4月の第一土曜日(以下、この日と書きます)に、前日に我が家に泊まった彼女と、小金井(koganei)公園に桜の花を見に行った後、小金井(koganei)公園内にある、江戸(edo)東京建物園を訪れた時の物です。
この前日(4月の第一金曜日)は、私も彼女も、個人的に休みで、前の日に我が家に泊まった彼女と、日帰りで、遊びに出掛けて来ました。
この前日の事に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
国立建築資料館 Expo展前期→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3943870/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
上野公園桜2025他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3943869/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
上野公園桜2025他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3943868/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、上でリンクを付けた投稿の関連投稿。
国立建築資料館 Expo展後期他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3958682?&sfl=membername&stx=nnemon2
この日は、前日に我が家に泊まった彼女と、(夜更かしをし、朝寝坊をし)、遅い朝食兼昼食(内容は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と同じでした)を食べた後、我が家を出ました。ちなみに、この日は、2人共(私も彼女も)、歩き易い靴で出掛けました。
この日は、公共交通を使って、小金井(koganei)公園を訪れました。
小金井(koganei)公園は、東京の西部郊外の( 東京都心部から近くもなければ、遠くもない、中間位の距離にある、東京の西部郊外に位置している)、広い公園です。
桜の花は、おそらく、日本人に、最も親しまれている花であり、菊(皇室(天皇家)の紋章(emblem)となっている花)と共に、日本の実質的な国家となっている花です(日本には、法定上の国花はありませんが、桜の花は、(菊と共に)慣習上の国花として、昔から、国民達に親しまれて来ました)。日本には、所々に、桜の木が植えられており、春には、日本各地で、所々で、桜の花が咲きます。花見
(hanami)は、野外で、桜の花を見ながら、酒を飲んだり、食事をしたりする事です。花見(hanami)は、伝統的に、桜の花の時期の、日本人の娯楽となっています。
小金井(koganei)公園は、東京で、桜の花見(hanami)の場所として人気がある公園の一つです。小金井(koganei)公園で、花見(hanami)を楽しむ人々は、主に、東京の西部郊外に暮らす人々です。
この日は、私達は、小金井(koganei)公園で、桜の花を見ながら散歩をすると言う意味での、桜の花見(hanami)を楽しみました。この時、小金井(koganei)公園の桜の花は、(見頃の最盛期までは、あと少しと言った感じでしたが)、見頃でした。
小金井(koganei)公園、及び、小金井(koganei)公園の、桜の花に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
小金井公園桜2025前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964859?&sfl=membername&stx=nnemon2
小金井公園桜2025後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964858?&sfl=membername&stx=nnemon2
小金井(koganei)公園で、桜の花を見ながら散歩をすると言う意味での、桜の花見(hanami)を楽しんだ後は、江戸(edo)東京建物園を訪れました。江戸(edo)東京建物園は、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)と、東京の西部郊外・近郊から成る)が運営する、公立の、博物館の一つで、1993年に開館した、第2次世界大戦前の(一部、例外があり)、東京中心部及び、東京郊外の、住宅や店舗等の建物が、移築、保存されている、小金井(koganei)公園の敷地内に位置している、野外博物館です。
ちなみに、小金井(koganei)公園は、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)と、東京の西部郊外・近郊から成る)が、運営している(管理・整備を行っている)、都市公園の一つです。
ちなみに、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。大阪と共に、関西(kansai)大都市圏(東京圏に次ぐ、日本第二の大都市圏を構成する)は、794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市であり、大阪都市圏の堺(sakai)市は、15世紀後期から17世紀初期にかけて、貿易都市として繁栄していました。また、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)は、16世紀後期から、日本の、商業・物流の中心都市として発展して来ました。
これに対し、東京は、16世紀までは、田舎の、のどかな、農村又は自然地帯で、東京(昔(19世紀中期以前)は、江戸(edo)と呼ばれていた)の、大都市と言うか都市としての歴史は、17世紀からで、東京は、日本の長い歴史の中においては、歴史の短い都市です。
江戸(edo)東京建物園に、移築、保存されている建物は、少なくとも、第2次世界大戦直前の1940年まで、建物本来の用途で、実際に使用されていた事でしょう。また、第2次世界大戦後も、日本では、戦後間も無い1950年代初めくらいまでは、新しい建物よりも、主として第2次世界大戦前に建てられた建物を、そのまま使用していました。したがって、江戸(edo)東京建物園の建物は、基本的には(概ね)、1930年代から1950年代頃までの、東京(中心部及び郊外)の住宅、お店(店舗)、農家(農民の家)等の建物の姿と考えて良いでしょう。江戸(edo)東京建物園に保存されている建物は、全般的に、宮崎
駿(miyazaki
hayao)(1941年生まれ。日本の世界的に有名な、アニメーション(animation)作家・アニメーション映画(animated
film)監督)及び、Studio Ghibli(宮崎 駿(miyazaki
hayao)が設立した、アニメーション(animation)制作会社(film
studio))の作品の世界観に通じる物があります。その事により?、江戸(edo)東京建物園は、中華系の国々・地域(台湾(Taiwan)、香港(Hong
