基本的に(若干、内容を追加しています)、2015年の4月の中旬に行った投稿の再掲で、2015年の3月の下旬に、彼女(私の今の彼女。以下、彼女と書きます)と、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)に遊びに行って来た時の物です(投稿文は、2015年の4月の中旬の投稿を前提としています)。ちなみに、当時、まだ、私は、30代の後期、彼女は、20代の初めの大学生でした。
3月の下旬、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)に、遊びに行った時の事です。
この日は、浅草(asakusa)に、主に、遊びに訪れました。
以下、「以下、以下の投稿の続きです。」と言う文までは、前々回の投稿と重複します。前々回の投稿を、ご覧になられた方は、飛ばして下さい。
東京都心部の東部(北東部)に位置する、浅草(asakusa)は、現在は、東京の主要な繁華街の一つに過ぎませんが(それでも、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっている)、第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持していると共に、東京を代表する高級繁華街となっています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部の西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要な繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街であると共に、隣の有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の座を維持)。
それでも、浅草(asakusa)は、今でも、上野(ueno)と共に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街であると共に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)を代表する繁華街となっています。浅草(asakusa)は、東京の庶民的な繁華街の代表的な存在であると共に、昔の東京の、大衆の繁華街の雰囲気が、食文化、食堂、工芸品、土産物店等、文化として、たくさん残っている為に、東京を代表する観光地の一つとして、栄えています。浅草(asakusa)には、歴史が古い、食堂・レストラン・店舗等が、多くあります。
以下、以下の投稿の続きです。
浅草散歩・銀座線他(浅草(asakusa)に関して、より詳しくは、この投稿を参照して下さい) →
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3926124?&sfl=membername&stx=nnemon2
浅草散歩・並木藪蕎麦他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3926123?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、浅草(asakusa)散歩の続きです。
写真以下2枚。浅草(asakusa)の風景例。前にアップ(upload)した写真の再利用。
写真以下9枚。前にアップ(upload)した写真の再利用。桜の花の時期に撮影した、浅草(asakusa)周辺から眺めた、東京sky
tree(下の補足説明参照)の夜景と桜等。桜の花は、おそらく日本人に最も親しまれている花であり、菊(皇室(天皇家)の紋章(coat of
arms)となっている花)と共に、日本の実質的な国家となっている花です。春には、日本各地で、所々に、多くの桜の花が咲きます(もっとも、日本は、国土が、南北に細長く伸びた国である為、桜の花の見頃の時期は、日本の各地域で異なります)。
東京sky
tree:東京の下町(shitamachi)(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)の、浅草(asakusa)areaに近い場所にあるTV電波塔。東京ski
tree(2012年完成)は、東京tower(下の補足説明参照)に代わり、東京areaにTV電波を送信する為の、(東京圏の)主力TV電波塔となった、TV電波塔で、東京tower同様、展望台を有し、観光施設の側面も有しています。高さは、634mあり、日本で最も高い、また、世界でも、Burj
Khalifaに次いで、二番目に高い建造物であり、世界一高い塔です。ちなみに、東京ski
treeの、デザイン(design)は、現在において建てられる建築のデザイン(design)としては、あまりに保守的で(古臭く)、平凡で、嫌いです。
東京tower:来るべきTVの大衆化時代(日本では、TV放送は、1953年に始まり、当初は、TVは、庶民にとっては、中々、手が届かない贅沢品であったが、1950年代末には、テレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及する様になった)に備えて、東京areaにTV電波を大量に送信する為に建てられたTV電波塔。東京都心部でも、中心的な地域に位置する。高さは約333mで、1958年に完成した当時は、パリのEiffel
tower(約324m)を抜かし、世界一高い、(観光用の展望台の付いた)塔でした。









この日は、浅草(asakusa)を散歩途中、二軒のカフェ(cafe)で、のんびりとしたのですが、写真は、この日、浅草(asakusa)で入った、カフェ(cafe)の一つ、浅草(asakusa)にある、舟和(funawa)(下の補足説明参照)が運営する、(Starbucks
の様な、coffee
