先月(11月)の第4金曜日(以下、この日と書きます)の夕食は、仕事を終えた後、彼女と、我が家で食べました。
彼女と我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理は、私と彼女、共同で、手作りした、野菜たっぷり、具沢山の(具が、たくさんの)、ポトフ(pot-au-feu)にしました。
ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、白ワイン(wine)を飲みました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw
それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」
鶏肉(鶏の手羽元)の、火の通り具合を見る為に、少し味見をしてしまった後の物ですが、この日の夕食の、メイン(main)料理で、ポトフ(pot-au-feu)。私と彼女、共同の手作り。彼女と、ワイワイ、2人共同作業で料理をするのも、楽しいものです。具の肉は、何れも、国産(日本産)の、高品質な鶏肉の、ささみ(sasami)を240g程と、手羽元を6本、使いました。具は、下に、たくさん沈んでいます。とても美味しく出来ました(とても美味しかったです)。彼女も、とても美味しいと言って食べていました。ポトフ(pot-au-feu)は、余り、余った分は、翌日の、遅い朝食兼昼食で、普段の朝食の内容(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))に加えて、温め直して食べました。
ちなみに、この日の夕食時は、私も彼女も、ご飯(rice)・パンは、パンを食べました。
千歳(chitose)飴は、七五三(shichigosan)において、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)から食べられている、子供向けの、伝統的な、飴で、細長い事が特徴で、色は、赤(赤と言うよりか、実際には、pinkに近い感じ)と白が、基本となっています。
七五三(shichigosan):七五三(shichigosan)は、子供の、3歳、5歳、7歳 (男の子は、3歳と5歳、女の子は、3歳と7歳)の成長を祝う、日本の、伝統行事です。
1953年には、不二家(fujiya)(下の補足説明を参照)が、milky(日本の、古くからある、練乳(sweetened
condensed
milk)を固めた様なキャンディ(candy)製品で、不二家(fujiya)の製品)の、千歳(chitose)飴の販売を開始し(赤(赤と言うよりか、実際には、pinkに近い感じ)は、苺味)、milkyの千歳(chitose)飴も、人気となって来ました。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、milkyに関する参考の投稿。
milky(70年以上の歴史を有するキャンディ菓子)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3792242/page/18?&sfl=membername&stx=nnemon2
不二家(fujiya):1910年に、西洋菓子店として創業した、菓子会社及びケーキ(cake)店・レストラン等を運営する会社。日本全国に、西洋菓子・ケーキ(cake)店をチェーン(chain)展開する他、レストランのチェーン(chain)展開も行なっている。
元々、写真に撮るつもりはなく、半分以上食べてしまってから、気が向いて撮影しましたが、この日の夕食の、デザート(dessert)で、銀座(ginza)に志かわ(nishikawa)(日本の、高級パン(食パン)のチェーン(chain)の一つ)の、期間限定の、千歳(chitose)飴(おそらくmilky千歳(chitose)飴)を、イメージした味の、小さなサイズ(size)の、食パン(パン)。私が、仕事の取引先の一つを訪れたついでに、取引先の周辺の、銀座(ginza)に志かわ(nishikawa)の店舗で買って来た物。
以下、「」内。基本的に、銀座(ginza)に志かわ(nishikawa)の、公式siteより。。。この食パン(パン)の説明。
「千歳(chitose)飴。子の成長を願う親御様の思いを表現。いつの時代も変わる事のない、我が子の元気で健やかな成長を祈願する親御様の思いが込められた紅白(赤と白)の千歳(chitose)飴をプレーンと苺の生地で表現しました。練乳(sweetened
condensed milk)餡とホワイトチョコレート(white chocolate)を混ぜ込んだお子様にも喜んで頂ける商品です。」
以下、参考に、私の前の投稿より、銀座(ginza)に志かわ(nishikawa)の、食パン(パン)を含む投稿。
月餅(中国の伝統菓子)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3858811/page/7?&sfl=membername&stx=nnemon2
動物百景(古い動物絵画等)展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3828255/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
90歳の挿絵画家他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3823483/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。
「お茶は、我が家には、少なくとも、常時、紅茶、(少なくとも複数の種類の)ハーブティー(herbal
tea)、緑茶を買い置いています。紅茶は、常時、少なくとも、数種類買い置いていますが、中でも、アールグレイ(Earl Grey
