明らかに嘘だとわかる新聞記事「百人斬り」
≪南京入りまで"百人斬り競争"といふ珍競争をはじめた例の片桐部隊の勇士向井敏明、野田巌少尉は10日の紫金山攻略戦のどさくさに「106対105」というレコードを作って、
10日正午両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した。
野田「おい俺は105だが貴様は?」
向井「おれは106だ!」...
両少尉は"アハハハ"結局いつまでにいづれか先に100人斬ったかこれは不問。結局「ぢゃドロンゲーム」と致そう。
だが改めて150人はどうじゃ」と忽ち意見一致して11日からいよいよ150人斬りはじまった。
11日昼中山陵を眼下に見下ろす紫金山で敗残兵狩り真最中の向井少尉が、
「百人斬ドロンゲーム」の顛末を語ってのち、知らぬうちに両方で100人を超えていたのは愉快じゃ。
俺の関の孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜もろともに唐竹割にしたからぢゃ。
戦いが済んだらこの日本刀を貴社に寄贈すると約束したよ。
11日の午前3時友軍の珍戦術紫金山残敵あぶり出しには俺もあぶり出されて弾雨の中を「えいままよ」と刀をかついで棒立ちになっていたが、一つもあたらずだ。
これもこの孫六のおかげだ。
と飛来する敵弾の中で106の生き血を吸った孫六(刀)を記者に示した。≫
毎日新聞は、1969年に発行した『昭和史全記録』(178ページ)で以下のように「百人斬りは事実無根」とこれを否定している。
『この記事は当時、前線勇士の武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京大虐殺を象徴するものとして非難された。
ところがこの記事の百人斬りは"事実無根"だった。
向井少尉はこのとき手足に重傷を負っていた。東京日日記者に会ったのは、南京の手前で、冗談に
「花嫁を世話してくれ」と言うと
「天晴れ勇士として報道されれば花嫁候補はいくらでも集まる」とこの記事になったという。
向井は47(昭和22)年4月、東京軍事法廷に召喚されたが、新聞記事は事実ではないと釈放。
2カ月後、再召喚され中国軍事法廷に立たされ「百入斬りの獣行により日本女性の欲心を買わんとしたことは現代人類史上聞いたことがない」と死刑の判決。
ふたりは、48(昭和23)年1月28日、南京雨花台刑場で銃殺された。』..