以下、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
第2次世界大戦前、日本は、イギリス、アメリカに次ぐ、世界第3位の海運(shipping・marine transportation)国でした。日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、その世界第3位の海運(shipping・marine transportation)国、日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つでした(今でも、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つであると共に、世界有数の海運(shipping・marine transportation)会社となっています)。
写真以下4枚の建物は、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)の都心部の関内(kannai)area(横浜の都心部にある、横浜の古くからの中心ビジネス(business)地区)にある、1936年に建てられた、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の横浜支店の建物です。堂々とした近代建築です。文化財に指定されている、この建物は、現在でも、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の横浜支店の建物となっていますが、現在では、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の東京areaの事務所機能は、東京本店(東京本社)に集中している為、建物は、主として、日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館として、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の歴史を紹介する資料館として使われています。

写真以下3枚は、前に、enjoyでアップ(upload)した写真の再利用です。



横から見た、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の横浜支店(現在では、主として、日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館として、日本郵船(Nippon Yusen)の歴史を紹介する資料館として使われている)の建物。1936年に完成した物です。支店の建物でありながら、堂々とした近代建築です。当時の日本郵船(Nippon Yusen)の勢いを感じます。
写真以下2枚。日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館の売店の袋。



日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館のパンフレット(booklet)から。。。第二次世界大戦前(おそらく、1920年代から1930年代頃)の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、世界一周の、客船航路の、海外向け(日本国外向け)のパンフレット(leaflet)。

絵葉書より。。。浅間丸(asamamaru)(下の補足説明参照)の食事メニュー(menu)。絵は、竹久 夢二(takehisa yumeji)(1884年生まれ。1934年に亡くなる。1900年代末頃から1930年代初めまで活躍した、日本の有名な画家、グラフィックデザイナー(graphic designer))が、描いています。
浅間丸(asamamaru):1929年に完成し、運航を開始した、横浜とHonolulu、San Franciscoを結ぶ、日本(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)の豪華客船。
写真以下2枚。日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館の展示より。。。前にenjoyでアップ(upload)した写真の再利用。

1937年の、ある日の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の豪華客船の夕食を、(蝋で)、再現したものです。

これも、1930年代の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社保有の豪華客船の食事を、(蝋で)、再現したものです 。盛り付けは、やや、古臭い(古典的な)感じですが、食事は、現在と、それ程は、変わらないかも知れません。

向こうに停泊している船は、氷川丸(hikawamaru)。1930年代に、日本と、北米を結ぶ太平洋航路で活躍した、約11,600トン(GT)の、日本(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)の豪華客船(1930年完成and使用開始)です。現在は使用されておらず、横浜の港(横浜の都心部の海沿い)に永久保存され、文化財に指定されると共に、一般公開されています。1930年代当時、アメリカとカナダの会社も、北米と日本の間に、豪華客船を走らせていましたが、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社も、当時、太平洋航路向けの主要な豪華客船としては、氷川丸(hikawamaru)を含め6隻の豪華客船を保有し、日本の横浜と北米を結んでいました。

写真右、氷川丸(hikawamaru)の船尾。向こうに見える、長い大きな桟橋は、大型豪華客船もよく発着する、国際客船 terminalのある、大桟橋(oosanbashi)です。大桟橋(oosanbashi)の奥に停泊している、大きな客船は、飛鳥2(Asuka2)。飛鳥2(Asuka2)(50,142トン(GT))は、日本(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)の豪華客船です。大桟橋(oosanbashi)の手前に停泊している、比較的小さな船は、royal wing。royal wingは、横浜港を遊覧する、レストラン船です。