tea)は、必ず、買い置いています(私も、彼女も、アールグレイ(Earl Grey tea)が、好きです)。」
写真以下5枚。この時、これ全部食べた訳ではありませんが、この日の夕食の食後の、お茶菓子として食べた、Mary(下の補足説明を参照)の、チョコレート(chocolate)。
Mary:1950年創業の日本のチョコレート(chocolate)会社。Maryは、規模の大きな、チョコレート(chocolate)製造会社ではあるが、大衆チョコレート(chocolate)の中では、(贈答品(贈り物)にも使われる様な)、比較的、高価で、高級なチョコレート(chocolate)を製造しています。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、Maryのチョコレート(chocolate)に関する参考の投稿。
日本の70年以上の歴史を有するチョコレート会社→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3881840?&sfl=membername&stx=nnemon2
色々な(様々な)味の物があります。
この日は、彼女は、我が家に泊まり、2人共夜更かしをし、この翌日(11月の第4土曜日。以下、この日と書きます)は、遅い朝食兼昼食を食べた後、彼女と、新宿(shinjyuku)歴史博物館に訪れました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。ちなみに、私の今の彼女は、元々、好奇心が強い性格です。」
新宿(shinjyuku)歴史博物館は、新宿(shinjyuku)区(下の補足説明を参照)が運営する、公立の、新宿(shinjyuku)区の歴史に関する博物館です。
新宿(shinjyuku)区:東京中心部(東京23区)の西部に位置する区。東京中心部(東京23区)の中でも中心的な地域に比較的近い西部に位置する。渋谷(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)(私が暮らす区)の北部から中部の東部に隣接している。新宿(shinjyuku)区で、最大の繁華街は、新宿(shinjyuku)区の南西端部に位置する、新宿(shinjyuku)(新宿(shinjyuku)駅の周辺)で、東京最大級の繁華街の一つとなっている。ちなみに、新宿(shinjyuku)(新宿(shinjyuku)駅の周辺)は、東京の大規模繁華街の中で、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)から、最も、近い繁華街の一つで、我が家の、最寄りの通勤電車(電車)・地下鉄駅から、新宿駅まで、通勤電車(電車)で5分程です。
新宿(shinjyuku)歴史博物館は、電車・地下鉄の新宿(shinjyuku)駅から、通勤電車(電車)で、東に(東京都心部でも中心的な地域方面に)、5分程の、新宿(shinjyuku)区の、四ツ谷(yotsuya)areaにあります。
写真以下7枚。四ツ谷(yotsuya)areaの風景例。
写真以下5枚は、通勤電車(電車)・地下鉄の、四ツ谷(yotsuya)駅周辺。
この、超高層ビルは、デザイン(design)は、とても保守的ですが、比較的最近(2020年に)、完成した、高さ、約145mの、超高層ビルで、下の方は、マートと、飲食店を中心とした小規模なショッピングモール(shopping mall)となっています。
写真以下。新宿(shinjyuku)歴史博物館。新宿(shinjyuku)歴史博物館は、1989年に開館した、新宿(shinjyuku)区が運営する、新宿(shinjyuku)区の歴史に関する、博物館で、小規模な、博物館です。日本には、各地域に、この様な、小規模な、地域の歴史に関する、公立の、歴史博物館があり、日本全国には、この様な、小規模な、地域の歴史に関する、公立の、歴史博物館が、非常に、たくさんあります。
写真以下3枚。新宿(shinjyuku)歴史博物館の建物の一部。
新宿(shinjyuku)歴史博物館の、パンフレット(leaflet)より。
この日は、この時、新宿(shinjyuku)歴史博物館で開催されていた、玉川(tamagawa)上水(jyousui)(下の補足説明を参照)に関する展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)と、常設展示を見て来ました。
玉川(tamagawa)上水(jyousui):1653年に築かれた、(現在の東京の中北西部近郊の)羽村(hamura)から、東京に飲料水を供給する為の、全長、約43kmの、上水道で、一部区間は現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されています。玉川(tamagawa)上水(jyousui)は、江戸(edo)の六上水(16世紀後期から17世紀にかけて築かれた、東京に水を供給する為の、6つの主要な上水道)の一つです。現在の新宿(shinjyuku)区に該当する地域には、多くの、玉川(tamagawa)上水(jyousui)関連の施設がありました。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、羽村(hamura)及び玉川(tamagawa)上水(jyousui)に関する参考の投稿。
羽村取水堰(370年以上の歴史の取水堰)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3810145/page/15?&sfl=membername&stx=nnemon2
参考に、Japonismeとは、19世紀中期から20世紀初頭にかけて(特に、19世紀の後半に)、フランスを中心とした、西洋の国々(ヨーロッパ及び北米)で、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)等の日本文化が流行すると共に、当時の(近代の)ヨーロッパを中心とした西洋の芸術・工芸に強い影響を与えた現象の事を言います。
