朝鮮の方にとって古代は日本には絶対に譲ることの出来ない聖域なんですね。
どんなに世界の学者が認めていても日本起源であることは絶対に認めないですねw
ところで日本には銅鐸と言う独特の青銅器があります。
このような5mm位の薄い、中空の物を鋳造するのは、時代がずっと下がった新羅の金冠を制作するより難しいw実は現代でも簡単ではない。

韓国の方は日本には青銅器時代は無かった、伽耶から鉄を教えてもらった6世紀になるまで石器時代の生活だったと、よく主張します。
しかし日本にはご存知の通り銅剣、銅矛、銅鏡、銅鐸など多くの青銅器が出土されます。
その中で銅鐸は弥生時代の日本独自の青銅器です。日本では500個ほど出土しています。起源を遡ると、争う原因になりますがw中国や韓国にある小型の胴鈴が元になったとも言われます。ただ日本にも胴鈴があり、形状的にも大きさも違います。まったく別の物として発展したようです。
「銅鐸はいわゆるベル型の青銅器で、その起源は大陸製の小型類品にあったと推定されているが、大きさや形状、紋様構成などにみられる多くの特色は弥生時代の日本列島で独自に醸成された。(東京大学総合博物館)」
銅製品の当時の物としては大変に精巧に出来ています。このような中空で大型のものを、3mmぐらいの厚さで作るのは、銅剣のような無垢の物に較べて難しいそうです。

【銅鐸の復元作業及び分析http://www.nittech.co.jp/dotaku/P9905.html】
そしてその表面に刻まれている模様や絵などが当時の生活を知る上の参考になります。
●使途
銅鐸はその形状から、鈴や鐘のように鳴らすものであったことは、容易に想像がつきます。近年の研究によると、銅鐸は内部に舌(ぜつ)を入れて鳴らすもので釣り鐘のように吊して使うものであった、という事までははっきりしています。
●銅鐸の謎。日本でも銅鐸は今でも謎です。
①銅鐸は、人の目につかない谷問の斜面や山腹などに特別な施設もなく埋められた状態で発見されます。また住居に近い所や墳墓などの副葬品としては出土しません。だから銅鐸の発見の予測は困難です。これまで出土した銅鐸の殆どは農耕や工事の際に偶然に見つかっています。まだ人知れず、どこかの山の斜面に眠っている銅鐸も多くあるでしょう。
②銅鐸は祭器であったと言われています。それなのに銅鐸を祭った神社はありません。また他の祭器と一緒に見い出される事もありません。
③古い型式の銅鐸は、磨滅した状態が見られ、長年伝世された後に埋められたように見えます。新形式のものには鋳造してから、すぐ埋められたような物もありもす。新・旧の銅鐸が、一緒に埋められている例も多いようです。
④畿内を中心とした限られた場所で多く出土する。
⑤史書などには登場しない、(後の人は出土したものを見て、怪しむとか、良い兆候では無いと言う記録はある。当時の人は銅鐸の存在自体を認識していなかったようです)
⑥そして3世紀の末にはまったく姿を消してしまうのです。
どうして辺鄙な所に埋めてあるのか?どう言う目的に使われたのか?何故突然姿を消してしまったのか?これらの疑問点は色々の仮説はありますが、まだ完全には解明されていません。日本人なら、どなたでもご存知の基本的なことなのですが、韓国の方に日本にも独特の青銅器がある事をお伝えする為に上げました。
●史書の記載
通説では、巨大古墳文化の始まりとともに、銅鐸は消滅しているといます。銅鐸のことを記す文献は、『扶桑略記』です。『扶桑略記』は平安時代に成立した歴史書ではあるが、正史では有りません。
「天智天皇御宇七年(668)正月十七日、近江京、崇福寺建立の時、一人の工人によって高さ五尺五寸(1m66cm)の宝鐸が発見された。しかし、その場に居合わせた百済人の設計・施工技師らには、それが何であるか全く判らなかった。」
正史では、わずかに『続日本紀』が和銅6年(713)の大倭国宇太郡(奈良県)で発見された銅鐸の記事を載せている。
「七月六日 大倭国宇太郡波坂郷の人、大初位上の村君東人は、長岡野の地で銅鐸を得て献上した。高さ三尺・口径一尺で、その造りは普通と異なっており、音色は律呂にかなっている。そこで担当の宮司に勅して収蔵させた。」
●使途
銅鐸はその形状から、鈴や鐘のように鳴らすものであったことは、容易に想像がつきます。近年の研究によると、銅鐸は内部に舌(ぜつ)を入れて鳴らすもので釣り鐘のように吊して使うものであった、という事までははっきりしています。
銅鐸は、青銅器文化の朝鮮半島からの流入に伴い、九州北部から伝播していったらしいです。そして、紀元前一世紀頃以降、国内で鋳造されています。近年、九州地方から銅鐸の鋳型が出土しています。しかし、初期の銅鐸は10センチメートル程度の小銅鐸で、この大きさの銅鐸こそ、朝鮮半島で使用されていた物らしいですが、それは実用品としての鈴でした。
ついでに大量の銅剣
