参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より、東京都心部の我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)から、自動車で、2時間半程の、長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の中南部の高原地帯(避暑地)にある、私の別荘に関する話です。
「私の別荘は、比較的裕福な人々が保有する様な、典型的な別荘とは異なり、敷地面積85坪(約280平方m)程の、庭のある、庶民的な、中古の、一戸建て住宅ですが、眺めが良く(窓等からの景色が良く)、そこで過ごしているだけで快適です(1階にある、居間(living
room)で、過ごすのも快適ですし、また、2階にある、寝室(bed
room)の窓からの眺めは(景色は)、素晴らしいです(特に、良いです))。ちなみに、2階の寝室(bedroom)の窓は、広く開くようになっており、山々の眺望が綺麗に見えます。まあ、長野(nagano)県の、私の別荘に滞在中は、周辺の森をハイキング(hiking)・散歩したり、周辺をdriveしたり、何だかんだ言って、出掛ける事が、多いのですが。。。ちなみに、別荘の風呂(bathroom)とトイレ(toilet)は、全取っ替えと言って良い程の、大改装をしており、トイレ(toilet)は、東京の我が家のトイレ(toilet)同様、暖房便座・ウォシュレット付きのトイレ(toilet)で快適です。」
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
別荘周辺のスープ(soup)料理レストラン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3761613/page/9?&sfl=membername&stx=nnemon2
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。ちなみに、私の今の彼女は、元々、好奇心が強い性格です。」
以下、「以下、以下の投稿の続きです。」と言う文までは、前回の投稿と重複します。
以下、「以下、基本的に、2013年の2月の後半に行った投稿の再掲です。」と言う文からは、基本的に、2013年の2月の後半に行った投稿の再掲で、2012年の12月の下旬に、私の今の彼女と、上野(ueno)を散歩して来た時の事等です。
当時、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と付き合い始めの頃で、彼女は、まだ10代の大学生で、私は、30代でした。私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも、下に見られるようになり、それが、今も続いている事もあって、当時から、傍から見て、特に違和感のあるcoupleに見られませんでした。ちなみに、その事に関して、彼女は、内面は、少女的な面も多いのですがw、ルックスは可愛い系・幼く見える系の女性ではないと言う事もあると思います。ちなみに、私は、当時から、特に遠慮はしないで(自然体で)、彼女に、大人の世界を見せて来ました。
以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「適度に可愛くて男性達に身近な存在として気軽にチヤホヤされて来た・チヤホヤされている女性・女の子よりも、美人でスタイルが良い美人型の女性・女の子の方が、相対的に、真面目で純粋で性格が良いなんて事もありますが、私の今の彼女の場合、後者です。私の今の彼女は、一般的に見て、所謂、高嶺の花的な女性に該当しますが、話すと穏やかで、又、私と同じで、天然で、細かい事は気にしない、大雑把な面がありますw」
以下、基本的に、2013年の2月の後半に行った投稿の再掲です(投稿文は、2013年の2月の後半の投稿を前提としています)。
去年の12月の下旬に、彼女と、上野(ueno)を散歩して来た時の物です(以下、この、上野(ueno)を散歩して来た日の事を、この日と書きます)。この日は、2人共(私も彼女も)、歩き易い靴で出掛けました。この日の、流れは、以下の通りでした(投稿文は、便宜上、必ずしも、この日の流れに沿っている訳ではありません)。東京都美術館で、展覧会(exhibition)を見る(午前中)→国立科学博物館を訪れる(昼食は、国立科学博物館のレストランで食べました)→アメ横(ameyoko)を散歩→上野(ueno)駅に入っている店舗で、少し買い物→上野(ueno)駅に入っている、「Afternoon
Tea」で、おやつを食べる→上野(ueno)駅に入っている、「Brasserie L’ecrin」で夕食を食べる→我が家に帰る。
上野(ueno)は、東京都心部の北東部に位置する、浅草(asakusa)と並ぶ、東京の下町(東京都心部東部。旧市街)最大級の繁華街です。
