以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、高校生までは、基本的には、泊りがけの旅行と言えば、両親に連れられた家族旅行でした(まあ、高校生の時は、子供の頃・中学生の頃に比べると、両親に連れられた泊りがけの家族旅行の頻度は、かなり減りましたが)。ちなみに、私は、高校時代、日本から自分のマウンテンバイクとテント(ちなみに普段アウトドア派では全くなくテントはその為に買ったw)をニュージーランドに持って行って2週間から3週間程度かけて、ニュージーランド南島、自転車縦断一人旅をしましたが(日程に、とてもゆとりを持って(観光に充分時間をかけれるようにして)、一日あたりの移動距離は、全く無理しませんでした)、それは、また別の話として置いておきます。
貸切り(kashikiri)温泉風呂は、共同風呂では無く、夫婦やcouple、家族だけで入る事が出来る温泉風呂で、通常は、小規模で(普通の家の家庭用風呂よりかは、大きいが、富裕層の家庭用風呂位)、入る時は、内側から鍵をかけたり、入浴中の表示を出したりして、他の人が、入って来ないようにします(鍵が、かかっていたり、入浴中の表示が、出ていると、利用中だと判断して、他の人が、入って来ない)。
私は、大学生以降は、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性と、二人きりで泊りがけの旅行に、本格的に、よく行くようになりました。
ちなみに、若い頃は、交際している女性・親密な女性と温泉に行く際に、率直に言って、貸切り(kashikiri)温泉風呂があるか否かが、泊まる温泉宿泊施設を選ぶ際の、かなり大きな要素となっていましたがw(若い頃は、交際している女性・親密な女性と温泉に行く事が、重要な目的であったw 済みません、若い頃は、遊んでいました)、成熟した大人の男性である今は(年を取って、趣味に関しては、若い頃よりも枯れたと言うのもありますがw)、彼女と温泉に行く際に、貸切り(kashikiri)温泉風呂があるか否かは、温泉旅館を選ぶ際に、あまり重要な要素となっていません(今は、温泉に行って、リラックスする事が、温泉に行く重要な目的なので)。」
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
日光(nikko)の自然に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
日光で、お勧めのハイキングコース前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3611346/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
日光で、お勧めのハイキングコース後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3611344/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下の投稿内容の、温泉旅館・飲食店その他の情報は、2016年の12月上旬時点の物です。
以下、基本的に、前に行った(2016年の12月上旬に行った)投稿から抜粋して来た物で(ほぼ再掲)、2015年の12月の中旬に、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と、日光(nikko)に遊びに行って来た時の物です。
1年近く前の事ですが(投稿の機会を失っていた物)、去年の12月の中旬に、彼女と、日光(nikko)に遊びに行って来た時の物です。
日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)は、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。
なお、この時は、日光(nikko)では、日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaを散歩しただけで、ハイキング(hiking)等はしませんでしたが、日光(nikko)は、豊かな自然を有しています。
私は、日光(nikko)に、遊びに行く時は、通常、電車を使って行きます。この時も、電車(東京都心部と、日光(nikko)を結ぶ、特急電車(express))を使って、日光(nikko)に遊びに行きました。
この時、私達は、日光(nikko)の、東照宮(toshogu)を中心としたareaの近くにある、現代的な、中上級(upper
middle)classの、温泉旅館に宿泊しました(この温泉旅館は、この時、初めて宿泊しまた)。この温泉旅館(この時、私達が、日光(nikko)で宿泊した、温泉旅館)については、前回の投稿(「日光東照宮と温泉旅館1」)を、参照して下さい。
以下、日光東照宮と温泉旅館1からの続きです。。。
日光東照宮と温泉旅館1は、以下です。
日光東照宮と温泉旅館1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3724109?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、この時の、2日目(以下、この日と書きます)についてです。
朝、客室(この時、私達が、この温泉旅館で宿泊した客室)のバルコニー(balcony)からの景色。
この温泉旅館の、温泉風呂は、男用の、共同温泉風呂と、女用の共同温泉風呂が、それぞれ、一つずつと、貸切りの温泉風呂(温泉露天(野外)風呂となっています)(下の補足説明参照)があります。
貸切り温泉風呂:共同風呂では無く、夫婦やcouple、家族だけで入る事が出来る温泉風呂。入る時は、内側から鍵をかけたり、入浴中の表示を出したりして、他の人が、入って来ないようにします(鍵が、かかっていたり、入浴中の表示が、出ていると、利用中だと判断して、他の人が、入って来ない)。
