[9、浦項 ( ほこう )製鉄所]
韓国の東海岸の浦項 ( ほこう、韓国語でポハン )には、韓国産業開発の象徴的存在である P O S C O ( 浦項総合製鉄所 )がありますが、現在では世界で五本の指に入り、新日鉄に次ぐ生産規模を誇っています。その建設に際して全面的な資金協力、技術協力をしたのは当時の日本であり、日本の協力なくしては絶対に不可能な事業でした。
浦項製鉄所建設に際して、韓国は最初から日本を相手に選んだのではありませんでした。まずドイツの D K G グループを契約相手に選び、ドイツからの製鉄技術の移転を当てにし、アメリカから資金を調達する計画でした。ところが国際 コンサルティング会社の調査によって、韓国の生産性が低く日本との製品競争に勝てる見込みが無いと判断された結果、西ドイツ政府、イギリス政府からも資金調達、技術協力を拒否され、アメリカ輸出入銀行からも最終的に借款不可能を宣告されました。
そこで当時の朴政権はやむなく日本政府に、資金と技術援助を求めて 泣きついて来ました。種々の問題があったものの建設に必要な資金一億六千万ドルのうち、日本が一億ドルつまり六十二パーセントを提供することにより製鉄所建設工事が開始されました。第一期工事は昭和四十五年(1970年)に始まり昭和四十八年に完成しましたが、日本の資金協力、技術協力がなければ製鉄所の工事、施設は到底完成できませんでした。
製鉄製鋼部門に限らず、自動車、家電製品、紡績、電子など韓国における産業の半分以上は、日本からの技術移転によるものです。昭和五十年代に毎週金曜日の夜に成田や大阪からソウルに向かう飛行機は、日本人のパソコン関係の技術者で常時満席の状態でした。韓国の会社で土曜、日曜と パソコンの ハード・ソフト作りの技術を指導し、日曜日の最終便で日本に帰国したからでした。
更に韓国が昭和五十一年(1976年)に、鳴り物入りで初めて輸出した小型乗用車の ポニーに搭載したのは、韓国製のエンジンではなく、三菱自動車製の エンジンだったことは、当時車に興味のある者なら誰もが知っていることでした。韓国の現代自動車(株)が作った エンジンでは、すぐに故障して使い物にならず、やむなく三菱から小型 エンジンの提供を受け、技術支援を受けたからです。
ある資料によれば、昭和三十七年(1962年)から昭和五十八年(1983年)までの二十一年間に韓国が技術導入した件数のうち、五十六.三パーセントは日本からのものでした。