基本的に、2月に行った投稿の再掲です。
投稿が遅れてしまいましたが、去年の12月の第4土曜日(去年の12月23日。以下、この日と書きます)に、前日に我が家に泊まった彼女と、私も彼女も、前から、ちょっと気になっていた、この時、弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館で行われていた、近代後期(1920年代から1950年代。1930年代から1940年代初め頃の物が中心)の、着物(日本の女性向けの伝統衣装)の、展覧会(exhibition)を見て来た時の物です。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館は、東京都心部の北東部の、谷中(yanaka)・根津(nezu)・千駄木(sendagi)area(古い東京の面影を残すarea)の、南西端辺りにある、私営の美術館です。
我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館の、最寄り駅の一つの、地下鉄の根津(nezu)駅までは、時間は、ある程度かかるものの(25分程度かかる)、交通の便は、良く、乗換え無しの、地下鉄で、1本で行けます。
日本には、もちろん公営美術館も、全国に、たくさんありますが、私営美術館も、全国に、たくさんあり、私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開する目的の物です。この様に、日本全国に、たくさんある私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開している物ですが、中には、中々、質の高い、美術品を、収蔵、公開している、私営美術館も、かなりあり、(入場料こそ取られるものの)、一般庶民もこうした収集品を見る事が出来て、公立の美術館・博物館以外でも、質の高い美術品に身近に接する機会が与えられていると言う点で、利益を受けています。
弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館は、静かで、落ち着いた住宅地にある、私営の、小ぢんまりとした美術館です。弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館の収蔵品(collection)は、この美術館の設立者であり、オーナー(owner)であった、弁護士の、個人コレクション(collection)が基となっており、弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館は、その弁護士の方の家(敷地面積400坪(約1,320平方m)位かな。。。)の敷地の一部を利用した、小ぢんまりとした美術館です(その弁護士の方は、既に亡くなっているので、現在は、家、美術館共に、その弁護士の方の、ご家族が、引き継いでいる様です)。弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館は、特に、高畠 華宵(takabatake
kasyo)(後で説明します)の作品の充実したコレクション(collection)を有しています(弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館の設立者である、弁護士の方は、高畠 華宵(takabatake kasyo)に加えて、竹久
夢二(takehisa yumeji)(後で説明します)の作品の、豊かなコレクション(collection)を有していましたが、特に、高畠
華宵(takabatake kasyo)を気に入っていた様です)。
弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館は、形式上は、弥生(yayoi)美術館と竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館に分かれています。
この日は、この時、弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館で行われていた、近代後期(1920年代から1950年代。1930年代から1940年代初め頃の物が中心)の、着物(日本の女性向けの伝統衣装)の、展覧会(exhibition)を見て来ました。
弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館は、厳密には、弥生(yayoi)美術館と竹久 夢二(takehisa
yumeji)美術館の2つの美術館に、分かれていますが、2つの美術館は、館内で繋がっており、実質的には、一体の、美術館と言った感じとなっています。
近代後期(1920年代から1950年代。1930年代から1940年代初め頃の物が中心)の、着物(日本の女性向けの伝統衣装)の、展覧会(exhibition)は、弥生(yayoi)美術館の方で行われていました。
写真以下2枚。弥生(yayoi)美術館の建物の一部。
写真右端に、少し写っているのは、竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館の建物の一部。前述の通り、弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館は、厳密には、弥生(yayoi)美術館と竹久 夢二(takehisa
yumeji)美術館の2つの美術館に、分かれていますが、2つの美術館は、館内で繋がっており、実質的には、一体の、美術館と言った感じです。
