4月の第一土曜日(以下、この日と書きます)に、前日に我が家に泊まった彼女と、小金井(koganei)公園に桜の花を見に行った後、小金井(koganei)公園内にある、江戸(edo)東京建物園を訪れた時の物です。
この日は、前日に我が家に泊まった彼女と、(夜更かしをし、朝寝坊をし)、遅い朝食兼昼食を食べた後、我が家を出ました。ちなみに、この日は、2人共(私も彼女も)、歩き易い靴で出掛けました。
この日は、公共交通を使って、小金井(koganei)公園を訪れました。
小金井(koganei)公園は、東京の西部郊外の( 東京都心部から近くもなければ、遠くもない、中間位の距離にある、東京の西部郊外に位置している)、広い公園です。
小金井(koganei)公園、及び、小金井(koganei)公園の、桜の花に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
小金井公園桜2025前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964859?&sfl=membername&stx=nnemon2
小金井公園桜2025後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964858?&sfl=membername&stx=nnemon2
小金井(koganei)公園で、桜の花を見ながら散歩をすると言う意味での、桜の花見(hanami)を楽しんだ後は、江戸(edo)東京建物園を訪れました。江戸(edo)東京建物園は、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)と、東京の西部郊外・近郊から成る)が運営する、公立の、博物館の一つで、1993年に開館した、第2次世界大戦前の(一部、例外があり)、東京中心部及び、東京郊外の、住宅や店舗等の建物が、移築、保存されている、小金井(koganei)公園の敷地内に位置している、野外博物館です。
この時、見て来た、江戸(edo)東京建物園の、屋内展示に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
江戸東京建物園1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964856?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、以下の投稿の続きです。江戸(edo)東京建物園に、移築・保存されている建物の例に関しては、以下の投稿も参照して下さい。
江戸東京建物園2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3967338?&sfl=membername&stx=nnemon2
江戸東京建物園3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3967337?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、江戸(edo)東京建物園に、移築・保存されている建物の例の続きです。投稿文の便宜上、この日、見学した順番に並んでいると言う訳ではありません。
写真以下25枚。会社の、支配人(manager)・部長等を務めていた、ジャーナリスト(journalist)出身の、日本の、businessmanが、子供が独立した後、夫婦2人で、質素に、静かに暮らす為に、当時、日本の有望な(将来の活躍が期待される)、若手建築家であった、堀口
捨己(horiguchi
sutemi)(1895年生まれ。1984年に亡くなる。主として、1920年代から1960年代にかけて、活躍していた、日本の、現代、建築家)に、設計を依頼して、東京中心部の、静かで、落ち着いた住宅地に、1925年に建てた、住宅の建物です。小規模で(小ぢんまりとしていて)、質素な住宅の建物ですが、よく見ると、伝統と、現代が、融合した、とても、お洒落な(とても、stylishな)、住宅の建物であると言う事が、分かると思います。
写真以下2枚。この住宅の建物の模型。
写真以下13枚。この住宅の建物の外観。
写真以下2枚は、前にアップした写真の再利用。
写真以下10枚。この住宅の建物の内部の例。一部、前にアップした写真の再利用が、含まれています。
写真以下2枚。おまけ。写真は、借り物で、上の住宅を設計した、堀口 捨己(horiguchi sutemi)(1895年生まれ。1984年に亡くなる。主として、1920年代から1960年代にかけて、活躍していた、日本の、現代、建築家)が、上の住宅と、同時期に設計した、東京の北部郊外(埼玉(saitama)県)の、日本の、個人の、別荘の建物です(1926年に完成。火事により、焼失し、現存はしていない様です)。お洒落(stylish)ですね。