以下、参考の投稿。
Japonisme他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3806140/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)は、歌川広重(utagawa hiroshige)(下の補足説明を参照)が、1856年から1858年に制作した、東京の、様々な名所を描いた作品です。
歌川広重(utagawa hiroshige):1797年生まれ。1858年に亡くなる。日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)画家の一人。

写真は、借り物。名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)より、玉川(tamagawa)上水(jyousui)の、現在の、新宿(shinjyuku)区に該当する地域を描いた作品です(1856年)。
写真以下2枚。この展覧会(exhibition)(玉川(tamagawa)上水(jyousui)に関する展覧会(exhibition))の、チラシ(leaflet)より。
写真以下2枚。この展覧会(exhibition)の、子供向けの、ガイド(解説)より。。。
玉川(tamagawa)上水(jyousui)の水は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)当時における、東京の市街地においては、地下の、木又は石で出来た、水道管を通されていました。
この展覧会(exhibition)の展示例。写真左側、玉川(tamagawa)上水(jyousui)の水が引かれていた、木で出来た水道管の遺構の写真。写真右側、江戸(edo)時代において、東京の市街地の住宅地域等で、玉川(tamagawa)上水(jyousui)の水が通された地下の水道管から、水を引き上げる為の井戸。
江戸(edo)時代において、東京の市街地の住宅地域等で、玉川(tamagawa)上水(jyousui)の水が通された地下の水道管から、水を引き上げる為の井戸。
新宿(shinjyuku)区で、最大の繁華街は、新宿(shinjyuku)区の南西端部に位置する、新宿(shinjyuku)(新宿(shinjyuku)駅の周辺)(以下、単純に、新宿(shinjyuku)と書きます)です。
新宿(shinjyuku)(東京のビジネス(business)の中心地区の一つであると共に、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)は、東京の、大規模繁華街の中で、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)から、最も、近い、繁華街の一つで、我が家の最寄りの、通勤電車(電車)・地下鉄駅から、電車(通勤電車)で、新宿(shinjyuku)まで5分程です。
新宿御苑(shinjyukugyoen)は、新宿(shinjyuku)(東京のビジネス(business)の中心地区の一つであると共に、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)の南(東南)にある広大な都市公園です(電車(通勤電車)・地下鉄の、新宿(shinjyuku)駅から、新宿御苑(shinjyukugyoen)の入り口の一つまでは、歩いて、10分位)。
新宿御苑(shinjyukugyoen)は、我が家から、比較的近い、広い都市公園です(前述の通り、我が家の最寄り駅から、電車(通勤電車)で、新宿(shinjyuku)まで5分程)。
ちなみに、我が家から、比較的近い、広い都市公園は、新宿御苑(shinjyukugyoen)の他に、代々木(yoyogi)公園(東京都心部の西部にある、規模の大きな公園。同じく、東京中心部にある公園の中では、最大級の物の内の一つ)があります。我が家から、代々木(yoyogi)公園までは、歩いて15分程であり、代々木(yoyogi)公園は、東京の規模の大きな公園の中では、我が家に最も近い公園で、(代々木(yoyogi)公園は)、個人的に、最も、身近な公園となっています。
新宿御苑(shinjyukugyoen)は、元々、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、現在の長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)に該当する地域の地方領主の家の一つ、内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)の、東京の別荘の一つの広大な敷地だった物です。内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)は、現在の、伊那(ina)市(長野(nagano)県の南部の北部に位置する人口6万人程の小都市)の、高遠(takato)地区(旧(かつての)高遠(takato)町(人口6,000人程)に該当する地域)を統治していた、地方領主の家です。明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、近代的な新中央政府の方針によって、日本全国に、たくさんいた、地方領主達は、地方領主としての地位を失うと共に、封建制時代の城(castle)と庭園を失いました(もっとも、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました)。ちなみに、高遠(takato)を統治していた地方領主、内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)も、近代において、貴族階級に組み入れられ、子爵となりました。