写真左側の、窓(窓のガラス)に、竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館の建物の一部が、映っています。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。この時、弥生(yayoi)美術館で行われていた、近代後期(1920年代から1950年代。1930年代から1940年代初め頃の物が中心)の、着物(日本の女性向けの伝統衣装)の、展覧会(exhibition)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
弥生美術館近代着物展他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3823169?&sfl=membername&stx=nnemon2
この展覧会(exhibition)の、展示作品例。
写真以下2枚。おまけ。我が家で定期購読している新聞の、去年の12月後半の、音楽に関連する、近代の、日本の、絵画・挿絵等に関連する記事より。。。
写真の絵は、中村 大三郎(nakamura daizaburou)(下の補足説明を参照)の作品で、「ピアノ」(1926年)
中村 大三郎(nakamura daizaburou):1898年生まれ。1947年に亡くなる。1910年代後期から活躍していた、日本の、近代、日本伝統画家。
左上の絵は、「宵待草」(竹久 夢二(takehisa yumeji)の作品で、楽譜の表紙画)(1934年)。右上の絵は、「ハバネラの歌」(竹久 夢二(takehisa yumeji)の作品で、楽譜の表紙画)(1919年)。写真下側の絵は、織田 一磨(oda kazuma)(1882年生まれ。1956年に亡くなる。1900年代から1956年に亡くなるまで活動していた、日本の、近代、版画家)の作品で、「歌劇」(1922年)。
前述の通り、弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館は、特に、高畠 華宵(takabatake
kasyo)の作品の充実したコレクション(collection)を有しています(弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa
yumeji)美術館の設立者である、弁護士の方は、高畠 華宵(takabatake kasyo)に加えて、竹久 夢二(takehisa
yumeji)の作品の、豊かなコレクション(collection)を有していましたが、特に、高畠 華宵(takabatake
kasyo)を気に入っていた様です)。
ちなみに、四国(shikoku)(日本の西南部)の愛媛(ehime)県にある、高畠
華宵(takabatake
kasyo)大正ロマン館(私は、訪れた事がありません)も、弥生(yayoi)美術館同様、コレクション(collection)の中心が、高畠
華宵(takabatake kasyo)の作品となっている美術館で、充実した、高畠 華宵(takabatake
kasyo)の作品コレクション(collection)を有している様です。
弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館のチケット(入館券)。上側、「華麗の夢」(高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品)。下側、「APL・FOOL」(竹久 夢二(takehisa yumeji)の作品)。
弥生(yayoi))・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館の内、弥生(yayoi)美術館の方の収蔵品(collection)の中心は、高畠
華宵(takabatake
kasyo)(下の補足説明を参照)の作品となっていますが、弥生(yayoi)美術館は、近代・現代の、日本の挿絵画家の、幅広い、作品コレクション(collection)も有している様です。通常は、弥生(yayoi)美術館の1階と2階の展示室では、近代・現代の挿絵画家をはじめ、挿絵・雑誌・漫画・付録等の出版美術をテーマに展覧会(exhibition)を開催しており、3階展示室は、高畠
華宵(takabatake kasyo)の常設展示室となっています(美術館の、siteより。。。)。
高畠 華宵(takabatake kasyo):主として、1910年代から1930年代に活躍した、日本の、画家(挿絵画家)、グラフィックデザイナー(graphic designer)。
2009年12月21日には、上皇后美智子(Empress
Michiko)(下の補足説明を参照)が、弥生(yayoi)美術館に来館し、その時、弥生(yayoi)美術館で行われていた、「少女の友」(1908年から1955年に出版されていた、日本の、少女向けの雑誌)の展覧会(exhibition)を観覧された様です。
上皇后美智子(Empress Michiko):1934年生まれ。現在の、日本の、上皇后(日本の、先代の天皇(既に引退されている)の妻)。日清(Nisshin)製粉(Seifun)(下の補足説明参照)の創業者の一族(家族)の、家に生まれる。
日清(Nisshin)製粉(Seifun):加工食品の、原料を供給する、日本の、大規模食品会社。1900年設立。ラーメン(インスタントラーメン)の会社である、日清(Nisshin)食品(1948年創業)とは、全く、関係がない会社です。
写真以下3枚。この時、弥生(yayoi)美術館の、高畠 華宵(takabatake kasyo)の常設展示室に展示されていた、高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品例。
写真以下7枚。前に、アップした写真の再利用、絵葉書より。。。高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品例。

