参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。ちなみに、私の今の彼女は、元々、好奇心が強い性格です。」
参考に、後述する、横浜landmark towerは、現在、日本で、3番目に、背の高いビルとなっています。
後述する、日本丸(nipponmaru)は、2017年に重要文化財に指定されました。
以下、基本的に、2015年の6月の上旬に行った投稿の再掲で(投稿文は、2015年の6月の上旬の投稿を前提としています)、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と、2015年の5月の上旬に、横浜を散歩して来た時等の物です。ちなみに、当時、彼女は、20代初めの大学生、私は、30代の後期でした。
5月の上旬、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、彼女と、横浜を散歩した時の物です。横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町です。私は、横浜は、仕事の用事でも、よく訪れますが、横浜の港町の雰囲気が好きで、休日にも、よく遊びに行きます。
この日は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)を訪れ、日本丸(nipponmaru)の内部を見学し、そごう(sogo)デパート横浜店内にある美術館(そごう(sogo)デパートが運営している、私営の美術館)で、この時、行われていた、エロール・ル・カイン(Errol
John Le Cain)の展覧会(exhibition)を見ました。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。 この日の昼食、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。また、日本丸(nipponmaru)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)も参照して下さい。
横浜散歩 日本丸他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3876899?&sfl=membername&stx=nnemon2
横浜みなと博物館(横浜minato博物館)を見学した後は、日本丸(nipponmaru)の内部を見学しました。日本丸(nipponmaru)の内部を見学したのは、この時が初めてでした(日本丸(nipponmaru)の内部は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)同様、前から、少し気になっていたが、気になっていた度合いは、小さかったので、(外部は、この辺りを通りかかる際に、しょっちゅう(頻繁に)見ているけど)、中々、内部を見学しませんでした)。
日本丸(nipponmaru)(約2,300トン(GT))は、日本の、大型の帆船(sailing
ship)で、1930年に建造されました。日本丸(nipponmaru)は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として建造されましたが、(新しい、より大きな練習用の帆船(日本丸(nipponmaru)二世。日本の帆船。世界でも有数の高速帆船)が建造され、1984年より使用されている為)、現在は使われておらず、この地で(横浜の都心部の海沿いで)、永久保存されており、入場料(安い)を支払う必要がありますが、誰でも、内部が見学出来る様になっています。ちなみに、日本丸(nipponmaru)と同時期に建造された、日本丸(nipponmaru)の姉妹船として(日本丸(nipponmaru)と同型の、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として)、1930年に建造された、日本の、大型の帆船(sailing
ship)、海王丸(kaioumaru)がありますが、海王丸(kaioumaru)は、現在は、富山(toyama)県(北陸(hokuriku)地方(日本の中部地方の北西部)に位置する県の一つで、北陸(hokuriku)地方の東部に位置する)の港に、永久保存されています。
日本丸(nipponmaru)は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、すぐ前に、保存されており、実質的に、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の展示物の一部と言った感じになっています。
日本丸(nipponmaru)は、1930年から、1984年に引退するまでの、54年間に、11,500名の、商業用の船の船員を育て、この間、地球を、45.4周する距離(延べ、183万km)を航海しました(横浜みなと博物館(横浜minato博物館)のパンフレット(leaflet)より。。。)。
写真以下33枚。日本丸(nipponmaru)(以下、主に、この船と書きます)の内部の続きです。日本丸(nipponmaru)及び日本丸(nipponmaru)の内部に関しては、上でリンクを付けた前回の投稿も参照して下さい。前述の通り、日本丸(nipponmaru)の内部を見学したのは、この時が、初めてでした。日本丸(nipponmaru)の内部は、想像していたよりも、見応えがあり、面白かった(興味深かった)です。日本丸(nipponmaru)は、約85年前に建造された船ですが、やはり、古い船は、趣がありますね。
写真以下3枚。この船の調理室。
以下、「」内。この船(日本丸(nipponmaru))が、現役で使われていた頃の、ある日の(1973年5月20日)の、食事の献立です(日本丸(nipponmaru)の展示より)。おそらく、(当たり前の事として、献立には書かれていませんが)、(間食・夜食以外の)何れの食事も、ご飯(rice)又は、パンが付くと思います。
「朝食は、味噌汁(miso
soup)、生卵、味付け海苔、佃煮(tsukudani。魚、貝類、海老等を、砂糖、醤油等で、甘辛く、煮つめた(よく煮た)、煮物食品)、漬物。昼食は、ハム(ham)サラダ(salad)、鯖の焼き物、お吸い物。夕食は、ローストチキン(roast
chicken)、魚(太刀魚)の焼き物、中国風スープ(soup)。間食・夜食は、ハッサク(日本原産の、大型の、蜜柑類の果物の一つ)、サンドイッチ(sandwich)、インスタント(即席の。お湯を使って、簡単に出来る)ラーメン(instant
noodle)。」
これは、おそらく、生徒向けの食事の献立であると思いますが、先生(航海士等)や船長向けの献立(食事の内容)が、生徒向けの献立(食事の内容)と、同じであったのかは、分かりません。参考に、軍隊に関しては、第二次世界大戦以前の、日本の海軍においては、船での、士官と、一般の兵隊の食事の内容は、全く、違った様ですが、海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に当たる。近代の、日本の海軍(1872年から1945年)の、形式的な伝統は、ある程度、引き継いでいる。おそらく。。。)の、現代の、船での食事は、士官の食事も、一般の自衛隊員(一般の兵隊)の食事も、(食器が異なる位で)、内容は、基本的に同じな様です(おそらく。。。間違っていたら、済みません)。第二次世界大戦後の日本は、何でも、階級格差を消滅させようとする動きにあったので、日本丸(nipponmaru)においても、おそらく、少なくとも、第二次世界大戦後においては、生徒の食事も、先生(航海士等)や船長の食事も、(異なるとしたら、ほとんど、食器位で)、基本的に、同じであったのではないでしょうか。。。