堀口 捨己(horiguchi sutemi)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
堀口 捨己・紫烟(shien)荘他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3858259/page/15?&sfl=membername&stx=nnemon2
前川
國男(maekawa
kunio)(1905年生まれ、1986年に亡くなる)は、世界的な(世界最高水準の)建築家と言う程では、ありませんが、日本の有名な建築家の一人であり、日本の第二次世界大戦後の復興期(1950年代から1960年代初期)の、現代建築界をリード(lead)した、建築家の一人です。前川
國男(maekawa
kunio)は、他の、日本の第二次世界大戦後の復興期(1950年代から1960年代初期)の、現代建築界をリード(lead)した、日本の有名な建築家達と共に、日本の現代建築設計の水準を、世界最高水準に、引き上げる為の基礎を、1950年代に、固めた建築家の一人です。
前川 國男(maekawa kunio)の建築作品例に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクをつけた投稿)を参照して下さい。
建築家の家と作品→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3967030?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下17枚。1942年に、品川(shinagawa)区(東京中心部(東京23区)の南部に位置する区)に建てられた、前川
國男(maekawa kunio)の自宅(自分の家)の建物です(当然、前川 國男(maekawa
kunio)自身の設計)。1942年と言う、第二次世界大戦中の物資の不足な時代に完成した為か、有名建築家の邸宅と呼ぶには、質素で、小ぢんまりとしています(もちろん、家の建物は、小ぢんまりとしていても、庭を含めた、家の敷地面積は、広かったとは思いますが。。。)。邸宅と呼ぶには、小ぢんまりとしており、現実的で、生活感があり、快適に、長い間暮らせる様な、暖かい感じの家です。前川
國男(maekawa kunio)の作品は、何となく、この前川 國男(maekawa kunio)の家と似た雰囲気を持っていると思います。前川
國男(maekawa
kunio)の作品は、一般的に、例え、大規模建築物や、超高層ビルであっても、何となく、暖かく、現実感があり、生活感を感じさせる、人間味のある雰囲気を持っていると思います(上でリンクを付けた投稿の、前川
國男(maekawa kunio)の建築作品例を参照)。なお、前川 國男(maekawa
kunio)は、1942年から1973年まで、この家に暮らし、東京の新しい邸宅が完成した為か、1973年に、この家の建物を解体し、その部材(parts)を、(前川
國男(maekawa
kunio)の)軽井沢(karuizawa)(日本の代表的な避暑地・高原リゾート(resort)地の一つ。内陸部にある長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の東京に近い場所にある。東京圏周辺を、代表する、別荘地の一つとなっており、東京圏に暮らす、比較的裕福な人々の別荘が、たくさんある)の別荘の敷地内に保存して置きました。写真以下17枚は、前川
國男(maekawa kunio)が亡くなった後、前川 國男(maekawa kunio)の親族の寄付により?、前川 國男(maekawa
kunio)の、軽井沢(karuizawa)の別荘の敷地内に保存されていた、この家の部材(parts)を、江戸(edo)東京建物園が引き取り、再び組み立てて、復元し、展示している物です。
写真以下10枚。この住宅の建物の外観。帰りの方に(夕方に)撮影した、空の色が暗くなってからの写真が含まれています。
写真以下7枚。この住宅の建物の内部の例。
写真以下。田園調布(denen
cyoufu)に、1925年に建てられた西洋式の住宅の建物です。田園調布(denen
cyoufu)(東京中心部(東京23区)の南部に位置する)は、現在は、東京で、最も有名な高級住宅地の一つとなっていますが、元々は、1920年代から1930年代に、東京郊外(当時)に開発された、中流階級や新興金持ちの向けの、郊外の新興住宅地の一つで、この住宅が建てられた、1920年代から1930年代当時は、高級住宅地ではなく、中流階級向けの、新興住宅地でした。
日本の西洋式住宅は、西洋式住宅に日本伝統式の住宅を併設して建てる場合や、家の敷地内に、日本伝統式住宅と西洋式住宅の両方を建てる場合(第2次世界大戦前の日本の富裕層に多く見られた住宅形式)の西洋式住宅等を除けば、一般的に、少なくとも一部屋は、日本伝統式の畳の部屋となっています。この住宅は、(西洋式住宅に日本伝統式の住宅を併設して建てる場合や、家の敷地内に、日本伝統式住宅と西洋式住宅の両方を建てる場合の西洋式住宅等以外の)日本の西洋式住宅としては、珍しく、全部の部屋が西洋式の部屋となっています。この住宅は、ゆとりのある庭を持つ、一戸建て住宅であった様ですが、住宅の建物が建てられている部分の面積は小さく、しかも、2階建てでは無い平屋建て(1階建て)なので、生活するのに必要な部屋以外に、日本伝統式の部屋を設ける住宅床面積の余裕がありません。
この住宅は、子供が無い、若い夫婦、若しくは、子供が独立した、年を取った夫婦が、二人で、暮らしていた住宅だと思われます。この住宅は、日本国有鉄道(日本の国有鉄道。現在は、分割され、民営化されている)に、技術職の職員として勤務をし、鉄道の橋等の設計に携わっていた技師の方の住宅として建てられた住宅の様です。当時は、日本の、多くの中流階級の家庭が、お手伝いさん(maid)を、雇っていましたが、この住宅は、お手伝いさん(maid)を、雇う必要がないように、住宅の建物の規模を小さくし(小規模の住宅の建物とし)、住宅の内部は、主婦の家事の負担が少なくなるように、設計の工夫がなされている住宅となっています。
日本国有鉄道(日本の国有鉄道)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
旧日本国有鉄道本社ビル他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3932051/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下8枚。この住宅の建物の外観。
これは、前にアップした写真の再利用。

これは、古い写真ですが、前に、enjoyでアップした写真の再利用。
写真以下7枚。この住宅の建物の内部の例。
写真以下2枚は、古い写真ですが、前に、enjoyでアップした写真の再利用。


写真以下。風呂。ちなみに、日本人は、基本的に、風呂(浴槽)とトイレ(便器)は、同じ部屋にあるよりも、別々の部屋にある形式を好む事から、日本の家(住宅)は、一般的に、アパートを除き、風呂(浴槽)とトイレ(便器)は、別々の部屋にある形式となっています(上の、前川 國男(maekawa kunio)の住宅は、例外的です。ちなみに、上の、前川 國男(maekawa kunio)の住宅は、もう一つ、別に、トイレ(トイレの部屋)があります)。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
江戸東京建物園5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3967335?&sfl=membername&stx=nnemon2