第八章 日本の植民地統治時期の教育、学術、社会
人口の激増
日本の植民地統治時期、総督府は熱帯伝染病に対し、有効な予防・治療をおこない、公衆衛生を強化し、
交通、産業、教育などを改善した。このため、台湾の人口は長期にわたり高い出生率を維持し、
死亡率が大幅に低下した結果、人口は不断に増加した。
一八九六年当時の人口は約二百六十万人で、一九四三年には約六百六十万人
(在台日本人を含む)にまで増加した。
優に二・五倍も増加したわけで、その増加速度は世界でもトップであった(中略)
時間厳守の観念の養成
総督府は、週制と標準時間制度を台湾に導入し、官庁、学校、工場では就業と休息の規則が制定され、
勤労者や学生に対し、厳格な時間遵守を要求した。(中略)
一九二一年から、日本国内に倣い、毎年六月十日を「時の記念日」に制定し、官庁、団体などを通して、
講演会や音楽会などを挙行し、ポスターの掲載、チラシ配布などを通じて時間の重要性を説き、
時間厳守、時間重視の精神を養わせ、民衆の日常生活において、時間の標準化と時間厳守の
観念を確立させた。
第七章 日本植民統治時代の政治と経済
植民地経済の発展
経済発展の基礎確立
日本植民地統治の初期、総督府は台湾を日本の経済発展に組み込むため、
積極的に各種の経済改革と建設を促進した。
(中略)
自動車の通行できる道路を修築し、基隆から高雄にいたる縦貫鉄道を建設し、
台湾の各地域間の交通運輸網を改善した。基隆港と高雄港を改築して近代的設備を整えた港に整備し、
万トン級船舶の出入港を可能にした。
このほか部分的に媽宮城(現在の澎湖馬公)を取り壊し、馬公港を建設した。(中略)
農 業 改 革
日本植民地統治の当初、総督府は「農業は台湾、工業は日本」の政策を立て、
台湾を米と砂糖の生産地とするため、農業改革を積極的に推進した。
一、各地に農業研究機関を開設し、新品種や新化学肥料を提供するとともに、耕作新技術の指導にあたった。
二、各地に農業組合を設立し、新種の普及と新技術の教育に責任を持ち、農業用借款の貸付業務をおこなった。
三、水利工事を興して耕地・潅漑面 積を大幅に拡大した。そのうち最も有名なのは八田與一の設計・建設した嘉南大◆(大水路)であり、その潅漑面積は十五万甲(約十五 万ヘクタール)に及んだ。
日本植民地統治からすぐ、総督府は製糖産業の近代化に尽力し、資金援助の実施、
原料採取の地域指定、市場の保護といった三大措置をおこない、
日本の新興製糖業資本家を支援し保護した。このため、日本の資本家は競って台湾に投資するようになった。製糖業は台湾を最も代表する産業となり、その生産量は絶えず増加し、最盛期には百五十万トン近くにも達し、台湾を世界的な砂糖王国の一つとなした。
工業化への進展
日本植民地統治時代、台湾経済は農業を中心とし、工業は長いあいだ農業に付随し農産品の加工が
主たるものとなっていた。
一九三〇年代より日本は華南や南洋を進出目標とした南進政策の必要性から、
総督府は台湾の工業化政策を推進するようになり、軍需に関連する基礎的工業を発展させ、
台湾を日本南進の補給基地となした。
工業化の結果、農産品加工業の継続的発展のほか、化学・金属・機械工業など重化学工業が
顕著に成長し、台湾を半農業半工業社会に転換させた。
台湾政府はどこかの馬鹿国家と違って歴史を歪曲しないようだ。