「夕蛍」(1930年代頃)。
以下6枚の写真の作品は、全て、弥生(yayoi)美術館の収蔵作品です。

「少女の国」(1920年代に出版されていた、日本の、少女向けの雑誌)表紙。1927年10月号。

「白萩」(便箋表紙絵)。1920年代から1930年代。

「春の丘」(「少女画報」1929年4月号)。1920年代から1930年代の、日本の女学校(第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘が通った、女子向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学と高校に当たる)では、「S」(sisterの略)と言う行為が流行していました。以下、当時の日本の女学校の生徒達の間で流行していた、「S」に関しては、弥生(yayoi)美術館の展示説明を参考にしました。「S」は、女学校の上級生と下級生の間の、擬似恋愛的な行為で、一方(上級生(お姉さん役))は、絶えず守る立場で(守る役割を演じ)、もう一方(下級生(妹役))は、絶えず、守られる立場でした(守られる役割を演じました)。交際の内容は、手紙を交換したり、お揃いの髪型にしたり等、他愛無い(幼稚な)物でしたが、少女時代(や思春期)のロマンティシズム(romanticism)が、生んだ、(当時の)乙女文化(少女・思春期文化)の一つと言えるでしょう。高畠
華宵(takabatake kasyo)は、「S」に関する(又は、「S」を思い起こさせる)、少女や若い女性の作品を、たくさん描いています。

「光」。後ろに描かれているビルは、地下鉄の銀座(ginza)線の上野(ueno)駅(下町(東京都心部の東部。旧市街)最大級の繁華街の一つ)と、地下通路で、直結していた、当時の東京地下鉄道株式会社が経営していた、1931年開業の、マート、若しくは、小規模なデパートと言った感じの商業ビル、地下鉄ストア(store)ビル(現存しません)です。地下鉄ストア(store)ビルの壁面の時計は、当時、世界最大の交流電気時計だった様です。ちなみに、東京の銀座(ginza)線(1927年開業)は、日本のみならず、アジアで最初に開業した地下鉄路線です(ここで言う地下鉄は、韓国で言う、通勤電車全般と言う意味では無く、主に地下を走る鉄道と言う意味での地下鉄)。

「初春」(「少女の友」1931年1月号口絵原画)。

「情炎」の部分。1931年。
弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館の内、竹久 夢二(takehisa
yumeji)美術館のコレクション(collection)は、竹久 夢二(takehisa
yumeji)(下の補足説明を参照)の作品となっており、竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館は、竹久 夢二(takehisa
yumeji)の作品の、充実した、コレクション(collection)を有し、文字通り、竹久 夢二(takehisa
yumeji)の作品を展示する美術館となっています(ちなみに、日本では、竹久 夢二(takehisa
yumeji)は、人気が高く、この美術館(東京都心部では、唯一の竹久 夢二(takehisa yumeji)の美術館)以外にも、日本には、竹久
夢二(takehisa yumeji)の美術館が、私が簡単に調べられる範囲で、4つあります)。
竹久
夢二(takehisa
yumeji):1884年生まれ(小規模な日本酒の会社を営む家の次男として生まれる)。1900年代末頃から1930年代初めまで活躍した、日本の有名な画家、グラフィックデザイナー(graphic
designer)。1934年に、病気(結核)により、49歳で亡くなる。
写真以下3枚。前に、アップした写真の再利用、絵葉書より。。。竹久 夢二(takehisa yumeji)の作品例。全て、竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館の収蔵作品です。

「花かんざし」。1920年代から1930年代。

浅間丸(asamamaru)のメニュー(menu)。1929年。浅間丸(asamamaru)は、1930年代に、日本(横浜)とホノルル(Honolulu)、サンフランシスコ(San
Francisco)を結ぶ航路で活躍した、日本の豪華客船です(1929年に完成し、営業を開始)。