上野(ueno)には、上野(ueno)公園があります。上野(ueno)公園は、東京中心部にある公園の中では、最大級の公園の内の一つであり、また、美術館・博物館等の文化施設が集まっています。
東京都美術館で、展覧会(exhibition)を見た後は、国立科学博物館を訪れ、午後は、国立科学博物館で過ごしました(なお、この投稿の、国立科学博物館に関する写真は、前に、kjで、アップ(upload)した写真の、再利用も、含みます)。
国立科学博物館(1877年設立)は、日本の、国立の(厳密には微妙に違いますが、ここでは説明は、省略します)、科学博物館です。科学に関する、非常に多くの資料を収蔵する博物館で、規模が大きく、見応えのある博物館です。
私は、子供の頃、博物館が好きで、この国立科学博物館や、交通博物館、科学技術館に、よく行きました(幼い時は、親に連れて行ってもらいましたが、小学校4年生頃からは、同じ興味を持つ友達(達)と、小学生だけで、行く様になりました。中学生になってからは、ほとんど行かなくなりましたが。。。)。私は、幼い頃、恐竜に、とても興味があったので(私は、幼稚園当時、恐竜に、とても興味があり、幼稚園児基準で、恐竜に、とても詳しかったので、男子達からは恐竜博士とも呼ばれていましたw)、取り分け、国立科学博物館の、恐竜に関する展示は、印象に残っています(ちなみに、かつては、本館(honkan)(現在の日本館)の1階の、かつての玄関を入って右側が、恐竜に関する展示室となっていました)。
今回、国立科学博物館を訪れたのは、一昨年、とても久しぶりに(15年ぶり位に)訪れて以来で、国立科学博物館が、大規模な改装がなされてからは(現在の地球館の建物が建てられてからは)、2回目でした。
国立科学博物館の現在の建物は、1931年に建てられた、重厚な近代建築の本館(honkan)(日本館)の建物と、(本館(honkan)(日本館)に接する)現代建築の地球館の建物から成ります(現在の地球館の建物が建てられる前にも、国立科学博物館には、展示の為の建物として、本館(honkan)(現在の日本館)に加えて、本館(honkan)(現在の日本館)に隣接した現代建築の建物がありましたが、現在の地球館の建物が建てられる際に、取り壊されました)。
以下、以下の投稿の続きです。アメ横(ameyoko)、東京都美術館、国立科学博物館の概要、国立科学博物館の本館(honkan)(現在の日本館。以下、日本館と書きます)の建物に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。また、国立科学博物館の日本館の展示例に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)も参照して下さい。
国立科学博物館他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3871030?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、国立科学博物館は、(現在の、日本人の原型となった)、とても古い時代の、日本人、縄文(jomon)時代(約16,000年前から2,300年前)の、縄文(jomon)人と、弥生(yayoi)時代(約2,300年前から3世紀半ば)の、弥生(yayoi)人に関する展示(縄文(jomon)時代と、弥生(yayoi)時代の土器等を含む)等も充実しています。ちなみに、新たな発見があれば、話は別ですが、少なくとも、現在(現時点)において、日本の縄文(jomon)人の使っていた土器(縄文(jomon)式土器)は、土器として世界最古の物の一つとなっています。
日本は、先進工業国であり、且つ、それ程、大きな国土を持たない国であるのにもかかわらず、世界でも有数の、多様な生物と、多様な固有種の生物が生息する地域となっています(先進国の地域で、他に、世界でも有数の、多様な生物と、多様な固有種の生物が生息する地域は、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、南ヨーロッパ(地中海沿岸))。特に、日本近海は、オーストラリア近海と並び、海洋生物における、世界最大の生物多様性を持つ(多様な生物と、多様な固有種の生物が生息する)海となっています。
また、日本の国土の約70%が森林(森)に覆われており、日本の国土に占める森林(森)の割合は、フィンランド(Finland)、スウェーデン(Sweden)と並び、先進工業国の中だけでなく、世界でも、最高水準に有ります。
写真以下28枚は、おまけで、前にenjoyとkjでアップ(upload)した写真の再利用ですが、東京都心部の我が家から、自動車で2時間半程の、長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の、高原地帯にある、私の別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)周辺の、森の風景。












