《 東夷列伝 全文 》
東 夷 列 伝 (註 檀奇古史 附録)
東方有古国 名曰東夷
星分箕尾 地接鮮白
始有神人 檀君 遂応九夷之推戴而為君 与尭病気立
虞舜 生於東夷 而入中国 為天子至治 卓冠百王
紫府仙人 有通之学 過人之智 黄帝受内皇文於門下 代炎帝而為帝,
小連大連 善居喪 三日不怠 三年憂 吾先夫子称之,
夏禹塗山会 夫婁親臨 而定国界,
有為子 以天生聖人 英名洋〓乎中国 伊尹受業於門 而為殷湯之賢相
其国雖大 不自驕矜 其兵雖強 不侵人国,
風俗淳厚 行者譲路 食者推飯 男女異処 而不同席 可謂東方礼儀之君子国也,
是故 殷太師箕子有不臣於周朝之心 而避居於東夷地
吾先夫子 欲居東夷 而不以為陋,
吾友魯仲連亦有欲踏東海之志
余亦欲居東夷之意
往年賦観東夷使節之入国其儀容有大 国人之衿度也,
東夷蓋自千有余年以来 与吾中華 相有友邦之義 人民互相来居往住者接踵不絶,
吾先夫子 以東夷不以為陋者 其意亦在乎此也, 故余亦有感而記実情以示後人焉
魏 安釐王 十年 曲阜 孔斌 記 (字 子順)
<東方に古い国があるのに東夷(東夷 = 古代韓国)だと言う.
立派な方である <檀君>このいらっしゃったが <焼き物(九夷 - 東夷(東夷)の九つ国. 合わせて古代韓国.)>の推戴を受けて賃金になった. 要任金の時の仕事だ.
スンイムグムは東夷(配達)で生まれて中国に来て賃金になって立派な政治をした.
東夷(東夷)には自負船である(紫府仙人) という度に通じる立派な方がいらっしゃったが
(中国の詩調だと呼ばれる) ¥"黄制憲院さん¥"がその門下で 文を学んで ネファングムン(内皇文)を受けていて帰って来て炎帝(炎帝) 代わりに賃金になって民たちに生活方法を教えた. 順序(舜)が 中国に 来て敷布団(尭)賃金の次の賃金になって民たちに人役する倫理と道徳を初めて教えた. ソ連(小連)と対連(大連) 兄弟が親に手厚く親孝行したら親が帰るから 3年を悲しんだが .これらは東夷族の後裔だった.
(中国の古代国である) 一つだとウイムグムの ¥"倒産回の¥"に東夷(古代韓国)の ¥"部で¥"が親しく来てくれて国の境界が決まった.
東夷である ¥"有為者¥"は空が内申大人なのにその方から ¥"中国¥"という名前を得たし
¥"利潤¥"がその門下で学んで 賢明な臣下になった.
縛るその国がたとえ大きいが他人の国を馬鹿にしなかったし,
その国の軍隊はたとえ強かったが他の国を侵犯しなかった.
風俗が純朴で厚徳して道を行く人々がお互いに譲歩して,
食べ物を食べる人々が食べることをお互いに譲歩して,
男と女が別に住んでハム部ではまじないから,
優に <東方礼儀君子国> (東方礼儀君子之国 - 東にある礼儀正しくて義(義)が分かる君子の国) だと言える.
それで銀(殷)国太社(太師) 記者(箕子)仮株(周)国臣下にならないで東夷(東夷)地 (古朝鮮)に行ったし
私のお爺さん孔子(孔子)が東夷(東夷)に行って暮したがった.
私の友ノ−ズングリョン(魯仲連) やはり東夷(東夷)に行きたがる.
私もやっぱり東夷に行って暮したい.
この前に東夷の使節団が全ことを見たら対局人々 (大国人) らしい姿だった.
縛るだいたい千年以上展から中国と友邦だった.
人々がお互いに往き来した.
ウィナだと 安釐超 10年ゴックブで公賓使う.