以下、基本的に、2015年の7月の上旬に行った投稿の再掲で(投稿文は、2015年の7月上旬の投稿を前提としています)、2015年の4月の下旬に、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と日帰りで、デート(date)で、秩父(chichibu)の芝桜を見に行った時(以下、この日と書きます)の物です。ちなみに、当時、私は、まだ30代の後期で、彼女は、まだ、20代の初めの大学生でした。ちなみに、私も彼女も、今も、痩せの大食い体質ですが(大食いと言っても、標準よりも、若干(ほんの、少しだけ)、多く食べる程度です)、この時の方が、食欲旺盛でした(よく食べていました)。
秩父(chichibu)市(下の補足説明参照)を中心とする秩父(chichibu)areaは、古くから、仏教の巡礼地として人気の場所であると共に、豊かな自然を有し、観光地となっています。
秩父(chichibu)市:東京の北西部近郊(東京圏の北部に位置する埼玉(saitama)県の西部)に位置する、人口6万人程の小都市で、埼玉(saitama)県の西部の中心都市。埼玉(saitama)県は、東京中心部(東京23区)の北部等に隣接し、基本的には、東京都心部に通勤する人々が多く暮らす、東京の北部郊外の住宅地域となっていますが、西部地域は、豊かな自然を有しています。秩父(chichibu)市は、秩父(chichibu)area(ほぼ、埼玉(saitama)県の西部と一致。人口は、約10万人)の中心都市となっていますが、秩父(chichibu)市自体、豊かな自然を有しています(秩父(chichibu)市は、人口は、6万人程ですが、面積は、約578平方kmと、ソウル特別市(約605平方km)の、95%程の広さがあります)。
秩父(chichibu)は、古くから(15世紀頃から)、仏教の巡礼地として人気の場所であり(特に、秩父(chichibu)への巡礼が盛んとなったのは、17世紀頃から)、秩父(chichibu)areaにある、仏教の寺・お堂(礼拝所)の内、34ヶ所(ほとんどが、寺)が、「秩父(chichibu)34ヶ所」と言う、(秩父(chichibu)areaの34ヶ所の)巡礼地として指定されています(「秩父(chichibu)34ヶ所」が指定されたのは、古い時代で、中世(1234年)に指定されています。「秩父(chichibu)34ヶ所」は、全て、狭義の秩父(chichibu)area内にあると言った感じで、25ヶ所が、秩父(chichibu)市内にあり、残りは、何れも、秩父(chichibu)市に隣接する町にあります)。私は、一時期、秩父(chichibu)にはまっていて(秩父(chichibu)が気に入り、秩父(chichibu)に、盛んに、小旅行に行っていた時期があって)、「秩父(chichibu)34ヶ所」に指定されている、全ての、寺・お堂を、訪れた事があります(一度に、全部、訪れた訳ではありません)。
この時は、電車を利用して、秩父(chichibu)を訪れました。東京都心部から、秩父(chichibu)までは、電車を利用する場合、レッドアロー
(Red
Arrow)と言う、西武(seibu)鉄道(下の補足説明参照)の、特別料金が必要な、観光用・ビジネス用(商用)の特急電車(express)で、1時間20分程です。東京都心部と秩父(chichibu)を結ぶ、レッドアロー
(Red Arrow)は、一時間に、一本程度、運行されています。
西武(seibu)鉄道:東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社(ちなみに、これには、JR東日本(元、日本国有鉄道)は、含まれていません)の一つで、主に、東京の都心部と、東京の、北西部郊外・北西部近郊を結ぶ、通勤電車路線・近郊電車路線を運営する、私営鉄道会社(1894年に最初の路線が開業)。保有(運営)する路線の、総距離は、179.8km。
西武(seibu)鉄道が、発行している、「秩父(chichibu)34ヶ所」の、無料の、ガイド(guide)。「秩父(chichibu)34ヶ所」は、もちろん、元々は、宗教的な意味がある物(巡礼地)ですが、(主として、東京圏に暮らす人々の)観光地としての存在も、大きくなっています。
この日は、羊山(hitsujiyama)公園(秩父(chichibu)の郊外(郊外と言っても、秩父(chichibu)の市街地に隣接する場所(秩父(chichibu)の市街地の中心部からも、歩いて5分から20分位の場所)にあるのですが)にある広い公園)で、芝桜の花を見た後、秩父(chichibu)の市街地の食堂で、遅目の昼食を食べ、その後、秩父(chichibu)の市街地を散歩してから、東京都心部に帰ったのですが、投稿の便宜上、まず、秩父(chichibu)の市街地について、紹介します。