写真以下3枚。ニホンカモシカ(日本カモシカ・Japanese serow)。山羊系の牛科に属する野生動物で、世界で、日本にのみ生息する野生動物(日本固有種)です。






写真以下3枚。ニホンカモシカ(日本カモシカ・Japanese serow)。








写真以下。国立科学博物館の日本館の展示例。

九州(kyusyu。日本の南部)の、鹿児島(kagoshima)県の、屋久(yaku)島から、1914年に切り出された、樹齢約1600年と推定される杉の木です。屋久(yaku)島の杉は、寿命(樹齢)の長い物だと、樹齢2000年から4000年にもなります(通常、杉の寿命は、世界的に、500年程度。ちなみに、屋久(yaku)島の杉は、杉に限らず、世界の木の中で、非常に、寿命が長いです)。

写真奥。秋田(akita)蕗。日本原産の、大きな蕗で、主として、日本の北部に分布しています。食用として、日本の東北地方の、秋田(akita)県を中心に、栽培もされています。

写真中央。毬藻(marimo)。美しい球体を作る、淡水性の藻です。日本、ヨーロッパ、北アメリカ等に分布していますが、毬藻(marimo)が、大きな、球体に発達し、なおかつ群生しているのは、日本の北部の、北海道(hokkaido)の阿寒(akan)湖と、アイスランド(Iceland)の、ミーヴァトン(Myvatn)湖だけに限られています(阿寒(akan)湖の毬藻(marimo)の公式siteを参考にしました)。

写真左、ニホンカモシカ(日本カモシカ・Japanese serow)の剥製。写真右、日本猿の剥製。日本猿は、日本にのみ生息する、世界的には珍しい(個性的な)猿ですが、日本(日本の山林)においては、野生の日本猿が、たくさん生息しています(北海道(hokkaido)、沖縄(okinawa)を除く、日本各地の山林に生息しています)。日本猿は、世界で、最も北に住む猿で、英語で、snow monkeyとも呼ばれています(猿が、雪の中で生息する光景は、世界的には、非常に珍しい事から)。


高足蟹(Japanese spider crab)。日本近海の深海(deep sea)に住む、世界最大の蟹です。


日本に生息する、雉子(Green Pheasant)の剥製。雉子(Green Pheasant)は、日本の国鳥(national bird)となっています。
以下、「」内、国立科学博物館の解説文から。。。
「日本には、鳥類でも、固有種や、準固有種が、30種近くいる。それらは、多くの場合、大陸の東端に隔離される事で、数百万年と言う長い年月の間に固有化した。それらの現在の分布域は、一つの島に限定される狭いものから、日本列島の、ほぼ全域、さらには、それを越えるものまで、様々である」。

日本の、様々な、鶏の品種の剥製。

尾長鶏の剥製。尾長鶏は、日本の、鶏の品種の一つで、日本の天然記念物に指定されています。17世紀半ば頃、突然変異で生まれたと伝えられています。雄の、尾の羽が、極端に長くなるのが特徴です。鶏は、通常一年に一度羽が生え換わりますが、雄の尾長鶏は、尾の羽が生え換わらないため、尾が非常に長くなります。現存する鳥類の中で、最も長い尾を持ち、12mと言う記録もあります。完全に観賞用の鶏です。説明は、wiki及び、国立科学博物館の説明文を参考にしました。


写真左、内藤(naito)家(概ね、現在の、宮崎(miyazaki)県の北部に当たる地域を統治していた地方領主の家。近代以降は、貴族(子爵)となる)が代々所有していた、銅製の天球儀(1673年。日本製)、写真右の上、日本で製作された地球儀の中で現存する最古の物(1695年製)(重要文化財)の複製。

遠眼鏡。以下、遠眼鏡の説明は、国立科学博物館の説明文を、ほぼ、要約した物です。望遠鏡は、1608年に発明され、早くから、日本に渡来しましたが、日本で、本格的に、天文観測に用いられ始めたのは、18世紀末の事からです。日本で、最初に、望遠鏡を多量に製作し、広めたのは、大阪の、岩橋 善兵衛(iwahashi
zenbei。1756年生まれ。1811年に亡くなる)で、遠眼鏡(屈折望遠鏡)を広く市販しました。岩橋 善兵衛(iwahashi
zenbei)の望遠鏡は、当時の江戸(東京)の天文台にも納められました。伊能 忠敬(inou
tadataka)が、測量に使った望遠鏡も、その一つです。
安定した、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、庶民にも教育が普及し、明治(meiji)時代以降(19世紀後期以降)の、日本の近代化の礎(基礎)となりました(国立科学博物館の解説文より。。。)。
写真以下3枚は、日本の、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の顕微鏡に関する展示です。
以下、「」内は、国立科学博物館の解説文を、ほぼ引用した物です。
「平和な江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)においては、多くの情報や知識が社会で共有されていました。殿様(地方領主)であろうが、町の人々であろうが、ほぼ時間の差がなく、多少の精粗(詳しい事と、大雑把な事)の差はあっても、基本的に、同じ様な情報を知っていました。しかし、人々の好奇心や見方によって、受け取り方は、多様でした。海外から、顕微鏡が伝えられ、拡大された世界が紹介された時も、一方では、西洋に迫る研究へと進み、他方では、おもちゃ(玩具)となりました。受容の形は、異なっても、刺激された、多様な好奇心の眼差しは、知識の、さらなる共有を促しました」。
「顕微鏡は、江戸(edo)時代の中期頃に、日本に伝わりました。虫眼鏡等より、構造も複雑で高価でしたが、はるかに倍率が高く、小さな物が、より大きく観察出来ました。購入した、大名(地方領主)達等は、西洋人と同じ様に、虫や植物等の、自然の観察を行いました。その驚きは、あっと言う間に(すぐに)、日本中に広まりました」
「西洋から伝わった顕微鏡は、しばらくして、その原理や構造を独学で学んだ、日本人の手で作られる様になりました。また、西洋で行われた、顕微鏡の諸研究に学び、雪の結晶を観察した、土井
利位(doi toshitsura)の様な、優れた自然観察の成果を残す人も現れました」。