氷川丸(hikawamaru)のパンフレット(leaflet)。

氷川丸(hikawamaru)の内装。パンフレット(leaflet)より。。。前述の通り、氷川丸(hikawamaru)は、1930年代に、日本と、北米を結ぶ太平洋航路で活躍した、約11,600トン(GT)の、日本(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)の豪華客船(1930年完成and使用開始)です。
写真以下11枚。氷川丸(hikawamaru)の船内にて。。。氷川丸(hikawamaru)は、1930年代当時の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の他の日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ、主な豪華客船2隻と同じで、1930年代当時の、同社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ、主な豪華客船3隻よりも小さく、また、豪華さにおいても、劣っていましたが、喜劇俳優Chaplinが、1932年に来日した際、アメリカに帰る際に、使用しました(Chaplinは、1932年に1回、1936年に2回と、第二次世界大戦前に3回来日しています)。

氷川丸(hikawamaru)の内装例。
写真以下2枚。一等(first class)食堂(dining room・レストラン)。



氷川丸(hikawamaru)の内装例。
写真以下3枚。一等(first class)社交室(乗客が、くつろいだり、交流したりする部屋)。




一等(first class)喫煙室(smoking room)。これは、前に、enjoyでアップ(upload)した写真の再利用。
写真以下3枚。一等(first class)特別客室(deluxe room)。
写真以下2枚。一等(first class)特別客室(deluxe room)の寝室(bedroom)。



一等(first class)特別客室(deluxe room)の居間(living room)。
写真以下2枚。氷川丸(hikawamaru)の船内の、資料展示の中から。。。

1930年代の、氷川丸(hikawamaru)の、一等(first class)の乗客の、一日の船内での過ごし方の例です。6時に起床。6時から6時半、朝のコーヒー(coffee)を飲む。6時半から8時、船内、デッキ(deck)等を散歩。8時から8時半、朝食。8時半から11時、デッキ(deck)でゴルフ(golf)を楽しむ。11時から11時半、ビーフスープ(beef soup)とクラッカー(cracker)で一息。11時半から12時、デッキ(deck)で輪投げ(quoits)を楽しむ。12時から13時、昼食。13時から15時、昼寝。15時から15時半、アフタヌーンティー(afternoon tea)。15時半から19時、喫煙室(smoking room)(酒(アルコール(alcoholic)飲料)も、煙草も、上級品ばかり揃っていた)で、カードゲーム(card game)を楽しむ。19時から20時半、夕食。20時半から22時、ダンスパーティー(dance party)、映画鑑賞等。22時から22時半、夜食。22時半から23時、手紙を書いたり、入浴等。23時、就寝。

記憶が曖昧ですが、確か、氷川丸(hikawamaru)で、実際に使用された、乗客に、ダンスパーティー(dance party)の開催等を、知らせる、張り紙。
前述の通り、1930年代当時、アメリカとカナダの会社も、北米と日本の間に、豪華客船を走らせていましたが、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社も、当時、太平洋航路向けの主要な豪華客船としては、氷川丸(hikawamaru)を含め6隻の豪華客船を保有し、日本の横浜と北米を結んでいました。当時の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、太平洋航路向けの主要な豪華客船は、氷川丸(hikawamaru)を含む日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ、比較的小さな豪華客船3隻と、日本と、サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ比較的大きな豪華客船3隻です。この6隻の中で、代表的な、1929年に完成し、運航を開始した、横浜とホノルル(Honolulu)、サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ浅間丸(asamamaru)は、現存していませんが、他の同社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ豪華客船同様に、氷川丸(hikawamaru)よりも一回り大きく、約17,000トン(GT)あり、また、同社の日本と北米を結ぶ豪華客船の中でも取り分け豪華で、「太平洋の女王」と呼ばれたそうです。

日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館のパンフレット(booklet)から。。。浅間丸(asamamaru)の模型。

1929年に完成し、運航を開始した、横浜とホノルル(Honolulu),サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ浅間丸(asamamaru)。他の日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ豪華客船同様に、氷川丸(hikawamaru)よりも一回り大きく(約17,000トン(GT))、船内の豪華さにおいては、氷川丸(hikawamaru)をはるかに上回るものであり(食堂(dining room・レストラン)の内装には、贅沢にイタリア産大理石が使われ、客室内には当時最先端の設備が使われていた。wikiより)、「太平洋の女王」と呼ばれました。
写真、すぐ下。浅間丸(asamamaru)、又は、浅間丸(asamamaru)と同じく日本とSan Franciscoを結んだ、浅間丸(asamamaru)と同級の、約17,000トン(GT)の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の豪華客船、龍田丸(tatsutamaru)(どちらか分からない)の、2等(second class)客用の食堂(dining room)。