写真以下2枚。この船の、調理員(料理を作る部門の担当の人々)の部屋。共同部屋となっています。もちろん、料理長(chef)は、しっかりとした資格を持つ、専門の料理人が雇われていたと思いますが、調理員(料理長(chef)の指揮の下で料理を作る、料理を作る部門の担当の人々)は、生徒の中から選ばれたのか、それとも、専門の従業員が雇われていたのかは、よく分かりません。
この船には、もちろん、専門の医師(医者)が乗船していましたが、写真の部屋は、医師(医者)を補佐する、看護長の部屋。個室となっています。
写真以下11枚。この船は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船でしたが、写真以下11枚は、この船を、一つの学校として見た場合、先生に当たる、しっかりとした資格を持つ、航海士等の、部屋の例です。先生に当たる人々(航海士等)の部屋は、全て、個室となっています。
写真以下2枚。三等、航海士の部屋。
写真以下3枚。機関部員(おそらく、機関部門担当の生徒)12人を束ねる、操機長の部屋です。
写真以下3枚。通信長の部屋です。無線室で、遭難等の、重要な通信があると、自動的に警報が鳴る、緊急自動受信機が、特別についています(展示の説明より。。。)。
写真以下3枚。一等、航海士の部屋(記憶が曖昧ですが、確か。。。)。
写真以下5枚。船長の部屋。前述の通り、この船は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船でしたが、この船を、一つの学校として見た場合、船長は、校長先生に当たります。船長の部屋は、二部屋に分かれています。
船長の執務室として使われていたと共に、寄港地において、来客の応対・接待をする部屋として使われていた部屋の一部です。
写真以下2枚。船長の、個人的な部屋です。
写真以下2枚。船長の部屋の、バスルーム(bathroom)。この船は、おそらく、船長の部屋以外は、バスルーム(bathroom)は、全て、共同のバスルーム(bathroom)ですが(おそらく、体を洗う施設は、シャワー(shower)位しか付いていない)、船長の部屋には、風呂(浴槽)が備わった、個人的なバスルーム(bathroom)が付いています。
写真以下4枚。この船の、船長(校長先生に当たる)と、航海士等(先生に当たる)が、食事、会議、娯楽、社交等に使っていた部屋です。
写真以下3枚。前に、アップ(upload)した写真の、再利用。写真以下3枚の、帆船(sailing ship)は、日本丸(nipponnmaru)二世です。日本丸(nipponnmaru)二世(約2,600トン(GT))は、日本丸(nipponnmaru)(約2,300トン(GT)。1930年就航。横浜の都心部の海沿いに、永久保存・展示されている)の後継の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship)で、1984年に使用が開始されました。姉妹船に、海王丸(kaioumaru)(1930年就航。日本丸(nipponnmaru)の姉妹船の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship))の後継の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship)、海王丸(kaioumaru)二世があり、日本丸(nipponnmaru)二世は、海王丸(kaioumaru)二世と共に、世界でも、有数の高速帆船となっています(wikiより。。。)。

写真右側の船が、日本丸(nipponnmaru)二世。
写真以下2枚。日本丸(nipponnmaru)二世(約2,600トン(GT)。1984年就航)。日本丸(nipponnmaru)(約2,300トン(GT)。1930年就航)よりも、少し、大きいです。


写真以下(前に、アップ(upload)した写真の、再利用)。夜の、日本丸(nipponmaru)の風景例。前述の通り、日本丸(nipponmaru)は、1930年に建造された、約2,300トン(GT)の、日本の、大型の帆船(sailing ship)です。日本丸(nipponmaru)は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として建造されましたが、(新しい、より大きな練習用の帆船(日本丸(nipponmaru)二世。日本の帆船。世界でも有数の高速帆船)が建造され、1984年より使用されている為)、現在は使われておらず、横浜の都心部の海沿いで、永久保存されています。
写真以下3枚の、右側の、大きな、観覧車は、Cosmo Clock。かつて、世界最大の観覧車であった、大きな観覧車です。
写真の真ん中のヨット(yacht)の帆の様な形をした、超高層ビルは、横浜の都心部の海沿いにある、高級classのホテルの一つ、Intercontinental Yokohama Grandホテル(1989年に着工し、1991年に完成)です。ちなみに、Dubaiのホテル、Burj Al Arabの建物(1994年に着工し、1999年に完成)の形が、このホテルの建物の形に似ています。
写真以下3枚の、大きな、観覧車は、Cosmo Clock。かつて、世界最大の観覧車であった、大きな観覧車です。
写真以下2枚の、右側の、大きな、観覧車は、Cosmo Clock。かつて、世界最大の観覧車であった、大きな観覧車です。
写真以下2枚の、背の高い、超高層ビルは、横浜landmark towerです。横浜landmark tower(1993年完成。高さ約296m)は、完成してから、20年数年経ちますが、依然として、日本で、2番目に、背の高いビルとなっています。横浜landmark towerは、既に、世界的に見れば、ちょっとした、高いビル程度となってしまいましたが、大きなビルではあり、床面積は、Empire State BuildingやOne World Trade Center(去年完成した、アメリカで、一番、世界で、3番目に、背の高いビル)を、遥かに上回り、Taipei 101(世界で、4番目に、背の高いビル。2004年完成)や、Shanghai World Financial Center(中国(香港を含む)で、最も背の高いビル。世界で5番目に背の高いビル。2008年完成)も、上回ります。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続きます。
横浜散歩 エロール・ル・カイン展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3876896?&sfl=membername&stx=nnemon2