「水竹居」。1933年。
竹久 夢二(takehisa yumeji)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
竹久 夢二(takehisa yumeji)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3738731/page/10?&sfl=membername&stx=nnemon2
前述した、竹久
夢二(takehisa
yumeji)が、レストランの、メニュー(menu)の絵(イラスト)を描いた、浅間丸(asamamaru)(1930年代に、日本(横浜)とホノルル(Honolulu)、サンフランシスコ(San
Francisco)を結ぶ航路で活躍した、日本の豪華客船。1929年に完成し、営業を開始)に関しては、以下の投稿(すぐ下で、リンクを付けた投稿)を参照して下さい。
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3758724/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下3つ。すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿。
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3758723/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3758722/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3758721/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、「」内。私の前の投稿文より。。。ちなみに、東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。
「亡くなった、私の母方の祖母は、竹久
夢二(takehisa yumeji)や中原 淳一(nakahara jyunichi)も好きでしたが、何よりも蕗谷 虹児(fukiya
koji)の絵やイラスト(illustration)が好きだった様です。私の母方の祖母は、絵を描くのが好きでしたが、晩年になっても、蕗谷
虹児(fukiya koji)の様な絵を、たくさん描いていました(絵と言っても、スケッチ(sketch)みたいな物ですが。。。)。」
蕗谷 虹児(fukiya koji)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
蕗谷虹児(fukiyakoji)1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3646085/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
蕗谷虹児(fukiyakoji)2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3646084/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
蕗谷虹児(fukiyakoji)3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3646082/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
蕗谷虹児(fukiyakoji)4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3646081/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
蕗谷虹児(fukiyakoji)5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3646080/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
美術館から我が家に帰って来て、彼女と我が家で食べた、この日の夕食は、牛肉の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)にしました。
ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、日本酒を飲みました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw
それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」
以下、「」内。参考に、私の前の投稿文より。。。
「私も、彼女も、ご飯(rice)食い(ご飯(rice)を、比較的、たくさん食べるタイプ)ではなく、おかず食い(おかずを、比較的、たくさん食べるタイプ)です。」
「私は、肉が好きです(彼女も、肉は、好きです)」
「我が家では、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)は、よく食べています(ちなみに、私は肉が好きで、彼女も肉は好きです)。我が家では、牛肉のしゃぶしゃぶ(shabu-shabu)と、豚肉のしゃぶしゃぶ(shabu-shabu)、両方しますが、牛肉のしゃぶしゃぶ(shabu-shabu)の方が、する事が多いです。ちなみに、我が家で、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)をする際、私も、彼女も、野菜も、よく(多く)食べています。」
この日の夕食の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)の具の牛肉は、国産(日本産)の、黒毛和牛(日本原産の高級牛肉)、450g程にしました。しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)の具は、牛肉の他、野菜、茸、豆腐、うどんにしました(ちなみに、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)の具の、うどんが、ご飯(rice)の代わりとなった為、この日の夕食時は、私も彼女も、ご飯(rice)は食べませんでした)。
虎屋(toraya):16世紀に創業した、日本の、高級、羊羹(yokan)店・会社。元々、京都(kyoto)(下の補足説明を参照)を拠点としていたが、1869年に東京に進出し、東京に拠点を移す。
京都(kyoto):日本の、西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった大都市であり、日本の、伝統文化の中心都市となっている。
この日も、彼女は、我が家に泊まりました。
この翌日(去年の12月の第四日曜日(去年の12月24日))も、彼女と、美術館に、展覧会(exhibition)(この日、訪れた美術館とは、別の、東京都心部の美術館の、別の展覧会)を見に行きました。
また、この翌日の夕食は、我が家に、我が家の近所の実家(元々、私の母方の祖父母の家。母方の祖父母共既に亡くなり、現在は、両親が引き継いで暮らしている。ちなみに、私の母は、一人っ子です)の私の両親を呼んで(招待して)、私と彼女、私の両親の4人で、クリスマスパーティー(Christmas
Party)(クリスマスの食事)にしました。
この翌日に関しては、また、後日、投稿する予定です。
以下、後から、追加した内容です。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
SOMPO美術館 ゴッホと静物画展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3783484?&sfl=membername&stx=nnemon2