これは一見不思議な態度のようだが、中華文明というものを絶対の尺度として考えるならば、それにいかに近付くか(コピーするか)が評価の基準になる。
韓国人がいかに中国の属国化を徹底させたか、その証拠になるのが、実は名前(姓)の問題である。
韓国人の姓の種類は日本と比べれば極めて少ない、と言っていいだろう。「金」「李」「朴」など、ほとんどが一字姓で、それも代表¥的なものに限れば十¥本の指で数えられる。
これに対して日本は主な姓だけでも三千はあり、細かく調べていったら、とても数え切れない。
しかし、よく考えてみれば、これは実に不思議なことだ。
なぜ韓国人の姓は「金」や「李」のように全部「中国風」なのだろうか? つまり、日本の「山本」や「田中」のように、「山の本」や「田んぼの中」といったような、土着の言葉を基調にした姓がないのか?
実はあったのだ。
「韓国も昔は今とは違って中国式の姓名ではなかったようで、これは中国の記録や日本の記 録を見るとわかります」
「どんな名ですか」
「日本に釆た技術者はといえば、画部因新羅我とか医博士奈率王有憤陀とかいった名前でしたな。また有名な医師に、允恭天皇三年(四一四年) に、天皇の病を癒すために新羅から招碑された金波鎮漠記武がいます」
「フーム。すると韓国も中国式の朴さんや金さんじゃなかったんですか」
(『日本人とは何か』山本七平著 PHP研究所刊)