【新幹線の沿革: 世界の羨望を集めるようになるまで】
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しかし新幹線計画の成功は決して順風満帆とは言えませんでした。5年の建設期間の間に建設費は増大し、当初の予算の倍以上・4千億円にも達しました。日本国内では、新幹線計画を完成以前から失敗と呼ぶ声が大きく、国鉄の建設局長でさえそれを「愚の骨頂」と呼ぶ始末でした。特に、標準軌を採用する決断は、新幹線は在来線と互換性がなくなることを意味し、大きな批判を集めました。
海外では、新幹線計画は好奇心と懐疑の目で見られていました。60年代はジェット旅客機と車の時代だとみられ、西洋諸国ではそれらの成長に見合うインフラ整備に追われていました。特にアメリカでは、何十億ドルもの資金が州間高速道路の建設に充てられ、鉄道の路線網は衰退し始めていました。飛行機と自動車と張り合うには鉄道はあまりに遅く、不便だとの意見が多数を占め、20世紀の終わりには鉄道は廃止されると予想する人が数多くいました。
しかし、新幹線の開通は世界の鉄道への視点を変えることとなります。新幹線は、都市間輸送において、鉄道が最速の移動手段になりうることを証明しました。総合的にみると、東京ー大阪間の移動時間は、新幹線が最も早く、飛行機よりも高い利便性を誇りました。運行開始から3年間で、東海道新幹線は1億人以上の乗客を運びました。
日本人の成功は、フランスのTGVなど他国での高速鉄道開発を後押ししました。新幹線の多大なる成功は路線の延長をもたらし、新幹線網は日本全土に達するまでに成長することとなります。