秩父(chichibu)の市街地の風景例。人口6万人程の、小都市なので、市街地と言っても、大きな繁華街がある訳でもなく、基本的に、古くからの(昔ながらの)、住宅地(住宅密集地)と言った感じになっています。
写真以下4枚。秩父(chichibu)の市街地に残る、第二次世界大戦前(1910年代から1930年代頃)に建てられたと思われる、店舗等の建物の例。
写真以下2枚。1910年代から1930年代頃に建てられたと思われる、食堂の建物。
1910年代から1930年代頃に建てられたと思われる、煙草店の建物。
1910年代から1930年代頃に建てられたと思われる、病院の建物。現在は、病院としては使われておらず、内部が改装されて、住宅として使われている様です(この病院を営んでいた、お医者さん(医者)の、子孫の、ご家族(家族)が暮らしているのかな。。。)。
写真以下6枚。この日の昼食は、遅目の時間に、適当に目に付いて入った、秩父(chichibu)の市街地にある、田舎の、昔ながらの、素朴な料理と言った感じの料理を出す(もう、長い間、営業している感じの店です)、庶民的な食堂で食べました(この食堂は、この時、初めて利用しました)。前述の通り、この日は、昼食前に、羊山(hitsujiyama)公園(秩父(chichibu)の郊外(郊外と言っても、秩父(chichibu)の市街地に隣接する場所(秩父(chichibu)の市街地の中心部からも、歩いて5分から20分位の場所)にあるのですが)にある広い公園)で、芝桜の花を見たのですが、それについては、この投稿、一番下で、リンクを付けた、次回の投稿を参照して下さい。
写真以下6枚。これで、全てではありませんが、この食堂(適当に目に付いて入った、秩父(chichibu)の市街地にある、田舎の、昔ながらの、素朴な料理と言った感じの料理を出す、庶民的な食堂)で食べた、この日の昼食。この他、写真を撮るのを忘れましたが、山菜(山や、森、野原で採れる食用植物)の天麩羅の盛り合わせを二人分(写真を撮れば良かったと、少し後悔)、写真を撮るのを省略しましたが、山菜(山や、森、野原で採れる食用植物)料理を、何品か食べました(何れも、二人で分けて食べました)。ちなみに、この時(この日の昼食時)、私は、飲み物は、ビールと、地元(秩父(chichibu)area)産の、日本酒を飲みました(日本酒を、主に、飲みました)。この食堂の料理の食材は、ほとんどが、地元(秩父(chichibu)area)産の物を使っている様です
(途中から、(この食堂の、オーナー(owner)兼料理人(chef)の、奥さん(妻)かどうか分かりませんが)、女性の方が、一人、手伝いに来たのですが)、私達が、この食堂に入った当初は、この食堂の、オーナー(owner)兼料理人(chef)の(おそらく。。。)、中高年(中年と高齢者の中間位の年齢。もっと若かったら申し訳ありませんが、高齢者に近いかも(60代の中頃から70代初め位かも。。。))の男性が、一人で、忙しそうに、調理から配膳まで行っていたので(もっとも、自分自身で採って来た、若しくは、自信を持って仕入れた、地元の食材を使った、自分の料理を、客に出す事を、楽しんでいる感じで、生き生きとしていました)、私達は、その方(オーナー(owner)兼料理人(chef)の)の負担を軽減する為に、最後、自分達で、突き出し(居酒屋・食堂等で最初に出される、ちょっとした料理)を、テーブル(table)の上に並べたので、皿の置き方は、いい加減ですが(でたらめ)ですが、突き出し(居酒屋・食堂等で最初に出される、ちょっとした料理)。二人分。山菜(山や、森、野原で採れる食用植物)料理等。ちなみに、この食堂で出される料理の食材の多くは、この食堂の、オーナー(owner)兼料理人(chef)自身、又は、この食堂の、オーナー(owner)兼料理人(chef)の、親族、若しくは、知り合いが、地元(秩父(chichibu)area内)で、採集・栽培した、若しくは、獲って来た物の様です。
筍の、刺身。二人で分けて食べました。
この食堂の、オーナー(owner)が、この日の朝、地元(秩父(chichibu)area)の川で獲って来た(釣って来た)、川魚(岩魚かな?)の、焼き物。一人、一皿ずつ(一人、一匹ずつ)(写真は、一人分)。
写真以下3枚。蕎麦。一人、一皿ずつ(写真は、一人分)。蕎麦は、秩父(chichibu)areaで、昔から、よく食べられている、秩父(chichibu)areaの名物料理となっています。