この温泉旅館の、貸切りの温泉風呂は、今年の5月に、新しく、オープン(open)した様です。私が、この温泉旅館に宿泊した時は、今年の5月に、貸切りの温泉風呂が、この温泉旅館に、オープン(open)すると言う事は、知らなかったので(そう言う情報は入っていなかったので)、今年の5月に、貸切りの温泉風呂が、この温泉旅館に、オープン(open)すると言う事を知っていたら、この温泉旅館は、今年の5月以降に宿泊したのに、少し、残念な気がします。
写真以下8枚。朝(朝食後)に入浴した際に、一人で貸し切り状態になった時に、撮影した、この温泉旅館の、男用の、共同温泉風呂(女用の、共同温泉風呂も、似た感じであると思います)。前述の通り、17の客室しかない、温泉旅館の、温泉風呂としては、ゆったりとした(広々とした)、温泉風呂となっています。男用の、共同温泉風呂、女用の、共同温泉風呂、それぞれに、屋内(室内)温泉風呂、温泉露天(野外)風呂の他、サウナ(sauna)があります。
写真以下4枚。屋内(室内)温泉風呂。
写真以下4枚。温泉露天(野外)風呂。この時、この温泉旅館の、温泉露天(野外)風呂は、柚子湯(柚子を、浮かべた、温泉)となっていまいした。
共同温泉風呂の近くの、休憩室に置いてあった、無料の、栃木(tchigi)県産の、牛乳。日光(nikko)が位置する、栃木(tchigi)県(東京圏の北端に位置する県)は、東京圏で、酪農が盛んな県の一つで、良質な、乳製品・牛乳の産地となっています。
写真以下5枚。この温泉旅館で食べた、この日の朝食。全て、一人一皿ずつ(写真は、一人分)。朝食の内容は、これと、あと、ご飯(rice)と、味噌汁(miso soup)です。朝食の内容は、庶民的な温泉旅館から中級classの温泉旅館の、何の工夫もない、非常に平凡な朝食と言った感じで、(質の高い)夕食に比べて、残念な感じでした。この温泉旅館の夕食(この時、私達が食べた物)については、前回の投稿(「日光東照宮と温泉旅館1」)を参照して下さい。
湯豆腐(温かい豆腐)。
これは、ヨーグルト(yoghurt)です。
この日は、日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaを散歩しました。ちなみに、日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaは、子供の頃から、ある程度、訪れています。
日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaは、東京近郊の、代表的な、観光場所の一つとなっています。
日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)は、近代以降は、リゾート(resort)地・保養地・避暑地として開発され、現在は、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地となっていますが、日光(nikko)は、古くからの、山岳信仰・修験道(syugendo)(仏教の密教と日本古来の山岳宗教が結びついた宗教)の、霊場(神聖な場所)としての歴史を有する場所であり(修験道(syugendo)の、霊場(神聖な場所)としての歴史は、8世紀の頃から。。。)、東京圏を代表する、山岳信仰・修験道(syugendo)(仏教の密教と日本古来の山岳宗教が結びついた宗教)の、霊場(神聖な場所)の一つとなっている場所でもあります。
また、日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaは、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀の半ば)の頃から、大衆・庶民(特に、東京圏に暮らす、大衆・庶民)の、人気の観光場所となっており、日光(nikko)には、堂者引き(doujyabiki)と言う、17世紀からの歴史を有し、現在も続いている、日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaを案内する、伝統的な、観光guideの、職業があります(17世紀の頃から、日光(nikko)の東照宮(toshogu)等に、参拝をしに来る、地方領主・侍(samurai)・一般の市民・農民(大衆・庶民等)を相手に、現在で言う、観光guideを行っていた。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀の半ば)においては、大衆・庶民は、日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaは、形式上は参拝目的、実質的には、(現代において、日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaを訪れる人々と同様に)、観光目的で訪れた人々が多かったと思います)。
写真以下。この日は、日光(nikko)の東照宮(toshogu)を中心としたareaを散歩しました。写真の一部は、逆光の(写真を撮る方向から太陽の光が来た)関係で、白んでしまって(白っぽくなってしまって)、済みません。
写真以下、日光(nikko)の東照宮(toshogu)。日光(nikko)の東照宮(toshogu)(1617年に創建される)は、日本全国の、東照宮(toshogu)(徳川
家康(tokugawa
ieyasu)(下の補足説明参照)を祀る、神道(Shinto)の、神社(shrine)。日本全国で30ある)を代表する、神社(shrine)であり(日本全国の、東照宮(toshogu)の、flagship的な、神社(shrine)であり)、古くから、東京圏を代表する観光場所の一つとなっている、規模の、大きな、神道の、神社(shrine)です。
