韓牛を奪ったのは日本ではなくロシアだった

ウェーベリ中佐(ウェーベル、ヴェーベル:Karl Ivanovich Weber / Carl Waeber)「1889年夏の朝鮮旅行」
朝鮮では牧畜が農村における独立の生業としては成立しない。家畜は農耕にとって必須であり、また家畜自らが耕した畑で獲られた麦藁で飼養される。この飼料の量が、家畜自体の頭数をも決定するが、そのための飼料が不足する以上、余剰の頭数は既に重荷以外の何物でもない。
朝鮮王朝は伝統的に、農業の主動力である牛を勝手に殺して食べることを法律で厳しく禁じており、牛や馬は肉や乳を得るための「商品」ではなく、田畑を耕すための「動力(生産財)」としてのみ飼育されているが、朝鮮の荒廃した土地では飼育も厳しいのだ。余剰の家畜は零細な仲買人へ売却され、仲買人は6頭から10頭の牛の群れを逐って北へ、つまり(ロシア領)南ウスリー地方へ搬送するのである。
朝鮮にとっては、我々による牛の買付けがある程度まで慈善行為でさえあった。朝鮮は自らが飼育しえず、食用にも供さない部分を我々(ロシア)に売り渡している。肉はごく稀な場合に、最高位の貴族層によって食用に供せられるのみで、大都市においてさえ肉の購入は不可能である。肉は市販されていないのだ。
過去数年間、ロシアが購入した牛の年間総頭数は次第に増加を見せて、現在1万頭に達するが、その内の5000頭から6000頭は元山から海路で運ばれてくる。