という漢字は「kuga」とも読む。