蕎麦の汁(soup)。蕎麦の汁(soup)は、地元(秩父(chichibu)area)産の、胡桃(鬼胡桃)の粉がかけてあります。
写真以下2枚。蕎麦。
写真以下。昼食後、秩父(chichibu)の市街地を散歩してから、東京都心部に帰りました(前述の通り、この日、昼食前に見た、羊山(hitsujiyama)公園の芝桜の花については、この投稿一番下でリンクを付けた次回の投稿を参照して下さい)。
前述の通り、秩父(chichibu)は、古くから(15世紀頃から)、仏教の巡礼地として人気の場所であり(特に、秩父(chichibu)への巡礼が盛んとなったのは、17世紀頃から)、秩父(chichibu)areaにある、仏教の寺・お堂(礼拝所)の内、34ヶ所(ほとんどが、寺)が、「秩父(chichibu)34ヶ所」と言う、(秩父(chichibu)areaの34ヶ所の)巡礼地として指定されています(「秩父(chichibu)34ヶ所」が指定されたのは、古い時代で、中世(1234年)に指定されています。「秩父(chichibu)34ヶ所」は、全て、狭義の秩父(chichibu)area内にあると言った感じで、25ヶ所が、秩父(chichibu)市内にあり、残りは、何れも、秩父(chichibu)市に隣接する町にあります)。
この時は、秩父(chichibu)の市街地を散歩途中に、「秩父(chichibu)34ヶ所」の中で、秩父(chichibu)の市街地にある物の内、それぞれ、秩父(chichibu)の市街地の中心部、及び、その周辺にある物の一つである、慈目(jigenji)寺と、今宮(imamiya)坊(bou)を、訪れました。
写真以下32枚。一部、逆光(写真を撮る方向に、太陽が来てしまった)等、光の関係で、写真が、白んでしまいましたが(白っぽくなってしまいましたが)、秩父(chichibu)神社(shrine)の、拝殿(haiden)・本殿(honden)(メイン(main)の建物)及び、その周囲の風景。秩父(chichibu)神社(shrine)の、現在の、拝殿(haiden)・本殿(honden)(メイン(main)の建物)は、1592年に建てられた物です。秩父(chichibu)神社(shrine)は、秩父(chichibu)市の市街地にある、とても歴史が古く(創建は、紀元前87年頃と伝えられています)、規模の大きな、神道(Shinto)の神社(shrine)です。秩父(chichibu)神社(shrine)は、秩父(chichibu)areaを代表する、神道(Shinto)の神社(shrine)(秩父(chichibu)areaの、三大、神道(Shinto)の神社(shrine))の、一つとなっています。
写真以下6枚。慈目(jigenji)寺の風景例。慈目(jigenji)寺は、秩父(chichibu)の市街地にある、小ぢんまりとした、仏教の寺です(創建年代は、不明ですが、非常に、歴史が、古い寺の様です)。慈目(jigenji)寺は、「秩父(chichibu)34ヶ所」に含まれています。慈目(jigenji)寺は、かつては、立派な建物を有する寺であった様ですが、1878年に、火事で、先代の建物が焼失した後、1901年頃に建てられた、現在の、寺の建物は、小ぢんまりとした物となっています。
写真以下2枚。藤の花。
写真以下2枚。今宮(imamiya)坊(bou)の風景例。秩父(chichibu)の市街地にある、仏教の、お堂(礼拝所)です。創建は、古く、平安(heian)時代(8世紀末から12世紀後期)頃の様ですが、現在の建物は、17世紀頃に建てられた物の様です。今宮(imamiya)坊(bou)は、「秩父(chichibu)34ヶ所」に含まれています。今宮(imamiya)坊(bou)は、昔は、今宮(imamiya)神社(shrine)(下で紹介します)の、敷地内にありました。
写真以下。今宮(imamiya)神社(shrine)の風景例。今宮(imamiya)神社(shrine)は、秩父(chichibu)の市街地にある神道(Shinto)の神社(shrine)の一つで、8世紀初め(701年から704年頃)に創建された、神道(Shinto)の神社(shrine)です。
写真以下。今宮(imamiya)神社(shrine)の敷地内にある、樹齢1000年以上の、欅の巨木(巨大な、欅の木)。
秩父(歴史のある都市)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3866985?&sfl=membername&stx=nnemon2