2月の第4月曜日(以下、この日と書きます。この日は、日本は、祝日(国民の休日)でした)に、彼女と、上野(ueno)に遊びに行って来た時の物です。
この日は、前日に、我が家に泊まった彼女と、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べてから、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)を出ました。この日は、地下鉄で、上野(ueno)に行きました。
上野(ueno)は、東京都心部の北東部に位置する、浅草(asakusa)と並ぶ、東京の下町(東京都心部東部。旧市街)最大級の繁華街です。
上野(ueno)には、上野(ueno)公園があります。上野(ueno)公園は、東京中心部にある公園の中では、最大級の公園の内の一つであり、また、美術館・博物館等の文化施設が集まっています。
この日は、まず、上野(ueno)areaにある湯島(yushima)天神(tenjin)に梅の花を見に訪れました(湯島(yushima)天神(tenjin)は、東京の梅の花の名所(有名な場所)の一つとなっています)。
湯島(yushima)天神(tenjin)に訪れた後は、上野(ueno)公園を散歩しながら、東京都美術館を訪れました。ちなみに、この日は、2人共、歩き易い靴で出掛けました。
以下、以下の投稿の続きです。
湯島天神他(湯島(yushima)天神(tenjin)に関しては、この投稿を参照して下さい)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3924677?&sfl=membername&stx=nnemon2
清水堂・不忍池他(上野(ueno)公園に関しては、この投稿を参照して下さい)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3924676?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京都美術館は、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の内の一つ。主に、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外・近郊から成る)が運営する美術館の内の一つで、上野(ueno)公園にある文化施設の一つです。東京都美術館は、1926年に開館した美術館ですが、現在の建物は、2代目で、1975年に完成した物です。東京都美術館は、収蔵品(collection)を、ほとんど持たない、展覧会(exhibition)専門の、規模の大きな美術館で、複数の展覧会(exhibition)を同時に開催出来る規模を持ち、実際に、通常、複数の展覧会(exhibition)を同時に開催しています。
前述の通り、東京都美術館の、現在の建物は、2代目の建物で、1975年に完成した物です。設計は、前川
國男(maekawa
kunio)(日本の、有名な建築家。1905年生まれ。1986年に亡くなる)が行いました。建物の、約60%を、地下に埋め込み、建物の高さを、低く抑えて、周囲の風景と調和させています。
写真以下7枚。東京都美術館の、現在の建物(1975年完成)の、外観。写真に写っているのは、一部で、規模の大きな建物です。
写真以下2枚は、東京都美術館の、パンフレット(leaflet)より。。。
東京都美術館で、現在開催中の(3月1日から7月6日まで開催)、大規模な、ミロ(Joan Miro)の作品の、展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)の、看板。この展覧会(exhibition)は、今の所、行くかどうか分かりませんが(行くかどうか決めていませんが)、行かない可能性の方が高いです(私も彼女も、(様々な媒体を通じても含めて)ミロ(Joan Miro)の作品は見飽きている(目新しさがない)と言うのもある)。
東京都美術館の内装例。
東京都美術館について詳しくは、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
東京都美術館→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3922466?&sfl=membername&stx=nnemon2
江戸(edo)東京博物館は、東京中心部(東京23区)の東部(東京の下町(旧市街))にある、1993年に開館した、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)と、東京の西部郊外・近郊から成る)が運営する、規模の大きな、東京の歴史に関する博物館です。江戸(edo)東京博物館は、現在(2022年から2026年の春まで)、改修工事の為に、閉館中(休館中)です(元々、2025年まで休館の予定であった様ですが、休館の期間が、2026年の春まで延びた様です)。
ちなみに、東京(昔(19世紀中期以前)は、江戸(edo)と呼ばれていた)の、大都市と言うか都市としての歴史は、17世紀からで、東京は、日本の長い歴史の中においては、歴史の短い都市です。
この時、東京都美術館では、期間が短いですが(2月22日から2月26日までの、5日間限定で開催されていた)、現在休館中の、江戸(edo)東京博物館を収蔵作品の一部を展示する催し(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)が、行われていました。
この日、東京都美術館では、この展覧会(exhibition)(入場は無料です)を見て来ました(この日、東京都美術館を訪れた目的は、この展覧会(exhibition)を見る事にありました)。