雪の結晶のデザイン(design)の、刀の鍔(刀の柄と刀身との境に挟んで、柄を握る手を防護する部位)。「顕微鏡によって明らかにされた、微小な世界。初めて目にする、美しく、不思議な物や形は、科学的興味を満たすと共に、文化や芸術にも、大きな影響を与える物でした。土井
利位(doi
toshitsura)が、「雪華図説」で明らかにした、雪の結晶の形状は、雪華文様となって、着物(日本の伝統衣装)の柄(模様)や、陶磁器、刀の装飾等に、素早く取り入れられ、広く流行しました」。

電子顕微鏡。1942年。日本の東芝(toshiba)社製。以下、「」内は、国立科学博物館の解説文を、ほぼ、引用した物です。「より、極小の世界を見たいと言う思いは、顕微鏡の倍率を飛躍的に高め、光学的な顕微鏡の限界に達しました。その限界を超える為の技術の開発が、20世紀に入ってから、多くの国々や研究者によって行われました。日本は、その先駆け(先端を行く)の国の一つでした。1939年、長岡 半太郎(nagaoka hantaro)博士らの要請により、大阪大学や、名古屋(nagoya)大学、東芝(toshiba)、日立(hitachi)製作所等、産学協同で、電子顕微鏡の研究・開発が、開始されました。1940年には、磁界型、次いで、静電型電子顕微鏡の試作が行われ、1942年には、製品化まで進みました。以後、日本は、電子顕微鏡の分野において、より微小の世界への要求に応え、世界的に、大きな役割を果たし続けています」。
写真以下5枚。和時計(17世紀から1880年代頃まで、日本で制作、使用された、不定時法を用いる為の機構を持つ機械式時計。西洋の定時法の機械式時計に比べて、複雑な構造を持っていた)。




和時計の小型化。以下、「」内は、国立科学博物館の解説文を、ほぼ、引用した物です。「江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の末期になると、和時計の動力は、重錘の代わりに、ぜんまいが採用され、調速機も、棒てんぷから、円てんぷや、振り子に変わりました。これは、ぜんまいや、円てんぷの発明等、16世紀から17世紀にかけて、西洋で起こった、時計の技術革新が、遅れて日本に伝わった物です。それは、和時計に、形態的な変化をもたらし、掛時計や櫓時計等を設置して使用する、大型の和時計と違って、部屋から部屋へ移動可能な、小型の和時計を生みました」。

多様な和時計。以下、「」内は、国立科学博物館の解説文を、ほぼ、引用した物です。「時計の機能は、時間を計り、時刻を知らせる事ですが、時計が室内用、あるいは、携帯の装飾品として、多様化するのは、西洋でも、日本でも、同じです。小型の枕時計、各種の置き時計だけでなく、行灯(日本伝統式のlamp)の前で使用する、「灯前時計」、鐘の中に時計機構を組み込んだ、「釣鐘時計」、小型の屏風(byobu)に組み込んだ、「硯屏時計」、卦算(文鎮)に組み込んだ、「卦算時計」、印籠(薬等を携帯するための小さな容器)に組み込んだ、「印籠時計」等が、制作されました」。
以下、「」内は、国立科学博物館の解説文を、ほぼ、引用した物です。
「明治(meiji)時代(1868年から1912年)において、日本でも、定時法が採用される様になると、和時計は、使えなくなり、1889年に製作された、掛時計を最後に、和時計製作の歴史は、終わりました。19世紀末期頃には掛時計と置き時計の国産化が、少し遅れて懐中時計の国産化が始まりました。その後、日本の時計産業は、大きく発展し、1964年には、スイスの、ニューシャテル天文台のクロノメーターコンクールで、日本の機械式時計が好成績を収め、日本の時計技術の優秀さを、世界に示しました。日本は、1969年には、世界に先駆けて、クォーツ(quartz)式の腕時計を、世に送り出し、そして、1980年には、スイスを抜いて、腕時計生産量世界一位となりました」。

大森(omori)式地震計。以下、「」内は、国立科学博物館の説明文を、要約した物。「大森 房吉(omori fusakichi)が、1898年頃に完成させた地震計。それまでの地震計が、地震動を感知してから動き出す物であったのに対し、その欠点を改めて、常に動いて、連続記録が出来る地震計として登場しました。日本の代表的な地震計で、日本国内外(日本国内及び日本国外)で、数多く使われました」。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
国立科学博物館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3871028?&sfl=membername&stx=nnemon2