また、19世紀後半に、天皇家は、メイン(main)の住まいを、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市)から、東京に移しました。この様な事から、東京の、新宿御苑(shinjyukugyoen)は、19世紀後半以降、皇室(天皇家)の庭園となり、整備し直されました。新宿御苑(shinjyukugyoen)は、この様な歴史を経た後(ちなみに、新宿御苑(shinjyukugyoen)は、第二次世界大戦末期の1945年に、アメリカ軍の空襲を受けて、大きな被害を、被っています)、第2次世界大戦後(1949年)に、改装され、都市公園となり、現在に至っています。我が家から、比較的近い、広い都市公園は、代々木(yoyogi)公園(同じく、東京都心部にある公園の中では、最大級の物の内の一つ)と新宿御苑(shinjyukugyoen)がありますが、代々木(yoyogi)公園(原宿(harajyuku)・渋谷(shibuya)(両方共、東京都心部の主要な繁華街で、若者に人気が高い繁華街)に近く、若者が多い)に比べて、新宿御苑(shinjyukugyoen)は、相対的に、落ち着いた、雰囲気となっています。東京は、非常に大きな大都市ですが、都心部でも、木は、大きく育ちますが、新宿御苑(shinjyukugyoen)にも、大きな木々が多いです。
新宿御苑(shinjyukugyoen)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
歴史のある新宿の庭園(公園)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3807816/page/7?&sfl=membername&stx=nnemon2
歴史のある新宿の庭園(公園)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3807815/page/7?&sfl=membername&stx=nnemon2
甲州(kousyu)街道は、17世紀初めに整備された(1602年に、東京と山梨(yamanashi)県を結ぶ部分が開通し、その後、17世紀初めの間に、徐々に、全体が整備された)、東京と、山梨(yamanashi)県(日本の中部地方に位置する県の一つ。東部は、東京圏の西部、西部は長野(nagano)県と隣接する)・長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の間を結ぶ街道(江戸(edo)時代の、東京の、日本橋(nihonbashi)を起点とした、5つの、主要な街道の一つ)で、現在の、日本の、国道20号線の、基となった街道です。
日本橋(nihonbashi)(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)は、江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する一等商業地です。
日本橋(nihonbashi)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
東京の歴史のあるデパート他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3822748/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
内藤(naito)新宿(shinjyuku)(甲州(kousyu)街道の、宿場町(syukuba町)の一つ)は、1699年に開設された、宿場町(syukuba町)(下の補足説明を参照)で、新宿(shinjyuku)の原点となった街です。前述の通り、内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)は、現在の新宿(shinjyuku)に、東京の別荘の一つ(広大な敷地を有していた)を有していましたが(敷地は、現在の、新宿御苑(shinjyukugyoen))、内藤(naito)新宿(shinjyuku)も、元々、内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)の、その(現在の新宿(shinjyuku)にあった)東京の別荘の一つの敷地の一部であった場所に開設された、宿場町(syukuba町です。内藤(naito)新宿(shinjyuku)の名前の、内藤(naito)は、内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)に由来し、新宿(shinjyuku)は、新しい、宿場町(syukuba町)と言う意味を持つ言葉です(内藤(naito)新宿(shinjyuku)(1699年開設)は、甲州(kousyu)街道の中で、新しい、宿場町(syukuba町)です(甲州(kousyu)街道の中で、遅くに開設された宿場町(syukuba町))。
宿場町(syukuba町):歴史的に、都市間等を結ぶ街道(旅人が通る道)沿いにあって、旅人達の宿泊地として、旅人達の為の、宿泊施設や飲食施設を中心に発展した、町(村)。

写真は、借り物。名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)より、内藤(naito)新宿(shinjyuku)。
写真以下。新宿(shinjyuku)歴史博物館の常設展示の例で、18世紀から19世紀半ば頃?の、内藤(naito)新宿(shinjyuku)の模型です。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
新宿歴史博物館他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3881848?&sfl=membername&stx=nnemon2