この展覧会(exhibition)は、一般的な展示と、特集展示である、上野(ueno)の歴史に関する展示の、2部構成で行われていましたが、以下、この投稿では、この展覧会(exhibition)の、一般的な展示の例について紹介します。
写真以下2枚。江戸(edo)東京博物館の建物の模型。
江戸(edo)東京博物館の建物(1993年完成)の設計は、菊竹 清訓(kikutake kiyonori)(下の補足説明を参照)が行いました。
菊竹
清訓(kikutake kiyonori):1928年生まれ。2011年に亡くなる。日本の有名な建築家。菊竹 清訓(kikutake
kiyonori)設計事務所から、伊東 豊雄(ito
toyo。1941年生まれ。日本の世界的に有名な建築家)を始めとする多くの著名な建築家を輩出。ちなみに、現在活躍中の世界の建築家の中で、最高classにあるSANAA(妹島
和世(sejima kazuyo。1956年生まれの日本の女性建築家)&西沢 立衛(nishizawa
ryue。1966年生まれの日本の建築家))は、(菊竹 清訓(kikutake kiyonori)設計事務所出身である)伊東 豊雄(ito
toyo)の、建築設計事務所の出身です。
菊竹 清訓(kikutake kiyonori)は、日本で、古代に(紀元前の古くから)、よく使われていた、高床倉庫(高床式倉庫)の建物をイメージして、江戸(edo)東京博物館の建物を、デザイン(design)・設計した様です。
江戸(edo)東京博物館の建物は、素人の目から見て、特に、個性的、(1993年に建てられた建物として)斬新・革新的ではなく(どちらかと言えば、凡庸・退屈な建物で)、かと言って、美しくもなく、個人的には、江戸(edo)東京博物館の建物は、菊竹
清訓(kikutake kiyonori)の失敗作品だと思います。
そもそも、前述の通り、東京(昔(19世紀中期以前)は、江戸(edo)と呼ばれていた)の、大都市と言うか都市としての歴史は、17世紀からで、東京は、日本の長い歴史の中においては、歴史の短い都市ですが、東京の歴史に関する博物館の建物の、デザイン(design)を、わざわざ、高床倉庫(高床式倉庫)の建物をイメージしたデザイン(design)にした意味が、よく分からないです(もっと他に、江戸(edo)東京博物館の建物に、ふさわしい、東京ならではの、イメージの題材となる物や建物は、いくらでもあったと思います)。
江戸(edo)東京博物館の建物及び、高床倉庫(高床式倉庫)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
江戸東京博物館・高床倉庫→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3922463?&sfl=membername&stx=nnemon2
菊竹 清訓(kikutake kiyonori)(1928年生まれ。2011年に亡くなる。日本の有名な建築家)に関して、詳しくは、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
なまこ壁・1937年パリ万博日本館他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3905596/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、江戸(edo)東京博物館の姉妹博物館として、江戸(edo)東京建物園(下の補足説明を参照)があります。
江戸(edo)東京建物園:1993年に開館した、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)と、東京の西部郊外・近郊から成る)が運営する、公立の、博物館の一つで、第2次世界大戦前の(一部、例外があり)、東京中心部及び、東京郊外の、住宅や店舗等の建物が、移築、保存されている、野外博物館。東京の西部郊外(東京都心部から近くもなければ、遠くもない、中間位の距離にある東京の西部郊外)に位置しています。
現代の東京の工芸品で、中世(11世紀から14世紀頃)の、日本の鎧(armor)を復元した物です。
写真以下4枚。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の、東京の、街中を、(食材の)魚を担いで、売り歩く職業の人(男性の職業であった様です)の、担ぐ魚を、重さも含めて、再現した、実物大の、模型です。実際に担いで、どれ位の重さであったのか、体験する事が出来ます。私は、大人の男性であるので、それ程、重くは感じませんが、これを担いで、長距離を歩くとなると、話は別だと思います。昔の人は、現代人よりも、小柄でしたが、現代人よりも、体力・持久力や力はあった様です。
東京の街中での、魚の販売を描いた、1848年から1854年頃の作品の写し。主婦達が、魚を買いに来ています。
写真以下3枚。東京の街中での、様々な、販売等を描いた、1841年の本の中からの写し。
写真上、(食材の)魚の販売。写真下、盆栽(bonsai)の販売。盆栽(bonsai)は、8世紀から12世紀頃に、中国から伝わった、中国の、箱庭的な趣味である、盆景(penjing)を元に、日本で発展した、鉢の上で、縮小化された、自然の木を楽しむ事に焦点を当てている事を特徴とした、日本の伝統的な、趣味・園芸です。
写真右上、ペット(pet)用の虫の販売。写真右下、ペット(pet)用の金魚(goldfish)の販売。
