花郎軍事組織説が広まったのは、実は第二次世界大戦後である。李朝時代には花郎が史家の注目を浴びることは無く、言及された場合でも焦点は歌舞にあてられ、軍事的要素は欠落していた。
20世紀に入ると、申¥采浩が花郎を武士団として賞賛したが、あくまで高句麗讃美の添え物にすぎなかった。
韓国における状況が変化したのは、李承晩大統領の指示のもとで大々的な宣伝が行われてからである。
1949年に李瑄根によって発表¥された『花郎道研究』の中で、愛国心をかき立てる後世の数々の出来事を花郎精神の発露とされた。
国民国家形成のために花郎精神なるものが創造され、報国精神として喧伝された。
花郎の政治利用は、新羅の故地、慶尚道出身の朴正熙政権下に引き継がれた。その結果、花郎は武士団だったという神話は韓国ではすっかり定着した。
「花郎部隊」は韓国陸軍の精鋭であり、「花郎台」は韓国陸軍士官学校の別称となり、韓国の武功勲章の4等級は「花郎武功勲章」と名づけられた。
皮肉なことに、尚武精神が評価されるようになったのは、朝鮮が日本の支配を受けた結果である。極端な武蔑視が支配的だった李朝時代には考えられないことである。
「花郎精神」はある意味で日本統治下で宣伝された武士道精神の代替であるにもかかわらず、韓国では逆に「日本の武士の原型は新羅の花郎」などとまことしやかに語られている。
花郎神話には韓国の武道諸団体も飛びつき、その起源の一つと主張するようになった。
ITF(国際テコンドー連盟)は、花郎を段位の名前としている。「花郎道」という名の武道団体は、それが新羅の花郎によって実践されたと主張するが、実際にはハプキドー(合気道)の亜種である。こうした動きは、逆に彼等の主張が現代の創作であることを証明している。
浅はかな国だな。