徳川家康(tokugawa
ieyasu):1543年生まれ。1616年に亡くなる。地方の、小さな豪族の家に生まれるが、後に、非常に有力な地方領主となる。17世紀初めに、日本全国の地方領主達の長(leader)となり、以後、19世紀半ばまで、江戸(edo)(現在の東京)を拠点に、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治する事となる、徳川(tokugawa)家(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家)の、基礎を作った。
写真以下、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、風景例。日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、現在存在する建物の、ほとんどは、17世紀に建てられた物です(特に、1635年から1636年に、建てられた物が、ほとんどを占めています)。日光(nikko)の東照宮(toshogu)の建物には、彫刻等、多くの動物に関する装飾が、施されていますが、これ等の動物に関する装飾の、ほとんどは、平和を表している物です。

写真は、借り物。日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、建物は、どれも、立派ですが、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、建物の中で、最も、有名な建物である、陽明門(youmeimon)。(日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、他の、現在の、ほとんどの建物同様)1635年から1636年に建てられた建物で、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、門の一つです。日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、建物の、ほとんどは、豪華な彫刻が、施されていますが、陽明門(youmeimon)は、特に、豪華な彫刻が、施された建物です。この時、陽明門(youmeimon)は、保存・修理中でしたが(保存・修理は、現在の所、来年の(2017年)の3月に完了予定である様です)、保存・修理中でしか見られない、(陽明門(youmeimon)の)、普段は、隠れている、壁画が公開されていました(一つは、初めての公開。もう一つは、40年振りの公開。この時の、保存・修理中の機会を見逃すと、次の修理の、40年後から50年後にしか見られない壁画でした))。
写真以下12枚。日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、五重塔。前述の通り、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、現在存在する建物の、ほとんどは、17世紀に建てられた物ですが(特に、1635年から1636年に、建てられた物が、ほとんどを占めていますが)、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、現在の、五重塔は、例外的に、比較的、新しい物で、1818年に建てられた物です(元々の建物(1648年から1650年に建てられた)が、1815年に火災により(落雷による火災かな?)、焼失し、1818年に、再建された物です)。
日光(nikko)の東照宮(toshogu)の建物には、非常に多くの彫刻が、施されていますが、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の建物の彫刻の中で、最も、有名であるのが、上で紹介した、三猿(三匹の、賢い(賢明な)猿)の彫刻と、写真の、眠り猫(眠っている猫)の、彫刻です。前述の通り、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の建物には、彫刻等、多くの動物に関する装飾が、施されていますが、これ等の動物に関する装飾の、ほとんどは、平和を表している物であり、この、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の境内(敷地内)にある、徳川
家康(tokugawa
ieyasu)の墓(tomb)の入り口にある、眠り猫(眠っている猫)の彫刻も、平和を表している物です。この、眠り猫(眠っている猫)の彫刻は、1617年から1636年頃に制作された物です。この、眠り猫(眠っている猫)の彫刻が有名であるのは、この、眠り猫(眠っている猫)の彫刻が、左甚五郎(hidari
jingorou)(下の補足説明参照)の作品であると伝えられているからです。この、眠り猫(眠っている猫)の彫刻は、有名ですが、私の個人的な感想としては、日光(nikko)の東照宮(toshogu)の、他の動物の彫刻に比べて、非常に、下手である(技術等が、上手ではない作品である)と思いますw(あくまでも、私の個人的な、感想です)。
左 甚五郎(hidari jingorou):17世紀に活躍したとされる、日本の、有名な、伝説的な、彫刻職人。
写真以下3枚。徳川 家康(tokugawa ieyasu)の墓(tomb)へと続く、道(階段)。
写真以下。徳川 家康(tokugawa ieyasu)の墓(tomb)。
日光東照宮と温泉旅館3へ続く。。。
「日光東照宮と温泉旅館3」は、以下です。
日光東照宮と温泉旅館3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3724107?&sfl=membername&stx=nnemon2