江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、東京において、庶民や、一人暮らしの、侍(samurai)階級の男性の為の、寿司、蕎麦、天麩羅等のファーストフード(fast food)が、発達し(日本料理における、握り寿司(所謂、世界的に、一般的に知られている、日本の寿司)、天麩羅は、元々、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、東京において、屋台の、ファーストフード(fast food)として、発展・流行した食べ物です)、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、これ等の、ファーストフード(fast food)を提供する屋台が、東京には、たくさん(所々に)、存在しました。
写真以下5枚。18世紀後期から1850年頃の、東京の、寿司の屋台を、実物大で、再現した模型です。
写真以下2枚。歌川広重(utagawa
hiroshige)(下の補足説明を参照)の、1841年から1842年頃の作品で、江戸(edo)時代において、見晴らしが良く、月を見て楽しむ場所として有名であった、東京の高輪(takanawa)において、屋台で、酒を飲んだり、食べ物を食べながら、月が出るのを待つ、東京の人々と、屋台を描いた作品の写しです。
歌川広重(utagawa hiroshige):1797年生まれ。1858年に亡くなる。日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家の一人。
蛸の、コスプレ(cosplay)をする人w
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
太田記念美術館 江戸の食事展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3916921/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
みずほ(mizuho)銀行は、日本の、大規模、銀行の一つで、日本の、三大、銀行(日本の、三大、民間企業の銀行)の一つです。
第一(daiichi)銀行(1873年設立)は、日本に、かつて存在した、大規模、銀行の一つで、みずほ(mizuho)銀行の前身の銀行の一つです。
第一(daiichi)銀行(1873年設立)は、日本で最初に設立された、近代的な、銀行です(1882年に設立された日本銀行(日本の中央銀行)よりも、歴史が古いです)。
おまけ。参考に、写真は、借り物(19世紀後半に撮影された写真)。第一(daiichi)銀行の初代の本店の建物。東京都心部でも中心的な地域に位置していた。1872年に完成。
写真以下2枚。第一(daiichi)銀行の初代の本店の建物(1872年に完成)の模型。
第一(daiichi)銀行の初代の本店の建物(1872年に完成)を描いた、1876年の作品の写し。
第一(daiichi)銀行の初代の本店の建物(1872年に完成)を描いた、19世紀後期の作品の写し。
第一(daiichi)銀行の初代の本店の建物(1872年に完成)を描いた、1873年の作品の写し。
以下、参考の投稿。
日本最古の銀行他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3856454?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本銀行本店(歴史的建造物)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3858251/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
(日本の国有鉄道の)旧(かつての)新橋(shinbashi)駅(東京で最初の中心的な鉄道駅。1872年開業)を描いた、1872年から1894年頃の作品の写し。
(日本の国有鉄道の)旧(かつての)新橋(shinbashi)駅(東京で最初の中心的な鉄道駅。1872年開業)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
加賀象嵌(金沢の伝統工芸)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3818056/page/24?&sfl=membername&stx=nnemon2
(日本の国有鉄道の)旧(かつての)横浜(yokohama)駅(1872年開業)を描いた、1875年の作品の写し。横浜は、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の中心都市で、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている、大きな港町です(横浜は、東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、第二の人口を有する都市となっています)。日本で、最初の鉄道は、(日本の国有鉄道の)旧(かつての)新橋(shinbashi)駅(東京で最初の中心的な鉄道駅)と(日本の国有鉄道の)旧(かつての)横浜(yokohama)駅の間に、1872年に開業しました。
写真以下2枚。東京の馬車鉄道を描いた作品(1882年)の写し。東京では、最初に(1880年代に)馬車鉄道が整備され、後に(1903年から1904年)に、路面電車(tram)に取って替わられました。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
動物百景(古い動物絵画等)展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3828255/page/22?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
東京都美術館 出張江戸博後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3924674?&sfl=membername&stx=nnemon2