shopのchain店的な)簡易なカフェ(cafe)(この時、このカフェ(cafe)では、飲み物を飲んだ他、おやつを食べました)で、私が食べた、おやつ。抹茶(緑茶・green
tea)餡蜜(anmitsu)。美味しかったです。餡蜜(anmitsu)は、日本の伝統的な、大衆向けの甘いおやつです。このカフェ(cafe)は、その存在が目に付いてから、少し、気になっていた店でしたが、この時、初めて利用しました。良心的な値段で、店員さんの感じも良く、デザート(dessert)・おやつ等の質も、中々高く(この時、彼女が食べた、おやつも味見をしました)、中々、良かったです。現在、この、舟和(funawa)が運営するカフェ(cafe)は、(この時、私達が利用した)浅草(asakusa)の店舗を含めて、東京で、三店舗、店舗を展開している様です。
舟和(funawa):1902年創業の、東京の浅草(asakusa)に本店がある和菓子(日本伝統菓子)店(和菓子(日本伝統菓子)会社)。芋(imo)羊羹(yokan)(サツマイモ(sweet
potato)の羊羹(yokan))が有名。羊羹(yokan)は、日本伝統菓子の一つです。
写真以下5枚。浅草(asakusa)の風景例。松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店(1931年開店)の建物の夜景。建物は、1931年に建てられた物です(1931年の開店以来の物です)。松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店は、1931年の開店以来、長らく、庶民の為のデパートとして賑わって来ましたが、時代の流れにより(デパートと言う営業形態自体が、時代遅れとなって来た)、現在は、デパートの建物の内、地下から3階までが、松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店、4階以上の階(4階から7階まで)は、「EKIMISE」と言う、ショピングモール(shopping
mall)となっています。
写真以下2枚は、前にアップ(upload)した写真の、再利用。


この日の夕食は、友人二人(男一人、女一人)と待ち合わせて、私と彼女、友人達の、合計4人で、前から、ちょっと気になっていた、松永
光弘(matsunaga
mitsuhiro)(下の補足説明参照)が経営する、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)にある(浅草(asakusa)から、通勤電車(電車)で15分位、この時は、通勤電車(電車)で行ったのですが、タクシー(taxi)だと、浅草(asakusa)から、おそらく、10分位の場所にある(今思えば、タクシー(taxi)で行っても、良かったかなと思います))、ステーキ(beef
steak)レストランで食べました。ちなみに、この時、一緒に夕食を食べた、友人の内の一人(男)が、プロレス(professional
wrestling)に、とても興味があります。
松永 光弘(matsunaga
mitsuhiro):1966年生まれ。相撲(sumo)(高校生から大学生の時)、空手(karate)と言った経歴を経て、1989年に、プロレスラー(professional
wrestler)としてデビュー(debut)。1980年代終わりから2000年代に活躍した、日本のプロレスラー(professional
wrestler)。蠍や、画鋲(thumbtacks)、有刺鉄線(barbed wire)等を使った、デスマッチ(hardcore
wrestling)を得意とした。身長180cm、体重105kg(何れも、プロレスラー(professional
wrestler)時代)。プロレスラー(professional
wrestler)としては、小柄(もっとも、私が子供の頃に比べて、現在は、日本人のプロレスラー(professional
wrestler)は、プロレスラー(professional
wrestler)としては、小柄な選手が、だいぶ(かなり)、増えました(日本人のプロレスラー(professional
wrestler)の、小柄化が、だいぶ(かなり)進みました)。1997年に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)に、大衆的なステーキ(beef
steak)レストラン(この日、私達が夕食を食べた、ステーキ(beef steak)レストラン)を開業。プロレスラー(professional
wrestler)であると共に、ステーキ(beef
steak)レストランの経営者となった。2009年に、プロレスラー(professional
wrestler)としては引退。現在は、大衆的なステーキ(beef
steak)レストランの経営者。ちなみに、私は、幼い頃から子供の頃、(控え目で、穏やかな父の性格からすれば、少し意外ですが、当時、父が、テレビで、プロレス(professional
wrestling)を見るのが、とても好きだった関係で)、テレビで、プロレス(professional
wrestling)を見るのが好きで、よく、テレビで、プロレス(professional
wrestling)を見ていました(中学生になる頃には、プロレス(professional
wrestling)に対する興味は、ほとんどなくなってしまいましたが。。。)。
参考に、以下でリンクを付けた3つの動画、松永 光弘(matsunaga mitsuhiro)の試合より。こんな試合、マゾヒスト(masochist)と言うか、こう言う事が、好きでもなければ、出来ませんねw
有刺鉄線(barbed wire)バット(bat)デスマッチ(death match)(1992年)(背の比較的低い方の、プロレスラー(professional wrestler)が、松永 光弘(matsunaga mitsuhiro))→