Kong)、シンガポール(Singapore)、中国)・東南アジアの国々を中心とした、外国人観光客にも、人気の観光地となっています(ヨーロッパ・アメリカ・オーストラリア等からの観光客も、ある程度いますが、アジア域内からの観光客に比べれば、少なくなっています)。江戸(edo)東京建物園は、宮崎
駿(miyazaki hayao)、及び、Studio
Ghibliのアニメ(anime)が好きな韓国の方には、お勧めの、東京areaの、観光場所の一つです。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、宮崎 駿(miyazaki hayao)に関する参考の投稿。
小原 古邨 君たちはどう生きるか他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3841051/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
江戸(edo)東京建物園の入口付近。右側の建物は、元々、1940年に、東京都心で行われた、日本の、建国に関する国家行事に使われる為に建設された建物で、その国家行事に使われた後、翌年の、1941年に、小金井(koganei)公園に移築された建物で、江戸(edo)東京建物園が開館する前から、元々、小金井(koganei)公園にあった建物です。江戸(edo)東京建物園の開園後は、江戸(edo)東京建物園の、ビジターセンター(visitor center)及び、土産物等を売る売店の建物として使用されています。左側の建物は、江戸(edo)東京建物園のビジターセンター(visitor center)の建物(前述の通り、元々、1940年に建てられた建物を移築した物)に増築された建物で、江戸(edo)東京建物園の、屋内展示室の建物です。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。
この時、見て来た、江戸(edo)東京建物園の、屋内展示に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
江戸東京建物園1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964856?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、江戸(edo)東京建物園に、移築・保存されている建物の例です。投稿文の便宜上、この日、見学した順番に並んでいると言う訳ではありません。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「第二次世界大戦前の日本は、当時のヨーロッパと同様、階級社会により、大きな貧富の格差が存在しました(第二次世界大戦前の、日本の、農村の小作人や都市の低賃金肉体労働者等の低所得者層の生活は実に悲惨なものでした)。
第2次世界大戦後、貴族、資本家、地主等の、日本の上流階級は、貴族制度の廃止、財閥の解体、地主や広い土地を持っている者に、従来よりも不利益となる制度改革等により、かなりの土地と財産を処分せざるを得なくなり、(以前の様に贅沢な暮らしが出来なくなり)、没落しました。このようにして、上流階級が、以前のように贅沢な暮らしが出来なくなった一方で、農村の小作人達は、東京・大阪・名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本第三の都市圏人口を有する都市)等の大都市や、地方都市に流入し、日本の都市化(urbanization)を引き起こすとともに、工場労働者や、サラリーマン(会社員)として、新しい都市庶民層を形成するようになりました。農村には、比較的、裕福な、自作農民が残った一方で、高度経済成長による大量生産・大量消費時代の到来により、都市庶民層の消費生活水準は、飛躍的に向上しました。」
写真以下22枚。これは、江戸(edo)東京建物園の、展示物の中では、例外的に、第二次世界大戦後に、建てられた建物で、1952年に建てられた建物で(建物の、一部は、19世紀後期に建てられた建物の一部を、移築した物です)、第二次世界大戦後に、没落した、日本の、財閥の当主(1992年、97歳で亡くなる。貴族(男爵)でもあった)が、第二次世界大戦後に、夫婦二人で(おそらく。。。)、(第二次世界大戦前に比べれば)質素に、暮らす為に建てた、東京都心部の、高級住宅地にあった、住宅の建物です(おそらく、この財閥の当主は(妻の方が、先に亡くなる)、1992年、97歳で亡くなるまで、この住宅に暮らしていたと思われます)。この財閥の、当主は、自動車愛好家(自動車が、とても、好きな人物)としても知られ、第二次世界大戦前は(没落する前は)、Bentley、Hispano-Suiza、、Bugatti、Lancia等、ヨーロッパの、高級自動車・スポーツカー(sports
car)を、多く所有し、没落した後の、第二次世界大戦後も、90歳代になっても、Bentleyを、自ら(自分で)、運転していた様です(wikiより。。。)。
写真以下7枚。この住宅の建物の外観。写真で見えるのは、この住宅の建物の一部で、かなり大きな住宅の建物です(また、住宅の敷地も、広かった様です)。第二次世界大戦後に(1952年に)、建てられた建物とは言っても、第二次世界大戦前(1930年代以前)に建てられた、日本の、中上流層(upper-middle
class)の、(一部、西洋式を取り入れた)、日本伝統式の住宅の建物の、雰囲気を、よく持つ、住宅の建物です。第二次世界大戦後、没落したとは言っても、(もちろん、第二次世界大戦後は、没落し、広大な敷地を有する、大きな邸宅を含む、第二次世界大戦前の、ほとんどの財産を失い、第二次世界大戦前とは、比べ物にならない位、相対的には、貧しくなったものの)、第二次世界大戦後も、富裕層の生活は、維持していた様です。
写真以下15枚。この住宅の建物の内部の例。
写真以下12枚。日本の、総理大臣(prime minister)も務めた(1921年から1922年に務めた)、日本の政治家(1854年生まれ。1936年に亡くなる)の、1902年に建てられた、東京都心部にあった、住宅の建物の(住宅の、敷地は、非常に広いと言う程ではないが、広かった様で、2,000坪(約6,600平方m)程あった様です)、主要部分を移築した物です。日本伝統式の、住宅の建物です。
写真以下11枚。この住宅の建物の外観の例。帰りの方に(夕方に)撮影した、空の色が暗くなってからの写真が含まれています。
この住宅の建物の内部の例。内部は、決して、派手ではありませんは、細かい所まで、とても丁寧に、きっちりと、作られている感じです。
写真以下。東京の西部郊外の製糸会社の経営者が、隠居用に(老後を、質素に、穏やかに、のんびりと、風流に過ごす為に)、1922年に建てた、日本伝統式の、別荘の建物です。
写真以下3枚。この住宅の建物の外観。
写真以下。この住宅の建物の内部の例。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
江戸東京建物園3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3967337?&sfl=membername&stx=nnemon2