高麗の社会は朝鮮の歴史にとって新羅に続き、女性の社会的地位が高い時代だった。
政治や生活全般には男が優先されたが、財産の分配は、息子と嫁いだ娘とで同等に分配された。
また夫に殴られた妻が官庁に告発し、官庁に引っぱられた夫がむち打ちの刑を受けた事もあった。
忠烈王の時、朴楡は王に貴族の畜妾(ちくしょう)制度を法律で定めることを建議した。後に朴楡は町で老婆と女たちに後ろ指を指され、面前で悪口を言われた。離婚と再婚が自由だったとされるが、特別な理由もなく妻を見捨てると法律によって処罰された。
12世紀に宋の徐兢が高麗を訪問した後に書いた『高麗図経』には、「離婚率が高いし、恋愛と別れが多すぎるので、風習がおかしい」と書かれている。
息子がいなくても、祭祀は娘と婿が行なった。婿取婚の比率も高く、女性は影響力が強かった。
しかし、女性の地位が高いとはいえども、王や文官、軍人たちはほぼ全員男性であり、やはり公的な領域では歴然たる男性優位の社会であった。
【李氏朝鮮】
ここ 漢城の一角 天木がいる場所では奴婢が売買されていた。
奴婢は食事や掃除や労働に従事していた。
しかし反抗的な奴婢は木檻の中に閉じ込められたり 首に鎖を巻きつけられて座り込んでいた。
ここでは十数人の男女が売買されていた。
まだ衣服を着ているものはいいが 中には裸のまま木檻の中に入れられている人間がいた。
絶望。人間としての絶望感がここには流れていた。
現実ではひどい環境におかれた奴隷の中にはやせ細り動くことも出来ないものが多数存在して
外国人がそれを見て驚いて目を背ける場面が存在していた。
しかも未だに身分制度が存在して漢城(ソウル)には奴婢 白丁 僧侶はいることは出来なかった。
仏教は迫害されていて 僧侶の地位は低く 日本人はこれに憤慨していた。

高麗時代には盛んだった仏教は李氏朝鮮になってから迫害された。