https://youtu.be/F_Caidppfjw?si=I8pNqYT_Lk_kPoc8
ピラニア(piranha)デスマッチ(death match)(1996年頃。背の比較的低い方の、プロレスラー(professional wrestler)が、松永 光弘(matsunaga mitsuhiro))→
https://youtu.be/D8JGvHOXegY?si=Z-NiL_ndeWx7VjcJ
とても高い場所からの飛び込み技→
https://youtu.be/31CVZ1OMco4?si=HJqowg1MeBW-kh7S
写真以下3枚。このステーキ(beef
steak)レストラン(松永 光弘(matsunaga mitsuhiro)が経営する、ステーキ(beef
steak)レストラン)で食べた、この日の夕食。ちなみに、この夕食時は、私は、飲み物は、主に、ビールを飲みました。
付け合せ(side dish)の、サラダ(salad)とスープ(soup)。一人一皿ずつ。スープ(soup)は、三種類の中から選ぶ事が出来ますが、写真は、この時、私が飲んだ、スープ(soup)。
写真以下2枚。この時、私が、このステーキ(beef
steak)レストランで食べた、ステーキ(beef
steak)。おそらく、このレストランで、一番人気が高い(一番、よく注文される)、代表的な肉の量のステーキ(beef
steak)です(ちなみに、この時、彼女は、これよりも、もう少し、肉の量が、少ないステーキ(beef
steak)を食べました)。ステーキ(beef
steak)には、ご飯(rice)が付きます。手頃な値段です。肉は、赤身の牛肉を使っていて、肉の旨味は、あまり感じられませんでしたがw、とても柔らかい肉でした(とても手頃な値段に比べた、満足度は、中々、高いと思います)。テーブル(table)には、おそらく、このステーキ(beef
steak)レストラン自家製の、6種類程の、ステーキ(beef
steak)用のソース(sauce)が置かれていて、お好みの(好きな)ソース(sauce)を、自分で、好きなだけ(好きな量)、かけて食べる方式になっています。
このステーキ(beef steak)レストラン、とても賑わっていて、もちろん、プロレス(professional wrestling)が好きな人々も、たくさん訪れている感じですが、それ以上に、地元の人々に愛されている、下町(shitamachi)(旧市街)の、庶民的な、ステーキ(beef steak)レストランと言った感じでした。ちなみに、この、ステーキ(beef steak)レストラン、基本的に、松永 光弘(matsunaga mitsuhiro)が、自らシェフ(chef)として、ステーキ(beef steak)を焼いています。
このステーキ(beef
steak)レストランで、ステーキ(beef steak)を食べた後は、このステーキ(beef
steak)レストランの、すぐ近くの、Denny’s(下の補足説明参照)の店舗に移動し、デザート(dessert)を食べたりしながら、私と彼女、友人達(男一人、女一人)の、合計4人で、のんびりとしてから、電車(通勤電車)・地下鉄で、我が家に帰ったのですが、写真は、この時、私が、Denny’sで食べた、デザート(dessert)。
Denny’s:ファミリーレストラン(family
restaurant。主に家族客層を想定した(もっとも値段を含めた手頃さ・気楽さから、若者や若いカップル(couple)の利用も多い)規模の大きな大衆レストラン)のチェーン店(chain)の一つ。Denny’sは、元々、アメリカのチェーン店(chain)ですが、日本の店舗は、日本で独自にメニュー(menu)を作っています。
以下、おまけ。この時は、浅草(asakusa)で買って来た物は、少なかったのですが、写真以下3枚は、この時、浅草(asakusa)で買って来た物の一部。
浅草(asakusa)の、亀十(kamejyu)(浅草(asakusa)にある、1920年代半ば創業の、和菓子(日本伝統菓子)店)の、どら焼き(dorayaki)。どら焼き(dorayaki)は、日本の伝統的な、庶民的な、お菓子の一つです(ちなみに、どら焼き(dorayaki)は、漫画・アニメ(anime)のドラえもん(doraemon)の好物です)。亀十(kamejyu)の、どら焼き(dorayaki)は、とても美味しく、お気に入りとなっています。この日、亀十(kamejyu)では、4個、どら焼き(dorayaki)を買い、2個は、現地で(浅草(asakusa)で)、一個ずつ食べ、残りの2個(写真の物)は、この日、我が家に帰って来てから、一個ずつ食べました。
浅草(asakusa)にある、「Bona Festa」と言う、フランス料理風、ロシア(Russia)料理レストランで買った、ピロシキ(pirozhki)。この日の、翌日の、朝食の一部として食べました(一人、二個ずつ食べました)。ちなみに、「Bona Festa」は、お気に入りのレストランと言える程、よく利用しているレストランではないですが、料理は美味しく、サービス(service)の感じも良く、好きなレストランの一つです。
「Bona Festa」→
亀十(kamejyu)(浅草(asakusa)にある、1920年代半ば創業の、和菓子(日本伝統菓子)店)で買った、くず(kuzu)餅。これは、後日、食べました。くず餅は、くず(kuzu)と呼ばれる豆科の植物のデンプンから作った粉、若しくは、乳酸菌で発酵させた小麦粉から作る、庶民的な和菓子(日本伝統菓子)で、きな粉(大豆を粉末にした食品)、若しくは、きな粉(大豆を粉末にした食品)と、黒糖蜜を付けて食べます。この、くず(kuzu)餅は、くず(kuzu)と呼ばれる豆科の植物のデンプンから作られています。亀十(kamejyu)は、くず(kuzu)餅も、美味しいです。