写真、すぐ上。浅間丸(asamamaru)、又は、浅間丸(asamamaru)と同じく日本とSan Franciscoを結んだ、浅間丸(asamamaru)と同級の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の豪華客船、龍田丸(tatsutamaru)(どちらか分からない)の、2等(second class)客用のラウンジ(lounge)。

龍田丸(tatsutamaru)の絵葉書より、龍田丸(tatsutamaru)。龍田丸(tatsutamaru)(約17,000トン(GT)。1930年完成。1930年運航開始)は、浅間丸(asamamaru)の姉妹船で、1930年代に、日本とSan Franciscoを結ぶ航路で活躍した、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、浅間丸(asamamaru)と同級の豪華客船です。
日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、(1936年にドイツのBerlinで開催された夏季オリンピックに引き続き)1940年に開催されるはずだった、東京オリンピック(Olympics)(夏季Olympics)(第2次世界大戦により中止)の前後に合わせる様に、日本と北米を結ぶ航路、日本とヨーロッパを結ぶ航路において、競合他社に対して、優位に立つべく(特に、日本と北米を結ぶ航路においては、完全に優位に立つべく。。。日本とヨーロッパを結ぶ航路には、ドイツの会社等、とても強力な競争相手があった為、仮に、第二次世界大戦が勃発していなくて、新型の豪華客船を投入したとしても、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、優位に立つ事は、出来たとしても、絶対的な優位に立つ事は、出来なかったと思います)、日本と北米を結ぶ航路、日本とヨーロッパを結ぶ航路に、次々と、新しい豪華客船を加える事を計画し、1930年代半ば以降、次々と起工させましたが、第2次世界大戦により、これ等、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の新たな豪華客船は、いずれも、建造途中に軍事用の船に変更されたか、又は、純粋な客船として活躍したのは、極僅かな期間であり、すぐに、軍事用の船へと改造される等しました。これ等の日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、日本と北米を結ぶ太平洋航路用の、新たな豪華客船の中に、幻の豪華客船、橿原丸(kashiharamaru)(27,700トン(GT))があります。橿原丸(kashiharamaru)は、豪華さにおいて、浅間丸(asamamaru)を、さらに、遥かに上回る予定であり、日本の客船史上、最も豪華な客船となる予定でありましたが、第2次世界大戦により、建造途中で、空母に変更されました(空母、隼鷹(jyunyou)。ちなみに、日本郵船(Nippon Yusen)の、日本と北米を結ぶ太平洋航路用の、新たな豪華客船の内の一つであり、橿原丸(kashiharamaru)と同級の豪華客船として就航する予定で有った出雲丸(izumomaru)(27,700トン(GT))も、やはり、建造途中で、空母に変更されました(空母、飛鷹(hiyou))。
写真以下2枚。向こうに見える、長い大きな桟橋は、大型豪華客船もよく発着する、国際客船 terminalのある、大桟橋(oosanbashi)です。大桟橋(oosanbashi)の奥に停泊している、大きな客船は、飛鳥2(Asuka2)。飛鳥2(Asuka2)(50,142トン(GT))は、日本(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)の豪華客船です。大桟橋(oosanbashi)の手前に停泊している、比較的小さな船は、royal wing。royal wingは、横浜港を遊覧する、レストラン船です。

