博多の夏祭り「博多祇園山笠」。 博多は現在は福岡市の一部です。
大昔から 大陸や朝鮮半島に対する港として栄えた商人の町です。
福岡市のJR新幹線の駅名も 博多地区にあるので、「福岡駅」では無く「博多駅」です。
「飾り山笠」 何故か90度傾いてしまった。(?_?)
博多には、春と夏と秋に大きな祭りがあります。 7月1日から7月15日の間が夏祭り
「博多祇園山笠」の期間です。 博多の総鎮守「櫛田神社」のお祭りです。
上記の様な「飾り山笠」が旧博多エリアを中心として市内に20箇所ほど出現します。
その他の、今年の飾り山笠:
「外国語の説明書き」が付いている所もあります。 ハングルでの上記の場面の説明。
山笠の台の上の飾り物(ハリボテ人形)の話の題材には、昔から色々と決まったルールがありますが 規則が非常に複雑なので詳しい説明は省略します。
飾り山笠の場合は、正面側は基本的には勇壮な戦いの場面とか神様達の場面、飾り山の裏面側は、娯楽物でも構¥わないと考えればよいでしょう。
今年の娯楽物(子供向け)飾り山笠の例:
ドラえもん
名探偵コナン
これらの山笠の人形や背景の構¥造物は、博多人形師の人達が展示の数ヶ月前から作り始めます。 製作費を出すスポンサーは。町内の商店や個人の寄付です。
博多人形は、型から抜いた粘土を、低温焼成後に彩色した土人形です。
その昔、1601年頃、福岡城を築城する際に、瓦職人達が余った粘土で作ったのが始まりと言われています。
博多人形の例:
「ねんどろいど」ではありません。
上記の「山笠」の博多人形の題材の光景は、祭りでよく見かけます。
飾り山笠:
今、日本のTV局(犬HK)で放映されている時代劇の場面から。
博多の山笠の起源は 1241年に、町に疫病が流行した時に、高徳の僧侶(聖一国師)を台にのせ 担いで町内を回り、台上から僧侶が聖水を撒いて 「病魔退散」を祈願したのが始まり と言われています。
日本では 神様(神道)と仏様(仏教)は敵対する存在ではありあません。 山笠の走るコースの中に この僧侶が作ったお寺の境内も含まれています。
最初は 単なる宗教的行事でしたが、その内に、各町内が台の上の飾り物の豪華さと スピードを競うようになって行きました。
明治時代(1867〜)に入ると、中央から来た役人が 「上半身裸で街中を走り回るのは野蛮である。」 とか 「電灯線の邪魔になる」とかの理由で 一時期、山笠を禁止しました。
この為、「上半身に水法被を着る」、「街の中を走り回る山笠は高さを低くする(追い山)、又その山笠とは別に舁い(担いで)回らない、固定した飾り山笠を作る」という事になりました。
つまり、2種類の山笠に分かれて現在に続いている訳です。
舁く人達のスタイルで 上半身は「水法被」ですが、下半身は、「締め込み(褌とは言いません)」スタイルのままですから大昔と変わりません。 靴は大昔と異なり 草鞋でなく地下足袋を履くようになった。
「舁き山」の方を紹介します。
重さ約1トンの舁き山に、最初は6人、最後は2名の指揮者が乗ります。 担ぎ上げる為の棒は6本です。
これで、街中の狭い路地を5kmゴールに向かって走ります。 優勝時間は30分以下です。
途中で多くの舁く人が入れ替わります。 その為の交代人員が多く山笠の横、前、後ろにつきます。
先頭集団は 子供たちや老人たちです。
真ん中に、舁き山が続きます。
上記の写真は昼間の予¥行演習風景です。
「追い山笠」本番は7月15日午前4時59分に一番目がスタートします。
もうすぐ空が明るくなり始める時間帯です。
列の後ろの方なら、子供づれでもOKです。
男の祭りですが、女の子も小学校低学年なら参加可能¥です。
これらの子供たちが、次世代の山笠の担い手となります。
町内の子供達は、この祭りに参加する事により、集団行動のルール、リーダーの有り方、先輩を敬う心、裏方の仕事の重要性などを自然と体で学びます。
7月15日朝6時頃、ゴールまで走った山笠は、各町内に戻って来ます。
戻ってくると、すぐに山飾りを壊して、次の年の当番の町に台を引継ぎます。
台のみとなりました。
福岡市に観光でこられるのならば、飾り山笠は7月1日から14日まで。
追い山笠を見るのならば7月12日から15日早朝が良いでしょう。
ミリタリー板の「忍者の武器 ¥640_」のスレッドに、他の山笠の写真を置いています。
===============≒=================≒==
この飾り山笠の戦国武将達は、韓国/朝鮮の人たちにとっては、あまり好ましい人物達ではないです。 豊臣秀吉の九州平定の場面かな。 加藤、島津、黒田、鍋島、等武将の人形。