手前に停泊している、比較的小さな船は、royal wingです。royal wing(2,876トン(GT))は、元々、大阪と九州(kyusyu)(日本の南部)の別府(beppu)温泉(日本最大級の温泉保養地)を結ぶ航路で活躍していた、日本の、国内航路用の小型の豪華客船、「紅(くれない)丸(kurenaimaru)」(下の補足説明参照)でした。
紅(くれない)丸(kurenaimaru):説明は、wikiを参考にしました。1912年、大阪と別府(beppu)温泉を結ぶ航路に、ドイツ製の日本の客船、初代、「紅(くれない)丸(kurenaimaru)」が就航。1928年に、二代目、「紅(くれない)丸(kurenaimaru)」が就航。1959年には、三代目、「くれない丸(kurenaimaru)」が建造され、三代目、「くれない丸(kurenaimaru)」は、1960年に、大阪と別府(beppu)温泉を結ぶ航路に就航しました。三代目、「くれない丸(kurenaimaru)」は、1980年に引退。後に改装され、横浜港を遊覧する、レストラン船、royal wingとなりました。
royal wingは、横浜に、世界的に見ても、規模の大きな中華街(chinatown)(500以上の店舗を有する、世界最大級の中華街(chinatown))がある事を反映してか(中華街(chinatown)は、横浜の重要な観光資源の一つとなっています)、香港で活躍していた、中国人?料理人(cook)が、シェフ(chef)を務める、広東(Cantonese )料理系の中国料理のレストラン船となっています。なお、royal wingとは、別の会社の船(別の会社の経営)ですが、マリーンルージュ(marine rouge)と言う、横浜港を遊覧する、フランス料理のレストラン船もあります(royal wingよりも小さな船)。

写真以下、大桟橋(oosanbashi)。大桟橋(oosanbashi)は、横浜都心部の海際にある、大型豪華客船もよく発着する、国際ferry terminalのある、大きな桟橋です。大桟橋(oosanbashi)は、神戸(kobe)(関西(kansai)大都市圏(大阪を中心とした大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する大都市圏)の海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)にある、神戸(kobe)ポートターミナル(port terminal)(1922年完成。50,000トン(GT)級程度の豪華客船ならば、同時に4隻着岸できる)には及びませんが、クイーンエリザベス2(RMS Queen Elizabeth 2。70,327トン(GT))級の、豪華客船ならば、同時に2隻着岸でき、30,000トン(GT)以下の豪華客船ならば、同時に4隻着岸する事が可能となっています。
写真以下3枚。写真中央。大桟橋(oosanbashi)から眺めた、夜の氷川丸(hikawamaru)。写真右側、大桟橋(oosanbashi)から眺めた、横浜マリンタワー(marine tower)(1961年に完成した、高さ106mの塔です。横浜を象徴する建物の一つとなっています。神戸(kobe)のポートタワー(port tower)と共に、1950年代から1960年代初めにかけての、日本の大都市における、高層タワー(tower)建設ブーム(boom)の末期に建てられたタワー(tower)です。かつては、灯台としての機能を持っていて、ギネスブック(Guiness book)に、世界一の高さの灯台として記載されていました)。



写真以下3枚。散歩しながら、大桟橋(oosanbashi)に歩いて行く途中にて。。。
写真以下2枚。夜の氷川丸(hikawamaru)。写真左端に見える橋は、横浜bay bridge。1989年に完成した、大きな斜張橋(cable-stayed bridge)です。



大桟橋(oosanbashi)と、大桟橋(oosanbashi)に停泊中の、飛鳥2(Asuka2)。
写真以下。飛鳥2(Asuka2)。飛鳥2(Asuka2)(50,142トン(GT))は、日本(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)の豪華客船です。日本を起点とした世界一周クルーズ(cruise)等を行っています。他の日本の(日本の会社が保有する)豪華客船同様、乗客の、ほとんどは、日本人の様です。




写真以下2枚。写真右端に見える大きな観覧車は、Cosmo Clock。かつて、世界最大の観覧車であった、横浜の都心部の海沿いにある大きな観覧車です。







以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
氷川丸(hikawamaru)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)も参照して下さい。
氷川丸(歴史のある文化財の客船)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758955/page/23?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、近代の日本の豪華客船に関する参考の投稿。
1930年代の日本の豪華客船の食事他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3759515/page/22?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758717/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758716/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758715/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758713/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本様式(建築・インテリア史)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3874778?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本様式(建築・インテリア史)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3874777?&sfl=membername&stx=nnemon2